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「ハーフ」「ミックス」「Hafu」? 日常に隠れる「日本人同士の差別」に気付けるか

2022年7月7日


「ハーフ」「ミックス」「Hafu」? 日常に隠れる「日本人同士の差別」に気付けるか

日本と外国にルーツを持つ人を指す「ハーフ」。日本では1970年代に広まり、今も多くのシーンで使われている。一方で、その言葉の持つステレオタイプから、差別的な意味合いを感じる人も少なくなく、最近では「Half(半分)」ではなく、新しく「Hafu」という表記を用いるムーブメントも起こっている。『「ハーフ」ってなんだろう?―あなたと考えたいイメージと現実』の著者で、ハーフなどの人々の情報共有サイト「HAFU TALK」を運営する立命館大学衣笠総合研究機構の下地ローレンス吉孝研究員に、日本の現状と課題を聞く。

〈この記事のポイント〉
● 「ハーフ」という言葉はいつ生まれた?
● 「ダブル」「ミックス」「Hafu」の意味とは
● ハーフの人々は、普通に日本人である
● 人種的バックグラウンドは無闇に聞かないのがマナー

「ハーフ」という言葉は、いかにして生まれたか

「ハーフ」の語源が、「Half(半分)」にあることはご存じの通りだ。その登場は1970年代にさかのぼるが、その背景にはどのような社会変化があったのだろうか。

「ハーフという言葉は、現在の日常生活のレベルで一般的に広く知られた用語になっていると思います。
ハーフの前にどのような用語が使われていたかというと、戦争直後は『混血児』という言葉が主流でした。当初は文字通りの意味で、差別的なニュアンスはなかったようですが、次第に差別的なニュアンスが社会で定着するようになっていきました。
その後、高度経済成長期に入って経済的に豊かになった時代には、欧米のカルチャーが流行し、欧米の中でも特に“白人の中産階級のカルチャーを身体化する”というような発想から、ファッションや化粧品などの分野で、カタカナ語の商品がものすごく増える時代になります。そうした風潮の中で、『混血』という漢字ではなく、欧米のカルチャーと日本とをつなげるというニュアンスを持ち、しかも華々しく見せたいという商業的な背景から、発明されたのが『ハーフ』という言葉です。英語では『I’m half』という言い方はありませんが、『half Japanese half American』のように、『半分○○半分□□』という表現があるので、そのあたりが語源ではないかと思います。
ハーフという言葉は、『ゴールデン・ハーフ』というハーフだけを集めたと宣伝された(実際にはメンバーの一人がハーフではなかった)アイドルグループの登場によって爆発的に認知され、広がっていくことになりました」(下地研究員、以下同じ)

欧米カルチャーの浸透の中で、肯定的な意味合いで生まれたともいえる「ハーフ」。しかし、その表現をめぐっては、さまざまな問題点も浮き彫りになってくる。

「ハーフ」「ミックス」そして「hafu」 さまざまな表現はどう使われている?

「半分」を意味するハーフという言葉のネガティブなニュアンスへの対応として、1990年代以降に生まれたのが「ダブル」「ミックス」といった表現だ。また、最近では「ハーフ」の響きはそのまま、「Hafu」と表記する例も増えてきている。

「ハーフという言葉は日本社会に浸透していますが、大手メディアでは今もあまり使用していません。むしろ当事者であるハーフの人が、ハーフという言葉を堂々と使って自らの経験を発信しているほどです。つまり、受け取る人によって感じ方が違う言葉なので、扱いが難しい言葉とも言えるでしょう。
例えば、『ミックス』という言葉を肯定的なニュアンスで使う当事者が、この数年で増えていると感じます。ミックスは『ミックスドレース(mixed-race)』、あるいは『ミックスドルーツ(Mixed Roots)』の略語と考えられています。『レース』とは人種が入り混じること、『ルーツ』はさまざまなバックグラウンドが混ざっていることを意味します。
また、日本といろいろな国とのハーフの人が、英語圏で自分のルーツを発信する際に、日本生まれの『ハーフ』という用語を英語化して表現することが増えてきました。もともとは和製英語だったハーフを英語で表記するにあたって、どのような工夫をしたかというと、ハーフを『half』ではなく、『hafu』と表記したのです。最近ではCNNやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどで、日本のミックスドレースについて伝えるときに、『hafu』が使われる例があります」

「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実
下地研究員の著書『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』では、さまざまなルーツを持つ人々の生の声に迫っている

「日本人」か「ハーフ」か。その問い自体が矛盾している

今回、下地研究員への取材で、「日本人によるハーフの人々への差別意識」を聞いた。しかし、取材を通じて“この問い自体に大きな矛盾がある”ことに気付かされることになった。

ハーフの人も日本人ですから、『日本人にはハーフへの差別意識があるのか』という問いが、少し奇妙なのがわかるのではないでしょうか。この質問の前提には、日本人と、ハーフ、ミックスの人が別の次元の存在として考えられている事実があります。
しかし一方で、多くのハーフやミックスの当事者は、自らを日本人と考え、日常生活を送っています。彼らは日本に生まれて生活し、『他の日本人と同じように日本語も話すし、日本で生まれたし、国籍も日本だし、日本の文化・風習も知っているし、神社にもお参りしているし』といいます。また、『ハーフでない日本人とまったく同じ生活をしているにもかかわらず、日本人ではなく、外国人として扱われる経験がすごく多い』というようなことも話してくれます」

つまり、日本人なのに、日本人として扱われていないことが問題を生み出しているのだ。今回の取材における“奇妙な質問”は私(筆者)自身の不徳のいたすところだが、このような認識が広く浸透しているような感覚もある。
ある意味で、目を背けている現実には、どのような問題点があるだろうか?

「ハーフ」の人々は、単に、普通に日本人である

「先ほど述べたように、ハーフやミックスの人も日本人として生まれて生活しているので、そういう人を人種的に差別することは、『日本人同士で差別している』ことになります。
『日本人が日本人に人種差別するというのはどういうこと?』と首をかしげる人もいるかもしれませんが、何ら不思議なことではありません。たとえば、アメリカ人の白人が、同じアメリカ人の黒人を差別するということはあり得ます。それと同様に、人種的マジョリティである日本人が、人種的マイノリティであるハーフやミックスの日本人を差別するということが起きているわけです。
その差別は「外人、出ていけ」とか、反対に「日本語、上手ですね」とか、「日本人よりも日本人らしいですね」といった言葉によるものだけではなく、生活に具体的に影響を及ぼすものもあります。不動産をなかなか借りることができなかったり、外国につながりがあるということを理由に面接で落とされたり、警察に何度も職務質問されたりするケースも珍しくありません。
学校などで深刻ないじめに遭い、不登校になってしまったり、鬱になったり、それが原因で自殺してしまうようなケースもあります。
メディアでは、ハーフやミックスの人がスポーツなどの分野で、華々しく活躍する姿がたびたび取り上げられますが、その裏で、いじめによって不登校になり、満足に学べなかった結果、低所得な仕事に就くことを余儀なくされたり、日本人なのに外国人扱いを受け続けている人も、かなりいるのではないかと思っています」

この事実から浮かび上がるのは、いかに普段我々が「外見的な特徴だけで、その人のルーツを想像し、バイアスのかかった視線で見ているか」ということだ。現在、日本は海外からの膨大な労働者を受け入れている。そのような状況では、ハーフ、ミックスの人も急増しているわけだが、日本では国籍をベースにした統計しか取っておらず、人種やルーツの割合についてはデータがない状態だという。ある意味で、行政として人種・ルーツについては見ぬ振りをしているともいえるわけだ。

多様性を前提とした、「気遣いあるコミュニケーション」が必要

前述のように「日本語上手だね」といった会話も、人によってはネガティブに受け取る場合がある。コミュニケーションの前提として、どのような配慮が必要なのだろうか。

「エチケットとしてもう少し広がってほしいのは、『目の前にいる人の人種的なバックグラウンドをむやみに聞かない』ということです。
たとえば、北海道で『あなたはアイヌですか?』と無遠慮に聞くのは、非常にセンシティブなことですよね。ですから、ハーフやミックスの人に『ハーフなの?』とか、『親はどこから来たの?』『国籍はどっちなの?』といったプライバシーに関わる質問を、初対面の相手に根掘り葉掘り聞くことは、相手を傷つける可能性があることをしっかりと認識したほうがいいと思います。
相手と触れ合っていく中で、バックグラウンドについて知りたいことが出てきたら、まず『聞いてもいい?』とたずね、同意を得てから始めてほしいと思います。
ハーフやミックスの人でも、英語を全く話せないし、海外のルーツについても知らないという人たちは少なくありません。つまり、すべてが外見や肌の色、名前などに集約されているわけではなく、人種や民族を含めて、人は多様だという認識を持つ必要があるのです。
そうなれば、いきなり『日本人らしいね』とか、『外人、出ていけ』とかいった対応が、自ずとなくなるはずですし、セクシャルマイノリティやフェミニズムなどに対する認識や対応も変わっていくのではないでしょうか」

国籍やルーツに関係なく、ただ目の前の人に「その人」として接する。答えは非常にシンプルなのだ。自分が日常的に持っているバイアスにも目を向け、あらためて考え直してみたい。

立命館大学衣笠総合研究機構 下地ローレンス吉孝研究員

下地ローレンス吉孝

1987年生まれ。He/They。専門は社会学・国際社会学。2020年4月より立命館大学研究員、2021年8月よりハワイ大学・研究員として所属。著書『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)、『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社、2021年)。監訳に『インターセクショナリティ』(人文書院、2021年)。「ハーフ」や海外ルーツの人々の情報共有サイト「HAFU TALK」を共同運営。

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