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野球の送球イップス症状を抱える方の3つの特徴が明らかに

2024年4月25日


野球の送球イップス症状を抱える方の3つの特徴が明らかに

野球で、ある日突然ボールを思い通りに投げられなくなってしまう「送球イップス」。その症状が強く現れる人の特徴が、徐々に解明され始めている。2023年に野球の送球イップスに関する論文を発表した立命館大学大学院人間科学研究科の井上和哉助教に、イップス症状と関連する要因について聞いた。

〈この記事のポイント〉
● 当たり前にできていた微細な動作が突然できなくなる「イップス」
● 簡単かつ標的が決まっている状況下で起こりやすい
● ミスに対して叱責される雰囲気がイップス症状を加速させる可能性
● 「失敗しちゃダメ」という思考に、はまり込まないこと
● 普段から、積極的なプレーを称賛し合うようなチームの雰囲気が必要

厄介な魔物、イップス

野球経験者や、野球に少し詳しい人なら、「イップス」という言葉を聞いたことがあるだろう。野球でイップスといえば、ある日突然、ボールを思い通りに投げられなくなってしまうというのが代表的な症状で、「送球イップス」と呼ばれている。

「主な例としては、普段通りに投げているのに、気付いたらなぜかボールが下に叩きつけられているというようなケースです。あるいは、力がボールに伝えられず、山なりの緩い送球なってしまうなどがあります。イップス症状が出てからは、ウォーミングアップのキャッチボールから常に不安感を抱えることや、暴投してしまうかもしれないという思いがずっと頭から離れないという人も多いのです」(井上助教、以下同じ)

そうした厄介なイップスに対する支援・予防に向けて、今、井上助教は客観的な量的データをもとにイップスの研究に取り組んでいる。

イップスは「特定の簡単な動作で標的が決まっている状況下」で生じやすい

イップスは野球に限って起こるのではなく、スポーツや人間の運動動作全般に見られる症状です。ただ、学術的な研究はあまり進んでおらず、明確な定義が定まっているわけではありません。私は研究を進めるに当たって『スポーツパフォーマンスにおける微細な運動技能の実行に影響を及ぼす心理、神経筋の障害』(*1)という定義を使用していますが、一般的には『今まで当たり前にできていた動作が、ある日突然できなくなる症状』と説明されることが多いです」

野球以外のイップスでよく知られているのが、ゴルフのパターが上手く打てずに、入らなくなってしまうという症状だ。実は「イップス」という言葉は、元々、ゴルフの世界から来ている。この症状に悩まされ引退に追い込まれたプロゴルファー、トミー・アーマーが、1967年に「yips」と名付けたのが起源とされている。
野球、ゴルフの他にも、弓道、アーチェリー、ダーツ、テニスや卓球のサーブ、バスケットボールのフリースローなどで、イップスの事例が報告されている。

「様々なスポーツにおけるイップスの事例を見ると、
①ある特定の微細な動作が求められる場面で、
②普通にやればできる簡単な動作であり、
③なおかつ標的が決まっている

といった状況下で、イップスが生じやすいのではないかと共同研究者との間で話しています。逆に、サッカーなど、人がいろいろとランダムに動き合っている中で、蹴ったボールが少しくらい外れても問題はないというような状況下での粗大な動作では、あまりイップスの報告を聞きません

つまり、『ここに投げないと』とか『ここに届かせないと』という意識が不安や緊張を呼び、それがイップスの症状を誘発させるということなのだろうか?

「イップスの発症原因は、かなり多様であり、まだ十分に把握できていません。大きなミスをして、それが引き金になって発症したケース、同じ動作をずっと繰り返すことで、突然投げ方がわからなくなってしまったというケースもあります。イップスの発症原因の解明は、まだ始まったばかりだと言えます。すぐにイップスを精神面の問題として結びつけることには注意をしていく必要があると考えています」

最新の心理療法と結びつけた研究で、イップス症状が強い人の「3つの特徴」が浮かび上がった


イップスの維持要因が解明されていない中、さまざまな治療法が試されている。井上助教によれば、①イメージトレーニング、②認知再構成法、③リラクセーション、④ポジティブな自己教示などが試されてはいるものの、どれも研究の質は低く、有効な治療法は見出せていないという(*2)。
そこで、井上助教は、イップス症状の特徴を整理し、治療効果が期待できそうな方法として、心理療法の一つであるAcceptance and Commitment Therapy:ACT(※)に着目した。今回、発表した論文では、中学生から社会人までの野球経験者292名を対象に、ACTの観点からイップス症状と心理・社会的環境との関連について、質問紙調査を実施した。その結果、次のようなことが分かった。

送球イップスの症状が強い者は、

送球イップスの症状が強い者の傾向

——という、3つの要因と関連していることが明らかになったのだ。

「①から言えることについて、イップス症状が強い人は『失敗しないように』というような考え(文脈)の中で送球している人が多い、ということです。
②について、『思考の囚われ』とは、失敗するのではないかとか、いろいろな考えで頭がいっぱいになり、飲み込まれてしまっている状態のことです。①と②の結果から、そうした思考を俯瞰して、距離を置けるようになれば、イップス症状の軽減に寄与できる可能性はあると考えています。思考から距離を置くことは、ACTという心理療法が得意とするところです。
③について、イップス症状の強い人は、普段の練習でもミスに対して監督、コーチ、仲間から叱責されることが多いと回答していました。そのため、イップス症状の改善には、周囲の配慮も必要であると考えています。しかしながら、今回の研究では、①~③の要因とイップス症状との因果関係までは明確できていないため、引き続き、検討が必要であると考えています」

※Acceptance and Commitment Therapy:ACT
ACTは、認知行動療法の一つで、支援の目的は精神疾患の除去や低減ではなく、生活の質やウェルビーイングの向上を重視している。マインドフルネス、アクセプタンス、コミットメントと行動活性化のプロセスによって、心理的柔軟性を高めていく心理療法である(*3)。

「失敗してはいけない」から「身体をいかに使い、積極的なプレーを行うか」へ、意識を変えることが大切

井上助教の今回の研究から、イップス症状の心理的要因と社会環境的要因がいくつか浮かび上がってきた。この研究成果を踏まえ、井上助教は、スポーツ選手と指導者に向けて次のようなアドバイスを送る。

「イップスの人は、『失敗しないように』という文脈の中で投げ続け、『かばいながら、ごまかしながら』投げるようになってしまっています。失敗してはいけないという考えの中でやるとどうしても動作が縮こまり、パフォーマンスが落ちてくるので、むしろ『失敗をしても良いので、身体を大きく使い、積極的なプレーを行う』『スポーツ自体を楽しむ』『強いボールを投げることや良いプレーを魅せる』というような文脈の中でプレーをしていくことは重要なポイントかもしれません。また、意識のポイントを思考ではなく身体面に向けていくことも大事かもしれません。つまり、体全体のバランスを整える、全身をいかに使うかというところに程よく注意が向けられていることも大切だと思います。
そして、指導者の方々に対してお願いしたいのは、イップスを認める、理解するということです。『練習不足だ』とか『言い訳にするな』ということではなくて、イップスの症状で苦しんでいるということを監督・コーチはしっかりと把握した上で、強い球を放れるように、どのように試行錯誤していったらいいかを一緒に考えていけると良いと思っています。野球を長く楽しむためには、本人の意向を尊重したうえで、内野手から外野手へなど、ポジションの変更も良いと思っています。また、イップス発症の予防のためにも、普段から、ミスに対して厳しく叱責を行うといった指導ではなく、いいプレーを褒める、積極的なプレーを称賛し合う雰囲気の中で練習させてあげることがすごく大事であり、それが強いチーム作りに繋がっていくと思います

先行研究によると、中学野球選手の42%(*4)、大学野球選手の47%(*5)が、イップスの症状を経験しているという。イップスは、可視化されにくいが実は大きな問題であり、その症状に悩まされ辛い思いをしている人は、もちろん野球選手に限らず数多くいるのだ。そうしたイップスに悩まされている人たちの辛さを少しでも軽減させたいと、井上助教は研究をさらに発展させていこうと、身体動作、神経・医学領域との共同研究を考えている。

*1
Clarke, P., Sheffield, D., & Akehurst, S. (2015). The yips in sport: A systematic review. International Review of Sport and Exercise Psychology, 8(1), 156–184. https://doi.org/10.1080/1750984X.2015.1052088
*2
Mine, K., Ono, K., & Tanpo, N. (2018). Effectiveness of management for yips in sports: A systematic review. Journal of Physical Therapy and Sports Medicine, 2(1), 17–25. https://doi.org/10.35841/physical-therapy.2.1.17-25
*3
Hayes, S. C., Strosahl, K., & Wilson, K. G. (2012). Acceptance and Commitment Therapy: The Process and Practice of Mindful Change. Guilford Press.(ヘイズ, S. C., ストローサル, K., & ウィルソン, K. G. 武藤 崇・三田村 仰・大月 友(監訳)(2014).アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版 マインドフルな変化のためのプロセスと実践 星和書店)
*4
賀川昌明・深江 守(2013).投・送球障がい兆候を示す中学校野球部員の心理的特性.鳴門教育大学研究紀要,28, 440-453.
*5
青山敏之・阿江数通・相馬寛人・宮田一弘・梶田和宏・奈良隆章,川村 卓(2021).大学野球選手における送球イップスの発症率とその症状に関する探索的研究.体力科学,70(1),91-100. https://doi.org/10.7600/jspfsm.70.91

井上和哉

立命館大学大学院人間科学研究科助教 博士(人間科学:早稲田大学)、公認心理師、臨床心理士、早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、早稲田大学人間科学学術院助手、助教を経て現職。日本心理学会若手の会 幹事共同代表、日本認知・行動療法学会編集員、研究推進委員会SIG小委員会委員長、日本行動分析学会若手の会 委員。2022年Association for Contextual Behavioral Science: Junior Investigator Poster Award受賞。
 

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