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村上春樹のおすすめは? “酔えるムラカミ”から“喪失の回復”まで【教授の本棚】

2022年7月22日


村上春樹のおすすめは? “酔えるムラカミ”から“喪失の回復”まで


立命館大学 文学部の瀧本和成教授は、村上文学とお酒との関係に注目し、またそれを愛する文学者のひとりだ。前半記事では、村上春樹がもたらした日本文学の変革を「お酒」をテーマに紐解いてきた。今回は、そんな瀧本教授に村上作品の楽しみ方をご紹介いただこう。初期作品がズラリと並ぶ、その意図とは?

〈この記事のポイント〉
● 『世界の終り』で、上質な虚構を楽しむ
● 今なお高い人気を誇る初期作品は、時系列で読む
● 新しい視点をもたらす「文学的」な読み方
● 「語り始める前」のムラカミを読むべき理由

虚構世界の最高峰『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

前回記事、 「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか に関連して、瀧本教授に“軽くお酒を飲みながら楽しめる作品”を聞くと、「虚構度の高い作品がおすすめ」だという。村上作品において最も虚構度が高く、そして異色でもある作品。1985年に刊行された『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』がそれだ。

「私が個人的に、村上作品で一番優れた作品だと考えているのが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。お酒に酔うことは少しジャンプする行為でもありますよね。現実を忘れさせてくれる。文学もそういう存在だと思います。
この作品を僕が一番に推薦するのは、村上春樹の中で最も虚構度が高いからです。2つの物語が交錯する構成。描かれるのは近未来的な社会で、現実とはずいぶんと距離も時間も違う場所に我々をいざなってくれます。
それは決して幸福な場所ではありません。考えさせられるような場所でもあるし、恐怖を抱く場所でもあるし、震撼するような場所でもあります。しかしながら、そこに救いや愛を目指している側面もあります」(瀧本教授、以下同じ)

この世界感はまさにハードボイルド。ウイスキーをチビチビやりながら、虚構に浸る週末を過ごすのもいい。

『風の歌を聴け』から、順を追って初期作品を味わう意味

風の歌を聴け

『風の歌を聴け』といえば、村上春樹が1979年に群像新人文学賞を受賞したデビュー作であり、ハルキストの中にはこの作品に強い思い入れを持つ人も少なくない。
1970年8月8日から26日までの約3週間、東京の大学に通う「僕」は、夏休みに海と山に囲まれた小さな町に帰郷する。友人の「鼠」と2人、閉ざされた孤独感と深い喪失感を漂わせる中、物語はゆっくり進行していく。
そして、主人公の「僕」は、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』さらに『ダンス・ダンス・ダンス』という一連の作品群で、成長し、出会いと別れを繰り返していくことになる。瀧本教授は、これらの作品を、“あらためて連続して読む”ことを提案する

青春時代の自己形成においては、“もう一人の自己”に出会う体験が、非常に重要だと考えています。『僕』にとってそれは、いうまでもなく『鼠』であり、鼠はもう一人の自分自身でもあります。
もう一人の自分が見えた人は、本当の他者が見えてくる。本当の他者を自覚した人は、社会を捉えることができる。社会が見えてくると、今度は時代と対峙できる。このようなアイデンティティの確立が順を追って描かれていて、どんな時代にどんな読者が読んでも自己と向き合える作品になっている。それが、この初期作品群を愛読する読者が多い大きな理由ではないでしょうか」

これらの作品は、限りない喪失から「僕」が自己を立ちあげていく物語だ。コロナ禍、ウクライナ紛争をはじめとした現在の世界は、極めて大きな喪失をもたらしているともいえるが、瀧本教授は、特に若い世代にこれらの作品を“通して”読んでほしいと語る。

「学生運動以後の世代は、まさしく僕の世代ですが、『しらけ鳥が飛んでいった』という流行語が飛び交った時代で、『しらけた世代』なんです。学生運動にも政治にも無関心だった世代といえますが、その延長線上に現代の若者もいると思います。
村上の言葉を借りると『共闘できない若者たちがそこにいる』。だから、村上は自己の時代を描くというよりも、読者の若者たちに向かって共闘できない姿を描いて、逆説的にいかに共闘するかということを私たちに訴えている気がします。
共に闘うことがいかに重要か。それが生きることとどう関わるのか。人間は一人では生きられず、社会の中で生きるしかありません。その社会にどのように自分たちがコミットしていくかということを、作品を通じて投げ掛けている。そういう意味では現代の若者たちに、むしろぴったりの作品のような気がします」

教授が教える、初期三部作の「文学的な見どころ」

村上春樹 初期三部作

上で紹介した、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は、僕と鼠を軸にした初期三部作と位置付けられている。読書の楽しさを広げる文学的なポイントを、瀧本教授に聞いた。

●『風の歌を聴け』
「タイトルは柔らかな命令形ですが、『聴きながら』という意味で捉えてもいいでしょう。当時、ボブ・ディランの『風に吹かれて』という歌を連想する人も多かったと思います。この歌は、ベトナム戦争という時代背景の中で生まれてきました。
語られてはいませんが、『僕』は傷ついた経験を持つ過去がある。鼠はもっとそれが深刻で、過去を喪失してしまった人物としても描かれています。ベトナム戦争、安保闘争から続く学生運動というものが彼らの大学時代にあって、2人は傷つき、多くのものを失っています。
しかし、その文体は非常に軽快です。感情は抑えられ、“2人の現代”が極めて淡々と描かれます。非常に苦しい過去を、逆説的な手法で描いているところが大きな見どころと言えるでしょう」

●『1973年のピンボール』
「ご存じのように『風の歌を聴け』と連続していて、1973年の『僕』が描かれています。僕が1970年にゲーム、つまりピンボールに夢中になっていたころの台を探していく。
現在、多くの方がいろいろなゲームに夢中になっていると思います。ゲーム機やスマートフォンでゲームをやっていますよね。ゲームに夢中になる行為と現実を生きるという行為の距離や意味を、『1973年のピンボール』と重ねながら読むと、大きな発見があるのでないかと思います

●『羊をめぐる冒険』
「いわゆる三部作といわれている中の最後の作品です。羊が象徴的な存在として描かれていて、ヒューマニズムとしての羊と読んでもいいし、ユートピア的な意味も伴った羊と見てもいいし、『愛』と簡潔に言ってしまってもいいかもしれません。羊を探す旅を続けながら、生きることをもう一度考えるという物語になっています。
当時、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)』が映画化されてヒットしましたが、背景にある問題意識は不思議なほど重なります。『ネバーエンディング・ストーリー』はNothing(虚無)と闘いますが、『羊をめぐる冒険』と同じようにニヒリズム的なものと自ら闘う。
『鼠』は他者ですが、おそらく『僕』の分身という側面があるでしょう。『僕』が自ら、ニヒリズム的な側面を持った『僕』と闘う。自己と『闘う』『向き合う』物語として読んでいくと、喪失と回復が三部作の中で社会的・時代的背景を伴いながら描かれていることがわかると思います」

三部作の後、「僕」の物語の完結編として、『ダンス・ダンス・ダンス』がある。この作品も含め、ぜひ“僕”の物語の結末を体験してほしい。

村上作品の“道標”としたい、“酔える”初期作品群の重要性

2022年3月、村上春樹の短篇小説集『女のいない男たち』に収録された『ドライブ・マイ・カー』を原作とした映画が、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した。旺盛な創作活動でも知られる村上春樹だが、今回瀧本教授が挙げたのは初期作品だった。その理由とは何か?

立命館大学 文学部 瀧本和成教授
立命館大学 文学部 瀧本和成教授

私は、初期三部作や当時の作品群を読まないと、『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品が本当の意味では分からないと思っています。
私は、『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品を個人的にはあまり評価しません。もちろん面白いし、すべて読んでいるし、相対的には優れた作品ですが、それまでの作品とは大きな違いがあります。
それは、『今まで語らなかった村上が語りだした』ということです。
歴史を語りだしました。あるいは事実を語りだしました。虚構度のたくましい、ほろ酔い気分にさせてくれる村上作品が、酔えなくなりました。
学生運動のもとに何があったか。戦後50年を記念して『ねじまき鳥クロニクル』は書かれますが、やはりそこには戦争がある。ノモンハン事件など、リアルな戦争を描いていきます。つまり、村上の認識が深まっていったということでもあります。しかし文学においては、深い認識、深い洞察、広い視野を持ったから、いい作品が書けるとは限りません。逆に語りだしたからこそ、未熟な点も露呈してきたように思います。
そういう面でいうと、『ねじまき鳥クロニクル』より前の虚構度の高い酔える作品を、私は今のところ評価しています」

「語り出した村上春樹作品」への考察は、彼の読者ならば腑に落ちる部分も多いのではないだろうか。作品を批判的に読むことも文学であり、そのような読書についても、機会をあらためてご紹介していく予定だ。
初めての読者はもちろん、「昔読んだな」というあなたも、あらためて村上作品の文学的な読み方をお試しいただきたい。

>>(前半記事)「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか

立命館大学 文学部 瀧本和成教授

瀧本和成

立命館大学文学部教授・文学研究科長。日本近現代文学、特に、森鷗外、夏目漱石、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、北原白秋、木下杢太郎、芥川龍之介等を中心とした20世紀初頭の文学が専門。現在は、大江健三郎、安部公房、村上春樹など現代文学や演劇、映像へと研究対象を広げている。また、京都に関わりを持つ文学者や作品といった領域でも研究を深めている。編著等に、『森鷗外 現代小説の世界』(和泉書院)、『鷗外近代小説集』第2巻(注釈•解題•本文校訂•共編集 岩波書店)、『京都 歴史•物語のある風景』(編著 嵯峨野書院)など多数。Café、Alcohol、麺類、鮨が好き。

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