堆積物の放射性炭素年代(14C年代)によって、考古遺物の年代や災害の発生時期を推定する方法は、これまでも広く用いられてきた。しかし、堆積物の中から常に「年代分析に適した試料」が見つかるとは限らず、測定結果はある程度の不確かさを持って受け入れられてきた。今回、立命館大学古気候学研究センターを中心としたグループは、堆積物中の花粉を用いて高精度の年代測定を実現する革命的な技術を開発。今後、災害予測も含めたさまざまな分野に大きな影響を与えると期待されている。
昨今、「花粉症」の元凶として煙たがられている花粉が、「50,000年のモノサシ」になる理由とは?
「葉の化石」に頼ってきた年代測定。それは「運」との戦いでもあった
はじめに、堆積物の年代測定の方法を、簡単におさらいしておこう。
これまで、堆積物の中で放射性炭素年代が比較的測定しやすいものに「落葉樹の葉の化石」があった。比較的サイズが大きく、「分析に必要な量」を得やすい上に、地層の中を上下に移動しないことが主な理由だが、問題がなかったわけではない。
立命館大学古気候学研究センターの中川毅教授は次のように解説する。
「狙った地層に運良く葉化石が含まれていればいいのですが、地層の中から葉化石が見つかることは比較的“稀”なのです。そこで、年代を知りたい地層の上下にある『年代測定可能な地層』との位置関係から、年代を推定するのが一般的でした。しかし、当然のことながら、その方法では不確かさが大きくなります。
そこで、私たちが注目したのが『花粉』なのです。花粉は、その地層が形成された年に積もった可能性が高く、しかもほとんどの堆積物に豊富に含まれています。もし、堆積物から花粉だけを抽出することができれば、年代測定の理想的な試料になるのです」
年代測定の救世主「花粉」を1粒ずつ“分別”する「セルソーター」がすごい
堆積物中の花粉に注目したのは、中川教授らの研究チームが初めてではない。これまでも世界中の研究者が、年代測定に花粉を活用しようと試みてきた。しかし、
●花粉は堆積物中に約0.001%しか含まれない
●不純物を取り除き花粉だけを取り出すことが難しい
●微量なサンプルで高精度な分析をすることが難しい
といった条件的・技術的なハードルがあり、花粉から安定的に年代データを得ることができずにいた。
では、今回なぜ、花粉を年代測定に用いる目処が立ったのだろうか? その秘密は「セルソーター」という機器にあるという。立命館大学古気候学研究センター 専門研究員の山田圭太郎氏に聞いた。
「セルソーターは本来、ゲノムサイエンスの分野などで利用されている機器です。水滴に閉じ込めた物質にレーザー光を当て、光の散乱度合いや蛍光の波長・強さの違いを手がかりに、目的の物質だけを識別し、静電気を使ってより分けることができます。
今回私たちは、このセルソーターを『堆積物中にある花粉だけを抽出する』という目的で使っています。本来の用途とは離れるため、独自の『化学処理』や機器のカスタマイズを重ね、信頼できる年代データの取得に必要な100万粒の花粉を効率的に得る技術を確立しました」
上図の右側が、セルソーターを使って花粉だけを抽出したもの。不純物が極めて少なく、精度の高い年代測定のための試料にすることができるというわけだ。
花粉は極めて強固な物質で、長い年月を経てもこのようにしっかりとした形状を保っているのだという。中には、スギやヒノキの花粉も見られるという。花粉症の方には何ともむず痒いような話題だが、休むことなく地表に降り注いできた花粉が、いま大きな価値を持とうとしている。
堆積物中の放射性炭素(14C)は、およそ50,000年前までは測定可能である。花粉を活用した年代測定が実現したことで、人類は過去50,000年にさかのぼる、きわめて高品質な「時代のモノサシ」を手に入れることができるのだ。
福井県の水月湖が持つ「モノサシ」が、「世界のモノサシ」になった
セルソーターなどの最先端技術によって、地層の中の花粉で「放射性炭素の残存量」を正確に知ることができるようになった。ここで重要になるのは、「ある放射性炭素の量」が「どの年代」に相当するかという対応関係だ。その「対応表」を作るために極めて重要な役割を果たしているのが、福井県にある水月湖である。
「水月湖の底には、7万年もの間、1年に1枚ずつ静かに積み重なった地層(年縞)が存在し、年代測定の『世界標準のモノサシ』に採用されています。1年ごとに、ほぼ正確に年代を追える地層があり、そこに含まれる葉の化石を分析することによって、放射性炭素の量と年代を紐づけることができたのです。今後は同様の分析を、葉だけでなく花粉の化石に対しても行うことができるようになりました。今まで葉が見つかっていなかった時代のデータも、花粉で補完することができます」(中川教授)
つまり、日本が誇る水月湖という「年代の世界基準モノサシ」の精度が、さらに飛躍的に高くなる可能性があるのだ。
研究チームで年代測定を担った、東京大学総合研究博物館放射性炭素年代測定室 特任研究員の大森貴之氏は、今回の研究成果について次のように語る。
「私たちは、水月湖という正確な目盛りをもった堆積湖に支えられ、常に分析結果を“答え合わせ”しながら年代測定の方法論を確立することができました。分析においても、最先端の前処理工程や仕上げ処理、微量分析方法の開発、データの品質評価方法など、さまざまなブレイクスルーを経て、大きな成果につなげることができました。
大ざっぱに言えば、これまで60年だった誤差を、半分の30年するほどの高精度化が実現されます。この成果は今後、年代測定の世界を劇的に変えるインパクトを持つものです」
放射性炭素年代の世界標準モノサシは、「IntCal(イントカル)」という名前で呼ばれる。IntCalが次に改定されるのは、2026年頃だと言われている。中川教授らが確立した「花粉による放射性炭素年代測定」は、IntCalの精度に決定的な影響を与えることになるだろう。
より正確さを増す「50,000年のモノサシ」。この研究成果が持つ価値は、計り知れない。