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「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか

2022年7月21日


「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか


「村上春樹を読んでいると、無性にビールが飲みたくなる」。そんな方も多いのではないだろうか。立命館大学 文学部の瀧本和成教授は、村上文学とお酒との関係に注目し、またそれを愛する文学者のひとりだ。デビュー作『風の歌を聴け』から、極めて象徴的な装置として登場する「村上文学におけるお酒」のヒミツを紐解いていこう。

〈この記事のポイント〉
● お酒と文学の深〜い関係
● 村上春樹作品で、ビールが象徴したものは?
● 村上作品は、近代日本文学へのチャレンジだった
● 文学的視座で読み解く、村上流写実主義

村上作品に通じる、お酒と文学をつなぐ3つのポイント

実は、実家が酒屋だったという瀧本教授。幼少期よりお酒を身近に見てきた経験から、お酒と文学には重要な接点があると指摘する。

立命館大学 文学部 瀧本和成教授
立命館大学 文学部の瀧本和成教授

お酒は元々、神の酒と書いて御神酒(おみき)といわれました。神に差し出す貴重で高価なものとして、『庶民から見れば手の届かない恋人のような存在だった』ということを、まず記憶していただきたいと思います。
それに関連して、『清める・穢れを取り払う』という役割が立ち上がってきます。酒という字は氵(さんずい)に酉(とり)と書き、水と酉に分けてスイチョウとも呼ばれます。飲んで酉のように舞うということで、踊りと深く関わっています。踊ることで、現実から少し逃避することができますよね。現実を忘れさせてくれる。癒しを与える存在であり、奏でる・踊るというエネルギーを蓄えるような行為を象徴するものともいえます。
最後に、「酔夢譚」という言葉もありますが、これは文学そのものとも言えます。お酒に酔って夢を語る物語、これは文学の起源なのです。お酒と文学は、その誕生から、切っても切れないつながりを持っているといえるでしょう」(瀧本教授、以下同じ)

傷を癒やし、止まることなく踊り続ける…。村上春樹の初期作品を代表する『ダンス・ダンス・ダンス』とのつながりも感じさせる、瀧本教授の視点は興味深い。

初期村上作品に欠かせない「ビール」が象徴するもの

特に村上春樹の初期作品において、頻繁に登場するお酒といえば「ビール」だ。登場人物である「僕」や「鼠」は、なぜあれほどまでにビールを飲まなければならなかったのか? 文学的な視点で眺めてみよう。

風の歌を聴け

「デビュー作『風の歌を聴け』を読むと、僕と鼠は、ことあるごとにビールを飲んでいます。ビールは、1970年代・1980年代を代表するお酒であり、いわゆるトレンドとして登場します。当時、日本酒が急激に売れなくなり、ビールがそれに代わっていきます。酒造会社がどんどん廃業に追い込まれ、新しい消費文化が生まれてきた。
日本はまさに大量消費の時代を迎えていました。古くさい日本酒ではない。かといって、スコッチやワインではない。大量消費に最もフィットする“消費財”としてのビールによって、村上は高度資本主義社会をシンボリックに表現していると思います。

〈一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした。〉
〈「ビールの良いところはね。全部小便になって出ちまうことだね。ワン・アウト一塁ダブル・プレー、何も残りゃしない。」〉

『風の歌を聴け』に見られる、このような誇張表現や比喩表現・メタファーは『どうせ何も残らない』『人生なんて儚いものだ』といった、当時の若者の心象風景を表現しているといえるでしょう。
文学作品というのは、多かれ少なかれ時代に依存する存在です。ビールひとつとっても、現在とは違う意味合いで使われていることを意識することで、作品への共感はより深くなると思います」

村上春樹が克服してみせた、近代日本文学の弱点とは?

村上春樹がお酒によって表現したのは、その時代性や心象風景だけにとどまらない。日本の近代文学が描いてこなかったもの、表現できていなかったものを、お酒を媒介にして見事に描き出すことに成功した。

「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか

「日本の近代文学は優れた作品をたくさん輩出しています。そこで描かれてきたのは、夏目漱石の『こゝろ』に代表される、『心』です。心の内部を非常に繊細に、あるいは複雑な模様を掘り起こして描いてきた。そういう意味では日本近代文学の名作は世界に比べても見劣りのしない優れた作品群になっています。
では、日本の近代文学の弱点はどこにあるかというと、『味覚』なんですね。食べるという行為はいつも脇に追いやられています。
村上作品は、『飲む・食べる』という描写が作品を形づくる“主役”に躍り出た、日本で最初の作品だといえるでしょう。飲む・食べるという行為が、いかに人間の身体あるいは精神に影響を及ぼすかを非常に緻密に捉えて描かれている。
私は、村上が日本の近代文学の弱点を知った上で、自らのデビュー作でその弱点を克服してみせたと考えています。その意味でも、彼は日本文学史で大きく位置付けられる作家なのです」

現在は、漫画の1ジャンルとして「食・グルメ」が非常に人気を博している時代である。「村上春樹を読むと、ビールを飲みたくなる」。これはつまり“飯テロ”の原点であり、村上作品は、文学が肉体を介して精神に迫る時代への、大きな転換点であったともいえるのではないだろうか。

「お酒×食×文学者」で表現された「村上流写実主義」

「僕の好きなシーンに、主人公『僕』が友人の『鼠』の隣でビールを飲むという場面があります。ここで主人公は、フローベールを読みながら、ビールと酢漬けの鯵と野菜サラダを食べている。さぞ美味しいだろうと思うだけでなく、私は、ここで村上が意図的にフローベールを登場させたと考えています。
フローベールというと、『ボヴァリー夫人』『感情教育』などが有名ですが、世界的な認識でいうと写実主義(リアリズム)手法の先駆者です。日本の永井荷風もフローベールに影響を受け、初期の作品は写実主義的な作品を書いています。写実主義とは、現実を写す、あるいは事実そのままを見たまま描くという方法を取ります。
一方で村上は、写実主義的な手法を取りながら、同時に、描いている場面は非常に立体的です。つまり、遠近法を駆使した表現になっています。家の構図や人と人との距離感など、登場人物と作者の位置の距離が離れており、望遠レンズを獲得した写真家のような視点を用いています。そういう表現は非現実的な表現になることが多いのですが、リアリズム(写実主義)と遠近法を駆使した非現実的な描写を、見事にバランスさせて描いたところに、彼の技量を垣間見ることができます

瀧本教授は、『ダンス・ダンス・ダンス』における、「佐藤春夫を読みながら黒ビールをホウレンソウとちりめんじゃこを炒めたパスタで食べる」というシーンについても、上記との類似性を指摘する。
文学者と組み合わせて、背後に構造的な立体感を隠している…。文学的な知識を動員して読み解く村上作品は、また違った深みをみせてくれる。

「30センチ浮いている」くらいの酔い加減で愉しむ村上春樹

最後に、「村上春樹作品でビールナイト♪」というイベントを開催したこともあるという瀧本教授に、村上作品を“飲みながら読む”ための作法について、アドバイスいただこう。

「僕は40代ぐらいから、自分の狭い書斎で、スコッチのロックを飲んで読むことが多いです。溶けにくい球状の氷を入れて、30分から1時間をかけて飲みながら読書をするのが、個人的なオススメですね。
もちろん、食事をしながらであればワインもいいですし、冷えたビールを飲み干しながら読むのもいいでしょう。1つコツを挙げるとすれば、“少しだけ酔う”ということが大事なんですね。飲み過ぎると、やはり読書どころではなくなります。
ハイな気分に自分を仕立てるというか、現実から50センチとか30センチぐらい浮かんでいるようなところで自分を留まらせておいて読む。文学は虚構作品なので、そのくらいの浮遊感で読むのがマッチします。TPOに合わせながら楽しめば、お酒は文学のとてもいい仲間になり得るのではないかなと勝手に思っています」

群像

後半では、“飲みながら楽しみたい村上作品”を、引き続き瀧本教授がレコメンドする。ぜひ併せてご覧いただきたい。

>> (後半記事)村上春樹のおすすめは? “酔えるムラカミ”から“喪失の回復”まで【教授の本棚】

立命館大学 文学部 瀧本和成教授

瀧本和成

立命館大学文学部教授・文学研究科長。日本近現代文学、特に、森鷗外、夏目漱石、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、北原白秋、木下杢太郎、芥川龍之介等を中心とした20世紀初頭の文学が専門。現在は、大江健三郎、安部公房、村上春樹など現代文学や演劇、映像へと研究対象を広げている。また、京都に関わりを持つ文学者や作品といった領域でも研究を深めている。編著等に、『森鷗外 現代小説の世界』(和泉書院)、『鷗外近代小説集』第2巻(注釈•解題•本文校訂•共編集 岩波書店)、『京都 歴史•物語のある風景』(編著 嵯峨野書院)など多数。Café、Alcohol、麺類、鮨が好き。

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