
2024年の出版におけるニュースのひとつに、ガブリエル・ガルシア=マルケスによる長編小説『百年の孤独』の文庫化があった。1972年に新潮社から日本語版が刊行されてから、半世紀ものあいだ文庫化されてこなかった一冊。6月に文庫版が発売されるやいなや、品切れが続出したのは記憶に新しい。“伝説の作品”を、私たちはなぜ「いま」読まなければならないのか。そして、いかにして楽しむべきなのか? 立命館大学 文学部の瀧本和成教授が教えてくれた。
● 『百年の孤独』は読みづらい?
● 魔術的リアリズムとは何か
● 『百年の孤独』の読み方指南 1日1ページでもいい!
● 虚構性の高い物語の力 想像力が私たちを自由にする
『百年の孤独』はなぜすごい? 文学者をも驚かせた“読みづらさ”とは
瀧本教授が『百年の孤独』に初めて触れたのは1980年台の初頭だったという。まずは、その時に感じた衝撃について聞いてみよう。
「当時、私はまだ大学生で、文学を探究する者として、ちょうど『文学とは何か?』を真剣に考え始めていた時期でした。さまざまな入門書や理論書を手当たり次第に読み漁り、それらの理論と自身の読書体験が重なり、文学の道筋が少し見え始めた時期だったように思います。そんなとき、文芸サークルの読書会で取り上げられたのが『百年の孤独』でした。
『百年の孤独』を通じて、文学の本質について多くのことを教えられたと思います。彼の作品は想像力に非常に優れており、『想像力こそが文学の本質である』と気づかせてくれるものでした。作品は、『何だろう、これは?』という驚きやサプライズに満ちています。ガルシア=マルケスは、具体的な形で想像力を示し、それを読者に伝える力を持っています」(瀧本教授、以下同じ)
『百年の孤独』は、休む暇もなく「想像力」と「創造性」が繰り出され続ける作品だ。それは当時の瀧本青年を驚かせると同時に、ある種の混乱ももたらした。

「想像力への驚嘆と同時に、“読みづらい”という体験も強烈に覚えています。文学において、作品を読む困難さに初めて直面しました。
いわゆる『名作』とされる作品は、作品世界に入りやすいものが多く、だからこそ名作とされている部分もあると思うのですが、『百年の孤独』はそうではありませんでした。むしろ、初めて拒絶反応を覚えた作品でもありました。読むのが非常に難しく、『自分の読書のレベルが低いのだろうか?』と感じさせられる体験さえしたのです。
印象的なのは、この作品の構成の複雑さです。我々は通常、シンプルな時間構成を生きていますが、『百年の孤独』では時間構成が非常に複雑に絡み合っています。これほど緻密で大胆な構成を持った作品に、私はそれまで出会ったことがありませんでした。それは、新鮮な驚きでした」
この“読みづらさ”は、ガルシア=マルケスの表現手法「魔術的リアリズム」に由来するものでもある。世界の文学者に衝撃を与えた魔術的リアリズムとは、どのような表現なのだろうか。
「魔術的リアリズム」とは? 虚構と現実が交錯する表現手法
「『魔術的リアリズム』とは、日常的なものと非日常的なものが融合する表現技法のことです。具体的には、私たちが現実で目にしている出来事や経験が、全く異なる次元の体験として描かれることが特徴です。この融合的な表現を『魔術的(マジック)リアリズム』と呼びます」
例えば、作中ではこのような表現が頻出する。
そう言ってから、ミサの手伝いをした少年にいっぱいの湯気の立った濃いチョコレートを持ってこさせ、息もつかずに飲み干した。そのあと、袖口から取り出したハンカチで唇をぬぐい、腕を水平に突き出して目を閉じた。すると、ニカノル神父の体が地面から十二センチほど浮き上がった。
『百年の孤独』より
「このような手法はラテンアメリカ文学において頻繁に見られるもので、特に1960年代にブームとなりました。神話や幻想的な出来事を、緻密な現実描写と融合させるのが特徴です。簡単に言えば、リアリズムを基盤としながら、その中に神話や幻想の要素を取り入れる物語といえます。現実と非現実が混在する、非常に“ストレンジな世界”が再構成されるのです。文学の本質である想像力=虚構性を発揮する方法として、魔術的リアリズム、そしてガルシア=マルケスの小説描写は非常に高く評価されています。
文学は大きく分けてリアリズムと反リアリズムの二つに分類されます。これは世界共通で、この二大潮流が現代に至るまで続いています。ガルシア=マルケスの功績は、この二大潮流を融合させた点にあります。リアリズムか反リアリズムか、という二者択一ではなく『リアリズムであり、反リアリズムでもある』という新しい融合の形を提示したのです。この点で『百年の孤独』は非常に画期的な作品と言えます。
また、現代の神話的世界を創造したとも言えるのではないでしょうか。『ソウゾウ性』には二つの側面があります。一つはイマジネーションによる想像性、もう一つは作るという行為そのものの創造性です。これらを組み合わせた優れた手法が、『百年の孤独』における魔術的リアリズムだと私は考えています」
1日に1ページずつでもOK! “難渋な読み”の向こうに見えるもの
文学部教授をして“難解”だと言わしめる作品に、思わず及び腰になってしまう方もいるのではないだろうか。あるいは、『百年の孤独』を手に入れたものの、その読みにくさに匙を投げてしまった人もいるかもしれない。
私たちは、この「読みづらさ」を、どのように乗り越えればよいのだろうか。
「ガルシア=マルケスは、むしろ難渋な読みを意図的に求めているのだと思います。難渋な読みを通じて、読者が作品の読み方を深めたり、視点を広げたりすることが目的なのです。このような多層的な表現は、読者に対して非常に効果的でもあります。
ですから、『一日や二日で読んでしまおう!』などと思わないことが大切です(笑)。1日1ページずつ、じっくりと読み進める。そして何度も繰り返し読むことで、作品の世界が広がり、深い意味が見えてきます」

コツは、噛みしめるように読むことだが、その“噛みしめ方”とは?
「この作品の難しさは、翻訳の問題だけではなく、原文自体が非常に複雑な表現を持っていることにも由来します。
例えば、日本語では通常、文章の主語や述語が一つずつ対応することが多いですが、『百年の孤独』では一つの文に複数の主語や述語、修飾語が含まれます。それらがどのように関係しているのかを、一度読んだだけでは理解するのは難しいでしょう。
具体的には、文章の文法的な構造に注目すると良いでしょう。一文の中に複数の主語や述語、修飾語が含まれる構造が多いので、これらの関係性をじっくりと考えながら読むことが重要です。最初は一通りの読みしかできなくても、ゆっくりと読むことで十通りの解釈が可能になる。まさにスローフードのように、ゆっくりと作品の味わいを楽しむ過程が魅力であり、それも『百年の孤独』を優れた作品にしている理由です」
『百年の孤独』は、読みやすさに溺れた現代人へのアンチテーゼ
現在、私たちの周りには、『百年の孤独』とは真逆の“極めて読みやすいコンテンツ”が溢れている。スマホ表示に最適化されたニュースや、ショート動画なども、その最たるものだろう。そんな時代に文庫として復活を果たした『百年の孤独』の価値とは?
「現在、例えば新書やネット記事を読んでも、非常に簡潔明瞭で分かりやすく書かれています。もちろん優れた面もありますが、一方で“深みのある文章”をなかなか見かけなくなりました。多義的に読み取れる文章を書く人が減り、それを読む人も少なくなっているように思います。『百年の孤独』は、そうした傾向へのアンチテーゼなのではないかと感じます。
例えば、『読書術』として多読を勧める方法論がありますが、多読は時として人の心や頭を空虚にすると言われています。現在の市場には、そうした『空虚な言葉』が溢れているように感じます。対して、『百年の孤独』は空虚にならないための一つの書物として位置づけられるのではないでしょうか。
我々が生きる社会は単純なものではなく、複雑に絡み合った出来事が連続して起きています。そうした社会を追体験する場としても、この作品は非常に重要な意味を持つと考えています」
現代に“虚構”が必要な理由 真の自由を担う、文学の力
瀧本教授が、文学の本質と捉えている「想像力・創造性=虚構性」。『百年の孤独』は、その意味でも極めて濃密かつ象徴的な作品だ。瀧本教授は、現代において虚構性の高い物語世界を体験することが、大きな意味を持つと語る。
「私たちは現実社会に生きていますが、そこには多くの不自由さがあります。自由を求めながらも、それが叶わない現実に直面することが多い。特に現代社会では、地球環境問題や格差社会、税負担の増加、年金問題、災害、地域紛争など、多くの問題が日々叫ばれています。その中で、若者たちは強い閉塞感を抱えながら生きているように思います。
私は、現実社会と文学作品は対照的な位置にあるのではと考えています。その時代に生きる読者は、反対の世界を求めると言うことです。 つまり、虚構性の発揮された作品が求められる社会は、それだけ疲弊している証ではないかということです。
近代人や現代人が求める自由は、どこにあるのでしょうか?私は、『最も自由な領域は芸術空間にある』という意見です。現実社会が閉塞していても、芸術の中では自由を感じることができ、解放される感覚を味わうことができます。このように、文学や芸術は私たちにとっての解放の場であり、『百年の孤独』もまた、そうした自由の感覚を与えてくれる作品なのです」

もしかすると、ガルシア=マルケスから時を超えて届いたのは、私たち自身を“解放”するためのギフトなのかもしれない。最後は、瀧本教授からのメッセージで本稿を締めることにしよう。
「想像力と創造力を兼ね備えた文学作品の最高峰に挑戦してほしい。作品を読み終えた時、あなたは『ほんとうの自由とは何か』を、知ることになる」

瀧本和成
立命館大学文学部教授・文学研究科長。日本近現代文学、特に、森鷗外、夏目漱石、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、北原白秋、木下杢太郎、芥川龍之介等を中心とした20世紀初頭の文学が専門。現在は、大江健三郎、安部公房、村上春樹など現代文学や演劇、映像へと研究対象を広げている。また、京都に関わりを持つ文学者や作品といった領域でも研究を深めている。編著等に、『森鷗外 現代小説の世界』(和泉書院)、『鷗外近代小説集』第2巻(注釈•解題•本文校訂•共編集 岩波書店)、『京都 歴史•物語のある風景』(編著 嵯峨野書院)など多数。Café、Alcohol、麺類、鮨が好き。