滋賀県大津市の琵琶湖畔にかつて存在し、明治初期に廃城となった「膳所(ぜぜ)城」。今、その幻の城を、デジタル技術でよみがえらせようというプロジェクトが進行している。その画期的な試みはいかに立ち上がり、何を目指しているのか。
● 幻の湖城、ロマンあふれる「膳所城」とは?
● 産学連携で軌道に乗った『甦れ!VR膳所城』プロジェクト
● 最先端のCAD技術が、名城の復活に貢献
● 膳所の観光振興にも期待 VRコンテンツの可能性
膳所城は、徳川家康が「関ヶ原」の勝利後に最初に建てた城
「膳所城」と聞いて、すぐにピンとくる人は、あまり多くないのではないだろうか。初めに、この興味深い城について、簡単なプロフィールにふれておこう。
膳所城は、1601(慶長6)年、徳川家康により、現在の滋賀県大津市の南部、琵琶湖南端の湖畔に建てられた。ここは、琵琶湖から流れ出る瀬田川に当時架かっていた唯一の橋、「瀬田の唐橋(からはし)」に近く、古来から軍事的・政治的要衝とされていた場所。そして、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した後、最初に建てた城でもある。
つまり、天下をほぼ手中に収めた徳川家康が、豊臣氏が残る大阪城や畿内の諸国に対しにらみを利かせるとともに、京へつながる東海道の重要地点を抑えるという戦略を持って建てた城が膳所城なのだ。
この重要な城の築城を任されたのが、「築城三名人」の一人に挙げられる戦国大名、藤堂高虎。高虎は、湖畔を埋め立て、湖中に突き出るような形状で本丸を配置し、その西側に湖水を利用した天然の堀を巡らせた水城を設計した。4層の白亜の天守閣や石垣、白壁の塀と櫓(やぐら)が湖面に浮かぶ姿はとても美しかったようで、後に、長野県の高島城、島根県の松江城と並ぶ「日本三大湖城」のひとつに数えられるようになった。里謠(さとうた)で「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と謡われるように、その美しさは膳所の人々の誇りとなっていた。
膳所城の知名度は決して高くはないが、こうした“プロフィール”だけでも膳所城の歴史的、文化的価値の高さを伺うことができる。
廃城から150年——- CAD技術で城を復元する夢が動き出した
「では、なぜ、膳所城は取り壊されてしまったのか?
皮肉なことだが、水に映る湖城であったことが災いしたらしい。今回のプロジェクトのリーダーであり、立命館大学で2023年度までCADの講師を務めた株式会社CAD ASSIST代表の山本奈美氏は、次のように説明する。
「波による侵食で幾度となく石垣の補修工事を行わなければなりませんでしたし、1662(寛文2)年の大地震により本丸と二の丸が崩れ、建て直しの工事を行ってもいます。膳所藩は6万石の小藩で、城の維持管理は藩の財政を逼迫させていました。
そうした事情もあって、膳所藩最後の藩主で、版籍奉還後に膳所知藩事に任ぜられた本多康穣(ほんだやすしげ)が、1870(明治3)年に『廃城願』を明治政府に出したのです。それが認められると、本丸をはじめとする主要な施設は早々に売却され、石垣も建設資材に転用されるなど、膳所城はまさに解体されてしまいました」(山本奈美氏、以下同じ)
悲劇的な最後となった膳所城だが、廃城から150年近く経った2016年、デジタル技術で甦らせようというアイデアが動き出す。きっかけは、地元、大津市の歴史好きからの提案だったという。
「一緒に仕事をしている大津市の測量会社の社長がたいへん歴史好きな方で、趣味で『膳所城今昔物語』という、現在の地図の上に江戸末期の膳所城と城下町を重ねた地図を作っていました。その社長が『自分は測量が専門なのでここまでしかできないけれど、山本さんの会社のCADの技術を使って建物を造れば、もっとリアルに体感できるようになるんじゃないか』といった話をされたことが、デジタル復元プロジェクトの始まりでした。
私自身、戦国時代の大河ドラマが好きなので、『膳所城が復元できたら絶対にすごい!』と夢が広がっていきました」
暗礁に乗り上げたプロジェクトが、産学連携でVRでの復元を目指し再始動
ところがいざ取り掛かってみると、図面を実際にデータ化するには膨大で緻密な作業が必要になることがわかり、プロジェクトは暗礁に乗り上げてしまう。
この窮地を救ったのが、立命館大学との産学連携だった。2021年、立命館びわこ・くさつキャンパスを拠点に、立命館大学の教授・講師と学生、山本氏が代表を務める株式会社CAD ASSISTが参加して「膳所城 VR Lab.」を結成。「膳所城モデリングVRプロジェクト」として再始動し、最初に動き出した2016年当時は「まだまだ先の話」と考えていた、VR空間での復元を目指すことになった。
プロジェクトが再始動すると、遺構の調査はもちろん、古文書や古地図の収集、築城の背景や当時の築城技術の調査、関係者へのヒアリングなど、多くの人の協力を得ながらさまざまな角度から取り組みを進めた。
「膳所城に関する絵図や史料は、私たちの想定以上に散逸している状態でした。その中でも歴史の史実を明らかにできるところは明らかにしていかなければなりませんから、最初に、大津市歴史博物館の学芸員で膳所藩の研究をされていらっしゃる方にいろいろと教えていただきました。『こういう資料があります』とか、『藤堂高虎が建てた、こういう城のそういう部分を参考にするといいですよ』とか、参考になる情報をたくさんいただきました。
それでも絵図や史料で埋まらない部分がどうしても出てきますから、例えば櫓は愛媛県の大洲城を参考にしているとか、塀は金沢城を参考にしているとか、いろいろな歴史を研究されている方のご意見を参考にして作業を進めていきました」
VR、3Dスキャニング測量、点群データといった先進技術が作業を支える
城の復元の基本となる絵図や古文書が集まっても、それを読み解き、モデリングするためには、建築の専門家や宮大工の方々の知見が必要不可欠。膳所城モデリングVRプロジェクトは、伝統建築技術を持つ建築会社の協力を得て、細かな指導・助言を受けて作業を進めている。しかも、その指導・助言にはVRが活用されている。
「私たちは、徹底的に細部にこだわってデジタル復元させようとしています。細かい箇所については、学生たちと宮大工の方々がVRゴーグルを装着してアバターとしてVR空間に入り、実際にモデリングをした3D環境で確かめながら質問し、助言を受けながら微調整を行なっています。パソコンの画面でやるよりも、多くの人が細部の構造を同時に見ながら作業できるようになりました。
こうしてVRで打ち合わせをすると、例えば全員が屋根の高さまで上がって、空中に浮いているような状態で、『ここの収まりが悪い』とか『屋根はもうちょっと反っていないとおかしい』とか話し合うようなことも起きます。リアルではあり得ないシチュエーションで、滑稽な様子なんですが、VRのおかげで合理的・効率的に作業を進めることができています」
もうひとつ、このプロジェクトで力を発揮しているデジタル技術が、「点群データ」だ。
「大津市内の神社などには、廃城の際に移築された城門など、膳所城の遺構がいくつか残っています。その遺構の一つを3Dスキャニング測量したものが、上の画像です。一見、写真に見えますが、小さな点で構成された測量データで、その小さな点一つひとつが3次元の座標(x,y,z)を持っています。これが『点群データ』と呼ばれるものです。
実際の作業では、モデリングに必要な点群だけに整理し、3D CADに取り込んでモデリングを行っていきます。
これは、モデリングしたものと元の点群データを照合したものです。緑色の表示は、モデリングの誤差が20mm以内に収まっているということを表しています。つまり、緑色の部分が多いほど正確にモデリングできているということになります。
私たちはこの点群データを使ってモデリングの正確さをチェックしながら、より精密なデジタル復元に取り組んでいます」
VR復元した膳所城をきっかけに、膳所に来てもらいたい
プロジェクトは、最初の1、2年、手探りのような状態で作業が進んでいたそうだが、2023年の夏頃、本丸、櫓、塀、門と、次第に城のパーツが姿を現して城らしさが見えるようになってくると、特に学生たちの士気が上がってきたという。
そして、「膳所城 VR Lab.」は、これまでに作成した3Dモデリングを活用して、VR膳所城の完成の前段階となる映像コンテンツの制作を考えた。
「例えばゲーム性を持たせるなどして老若男女が楽しめるコンテンツを生み出していけば、より多くの人に膳所城に興味を持ってもらえるのではないかと期待しています。
第一弾となる子ども向けのアニメーション『膳所城 まちがいさがし探検』が、2024年3月にすでに完成し、大津市科学館で上映されています。一般向けのアニメーションも、2024年の5月に公開されました」
確かに、3Dモデリングされた膳所城を貴重なデジタル観光資源として捉えれば、VR膳所城の完成にとどまらない、さまざまな可能性が生まれてくるだろう。「膳所城モデリングVRプロジェクト」は何を目指しているのだろうか。
「観光地に行くと、よく『VR体験ができます』とか『タブレットを持っていくとAR体験ができます』といったものがありますが、私たちが目指しているのは、現地に行って何かを体験する形ではなく、全国、全世界、どこにいる人でも膳所城が簡単に体感できるようにすることです。『こんなお城があったんだ!』と、まず知ってもらい、興味を持ってもらって、そこから大津の町を訪ねてもらえるようにしていくことを構想しています。
膳所という町は城下町としての街区がきれいに残っている所で、歴史と地域の記憶を刻む痕跡がたくさん埋まっています。それを一つひとつ発見しながらつないでいくと、すごく面白い散策、すごく楽しい観光になると思うんです。蘇った膳所城を、その楽しい観光にコネクトさせていく。さらに、地域のお店や人々にもコネクトさせていく。そうやって、膳所だけと言わず、大津の町全体を元気にしていけるように頑張っていくつもりです」
加えて、プロジェクトを通して山本氏は、学生にチームマネジメントを体験する機会づくりも担っていると語る。
「当ラボでは、『チームマネジメント』ができる人材を目的のひとつにかかげており、全体を確認しながら、チーム、個々の作業にあたるように指導しています。モデリング、CG、広報、マーケティングのチームがあり、1人の学生が兼任しているケースもあります」
現在、リーダーは大学院生で、サブリーダーは学部生の中から推薦された学生が担っているという。マネジメントスキルを身に着けることで、個人スキルを向上させ、プロジェクトの作業効率を向上させるのが狙いだ。
「成功や失敗をくりかえしながら魅力ある人材に育成し、学生のキャリア形成に役立てばと願っています」と話す山本氏。地域に埋もれていた歴史からデジタル技術を駆使して魅力あるコンテンツを生み出し、それを観光資源として活用してまちづくりにつなげていく——。「膳所城 VR Lab.」が抱く構想はスケールが大きく、時間的射程も長い。幻の湖城を我々も自由に散策できる日が早く訪れることを、楽しみに待ちたい。
山本奈美
建設コンサルタントからCAD教育会社へジョブチェンジ。建設業の企業研修を主として2000年から講師として独立。2017年から株式会社CAD ASSIST代表を務める。これまでの受講者は述べ8000人超。2018年から2023年度まで立命館大学理工学部『CAD演習』の授業を担当し、土木業界の新しい技術を伝え授業に取り入れてきた。『膳所城VR Lab.』プロジェクトリーダー。