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「人生のレギュラーになる」ために。陸上界の名将・荻野由信の育成論

2019年3月29日




陸上界の発展を支えてきた男が、第一線を退く決断を下した。立命館宇治高等学校陸上競技部監督・荻野由信(70)。毎年12月に京都の都大路で開催される全国高校駅伝では、女子の部で第1回大会から30年連続出場、3度の全国制覇を果たすなど、同校を全国屈指の名門に育て上げた名伯楽は、2019年3月いっぱいをもって監督の職を教え子でもある池田恵美(35)に譲り、4月からは総監督としてサポートに回る。
1971年に宇治高校に着任してから半世紀近くにわたり、指導・育成にあたってきた裏側には、どのような苦悩や奮闘があったのか。また、後進にチームの未来を託すにあたって、どのような思いを抱くのだろうか。

「勝ちたいという想い」だけではうまくいかない

「勝ちたい、という想いばかりが先走っていた」若き日の荻野は、その熱意とは裏腹に、思うような実績がなかなか残せなかった。少しずつ、指導者として成長していくことができた陰には、偉大な指導者である先輩たちのアドバイスがあった。
「西脇工業の渡辺公二監督(現日体大陸上部 駅伝総監督)や、報徳学園の鶴谷邦弘監督(故人)など、全国優勝の経験をもつ他校の先生方に、指導のノウハウを訊いてまわっていました。皆さん厳しかったけど、優しく教えてくれた。それを自分なりにアレンジして、チームの指導に取り入れていったのが、今につながっています」

陸上のこと、駅伝のことをようやく「わかるようになった」のは50歳を過ぎてからだという。勝ちたいという熱意に、諸先輩の教えを乞いながら身に着けていった指導ノウハウが加わり、2000年、冬の都大路で立命館宇治は初の全国制覇を達成した。
「急に指導力が身につく、ということはありえません。だんだん、少しずつ、自分のものにしていった、ということですね」

「目先のレースに勝つこと」より「人生において負けない」こと

千葉真子(アトランタ五輪5位入賞、世界選手権で2度の銅メダル)や小崎まり(世界選手権3大会連続出場)をはじめ、荻野の教え子には世界の舞台で活躍したランナーが名を連ねる。そんななかで、自らの後任として白羽の矢を立てたのが池田だった。
「高校時代から、自分自身の確たる『意志』をもって陸上に取り組んでいる選手でした。もちろん選手として優秀な実績を残したOB・OGは他にもいますが、自分の意志を継いで、次の世代へと想いをつなげてくれるのは、池田しかいないと考えました」

池田は打診を受けた当初、驚きと戸惑いを隠せなかったという。しかし同時に、想像もしていなかった新しいチャンスをもらった嬉しさ、そして何より、尊敬する荻野のもとで、指導者としてのスタートを切る喜びを感じたという。
「荻野監督の教えは、単に走ることだけではなくて、人生において大事なことが何かということを学ばせてくれる。自分がどういった指導者になっていくか、ということより、まずは監督からノウハウをきちんと受け継いでいくことに取り組みたい」

池田には思い出のレースがある。それは初優勝した高2の都大路ではなく、高校新記録で優勝した高3のインターハイでもなかった。
「高校3年の高校駅伝、私はケガで鍼治療を続けていて、直前までスタートラインに立てるかわからない、という状況でした。そうしたなかで荻野監督は、私を1区に起用してくれました。結果的にあまり良い走りはできなかったのですが、キャプテンとして、高校最後の舞台でチームのために走りたい、という思いを汲んで、私を信じてくれた。それがとても嬉しかったんです」

荻野がよく選手に伝える言葉に「勝つことよりも負けない人生」というものがある。目先の結果に一喜一憂することよりも、そこに至る過程、またその先の長い人生を見据えて、自分に負けずに努力することが重要であるという教えだ。
「選手たちはレギュラーの座を勝ち取り、高校駅伝の舞台で活躍すべく練習をしている。でも“今の”レギュラーを目指すより、“世の中の”“人生の”レギュラーを目指すということが大切です」

教えは受け継がれ、そして次の時代へ

試行錯誤の末に自らの指導スタイルを確立し、世界へ、そして社会へと羽ばたく教え子を数多く育ててきた。その過程においては、辛いこと、我慢が求められることも多々あったという。
「スカウティングが上手くいかなったり、選手がケガをしてしまったり……。学生たちとの『距離感』にも悩み、気を遣いました。池田は我慢強いけど、それでも音を上げたくなるときもあるかもしれない。いい形でサポートができれば」


荻野は陸上を通じて、勝ち負けとは何か、人生とは何か、選手たちに説き続けてきた。その教えは受け継がれ、そして次の時代へとつながっていく。「やるからには日本一を目指す」と池田は決意を述べた。彼女ならば、きっとアスリートとしてだけではなく、社会人として、“真の日本一”になれるような人間を、数多く育てることができるのだろう。

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