家族の世話をすることは、特別なことではない。しかしその負担が、学業や仕事、将来の選択にまで影響するとしたら──それは個人の問題として片付けられるものだろうか。近年注目される「ヤングケアラー」は、こうした問いを私たちに突きつけている。本人が自覚しないまま、日常の中でケアを担っているケースも少なくない。
立命館大学産業社会学部の斎藤真緒教授は、「ケアは特定の誰かの問題ではなく、すべての人に関わるものになりつつある」と指摘する。少子高齢化や家族のあり方の変化が進むなか、私たちの社会はその現実に十分に対応できているとは言いがたい。いま求められているのは何か。ヤングケアラーの実情から、「ケアリング・ソサエティ」という新たな視点を探る。
● 「家族のケアはお嫁さん」の時代は終わっている
● ヤングケアラーとは? 担い手への支援が始まった意義
● ケアラーの人生に与えるさまざまな影響に目を向ける
● 「ワーク・ライフ・ケア・バランス」が重要になる
● これからの時代に求められる「ケアリング・ソサエティ」
家族のケアは、「誰の問題」か?
家族の介護や世話を担う子どもや若者──「ヤングケアラー」という言葉は、この数年で広く知られるようになった。しかし、その実態はまだ十分に理解されているとは言い切れない。立命館大学産業社会学部の斎藤真緒教授は、少子高齢化や家族の変化が進むなかで、ケアの問題はすべての人に開かれたテーマになりつつあると話す。
「私たちは、生まれてから死ぬまでケアなしには生きられません。そうした人間の特性を踏まえた上で、これからは単にケアを受ける存在としてだけではなく、人生のいずれかの段階で、すべての人がケアを担う側になる時代が到来すると考えています。
少子高齢化や家族の変化が進むなかで、そうした時代に適応できる社会の仕組みをつくっていく必要があります。
かつて、家族内の介護は、いわゆる『お嫁さん』によって担われるものとされてきました。しかし、そうした家族モデルはすでに成り立ちにくくなっています。そのような中で、男性介護者、ヤングケアラー、ダブルケアラー、ビジネスケアラーなど、多様なケアラーの姿が顕在化してきています。ヤングケアラーも、その一つとして表れている問題だと考えています」(斎藤教授、以下同じ)

ヤングケアラーの問題は、特定の家庭に起きる特殊な出来事ではない。家族のあり方、働き方、地域社会のつながり方が変化するなかで、これまで家庭の中に置かれてきたケアの担い手が、さまざまな形で可視化され始めているのである。
ヤングケアラーとは? その役割に目を向けた支援の重要性
ヤングケアラーとは、家族の介護や日常生活上の世話を過度に行っている子ども・若者を指す。2024年には、子ども・若者育成支援推進法の改正により、ヤングケアラー支援が法制化された。斎藤教授は、この法制化の大きな意義の一つは、「ケアラー」という言葉が使われたことにあると話す。
「もともと『介護者』という言葉を使うと、高齢者介護に意味が限定されがちでした。一方で、ヤングケアラーという言葉によって、高齢者介護だけではなく、家庭の中にあるさまざまなケアを支援の対象として含めることができるようになりました。
例えば、障害のあるきょうだいの世話、認知症の祖父母の見守り、精神疾患や不調を抱える親への感情面でのケア、外国にルーツを持つ家族の通訳や生活サポートなども含まれます。家庭の中にある多様なケアを可視化できたことは、大きなポイントだったと思います」

従来、こうした子どもたちは、十分なケアを受けられていない存在として捉えられることが多かった。しかし、ヤングケアラーという視点は、子どもたちが家庭の中で担っている役割そのものに目を向けるものだ。
「これまでは、虐待の文脈の中で『適切なケアを受けられていない子ども』という捉え方が主流だったと思います。しかし、ヤングケアラーという言葉は、単にケアを受けられていない存在ではなく、家庭の中で彼らが担っている役割に着目し、そこに支援を届けていく対象として提起した点に意味があります。
また、福祉制度は基本的にケアを受ける人のニーズを起点に設計されてきました。そこに対して、ケアの受け手だけではなく、ケアの担い手であるケアラーを支援対象として位置づけたことも、大きな転換点だと考えています」
一方で、ヤングケアラーの実態はいまだ見えにくい。特に18歳以上の若者ケアラーは、生活拠点が分散し、学校や地域の支援からこぼれ落ちやすい。
「調査では、若者ケアラーの多くが、自分がヤングケアラーであることを認識していなかった、あるいは認識が遅れたと答えています。支援を求めようという意識も低く、自分も大変だけれど、声を上げても何も変わらないという諦めや無力感が広がっているように感じます」
ケアの負担は、「何をしているか」だけでは測れない
ヤングケアラーの実情を考えるとき、しばしば問われるのが「お手伝い」との違いである。家族のために何かをすること自体は、決して否定されるものではない。では、どこからが支援を必要とするケアになるのか。
「お手伝いとヤングケアラーは、おそらく地続きの関係にあります。入り口は『ちょっとこれを手伝って』という日常的なお手伝いです。それがルーティン化し、役割が広がっていくことで、ヤングケアラー化していくのだと思います。
もちろん、家事や掃除、お金の管理などはライフスキルの獲得にもつながるので、お手伝い自体はすべての子どもが経験してよいものだと思います。ただし、緊急事態に子どもだけで対応しなければならない状況になっていないか。あるいは、ケア以外に子どもがやりたいことに、ちゃんと時間とエネルギーを注げる状態になっているか。そこが大事な境界線になります」
ただし斎藤教授は、「これはヤングケアラーで、これはお手伝い」と線引きする議論にとどまることには慎重だ。なぜなら、ケアラーが抱える大変さは、目に見える行為だけでは捉えきれないからだ。
「ケアラーであることの大変さは、具体的に何をしているかという行為よりも、その水面下にある状態にあると思っています。
ケアをしていない時間でも、常にケアに合わせた生活の仕方や時間の使い方を考えなければならない。遠くに行きにくい、予定を立てにくい、いつ何が起こるかわからない。そういう、ケアと隣り合わせでいる状態そのものに大きな課題があります」
たとえば、障害のあるきょうだいがいる子どもが、現在は直接的な世話を担っていないとしても、将来その役割を引き受けるかもしれないという不安を抱えながら育つことがある。目に見える行為がなくても、『家庭の中にケアがある』という状態が、進路や将来像に影響を及ぼしていくのである。
「ヤングケアラーの根っこにあるのは、家庭の中にケアがある状態で小さい頃から育つ中で、自分自身の夢やライフチャンスを、ケアに合わせる形で萎縮させてしまうことだと思っています。
当事者の方々がよく使う言葉に『罪悪感』があります。自分にはやりたい夢がある。けれども目の前には困っている家族がいて、使える資源も少ない。そうすると、自分が県外の大学に行きたいと思っても、家族に我慢してもらうしかなくなる。その葛藤の中で、自分から人生にブレーキをかけてしまうことがあるのです」

すべての世代における「ワーク・ライフ・ケア・バランス」という視点が必要
ヤングケアラーの問題は、子どもや若者だけに限られたものではない。少子高齢化、家族形態の変化、働き方の多様化が進むなかで、ケアを担う人の姿そのものが変わりつつある。
「今のヤングケアラー支援は、ともすると『子どもは救済や保護の対象であり、ケアを担わせるべきではない』という点が強調されます。もちろんそれは大事です。ただ、それだけでは『では大人が頑張ればいい』という二分法が生まれてしまいます。
本当に問うべきなのは、家族にケアが偏っているという問題そのものです。子ども・若者だけではなく、すべての世代の多様なケアラーを包摂する仕組みが必要だと考えています」
実際、18歳以上の若者ケアラーは、支援の網からこぼれ落ちやすい。学校を通じた把握が難しくなり、生活拠点も分散する。進学や就職のタイミングで、ケアとの両立に直面する人も少なくない。
「調査では、若者ケアラーの多くが、ケアのために学業や仕事に影響があったと答えています。進学の断念、就職活動の困難、非正規雇用への固定化、離職、経済的困窮など、ケアによる影響は長期化しやすい。社会的な不利益が累積していく中で、その後の中高年シングルや多重ケアラーにつながっていく可能性もあります」
ケアは、仕事との両立にも大きく関わる。いまはビジネスケアラー、ワーキングケアラーという言葉も使われるようになったが、仕事をしながら家族を支えることは、単なる時間調整の問題ではない。
「私は、ワーク・ライフ・バランスではなく、あえてワーク・ライフ・ケア・バランスという言葉を使っています。ワーク・ライフ・バランスと言ってしまうと、ケアが私生活の中に埋没してしまい、その課題が見えにくくなるからです。
ケアを続ける人にとって、仕事を続けることや学校に通えることは、経済的な基盤を安定させるだけではありません。ケアとは異なる生活空間や時間、対人関係、社会的評価を持てるという意味で、メンタルヘルスの観点からも極めて重要です」
ケアは、誰かの生活を支える大切な営みである。一方で、それが特定の人に長く偏れば、その人自身の時間や人生を削っていく。ヤングケアラーから見えてくるのは、これから多くの人が直面しうる、ケアと生活の両立という社会全体の課題だといえる。
ケアと自分の人生を両立できる社会「ケアリング・ソサエティ」へ
これまでの社会では、ケアは家族の中で担われるものと考えられがちだった。だが、その前提はすでに揺らいでいる。ケアを必要とする人への支援だけでなく、ケアを担う人自身の生活や人生に目を向けること。その先にある社会像として、斎藤教授が掲げるのが「ケアリング・ソサエティ」である。
「すべての人間が、ケアの受け手だけではなく、ケアの担い手になる時代が来ています。だからこそ、福祉の問題だけではなく、教育や経済をも包摂する新しい社会のデザインが求められていると思います。その期待を、私は『ケアリング・ソサエティ』という言葉に込めています」
では、その社会はどのように実現できるのか。斎藤教授が重視するのが、「家族まるごと支援」という考え方である。
「今の福祉の仕組みは、基本的にケアを必要とする人のニーズを起点に設計されています。しかし、ケアは関係性や生活の中で起きてくるものです。だからこそ、本人だけでなく、その隣にいる家族やケアラーのニーズも含めて捉える必要があります。
家族まるごと支援では、家族を責めるのではなく、家族全体が支援を必要としているという観点で関わっていきます。ケアの受け手のニーズと、ケアの担い手のニーズを調整することが大事です」

もう一つ重要なのが、問題が深刻化してから対応するのではなく、ケアが発生した段階から支援につなげることだ。たとえば家族が病気になったとき、障害者手帳の申請を行うとき、認知症の診断を受けたとき。そうしたタイミングで、家族の中の誰か一人にケアが偏らないようにする仕組みが求められる。
「今の支援は、学校に行けなくなったり、家庭の中で子どもが多くのケアを担うようになったりしてから発見されることが少なくありません。いわば事後救済型です。
本来は、ケアが発生した時点で、家族の中にどのような役割分担が生まれているのかを見て、特定の誰かに過度な負担が偏らないように支えていく必要があります」
斎藤教授が取り組むプロジェクト(JST-RISTEX事業「ケアの葛藤に寄り添い、ケアラーの社会的孤立・孤独を予防する包括的支援システムの構築」)では、具体的な実践も始まっている。たとえば、若者ケアラーが一時的に家を離れ、睡眠を確保したり、勉強に集中したり、自分の生活を立て直したりするための「ユース・ショートステイ事業」。また、言葉で表現しにくい葛藤をアートによって表す「ケア×アート」の取り組みや、外国にルーツを持つ子ども・若者を支えるAI活用の試みも進められている。
さらに、大学における支援も重要なテーマである。斎藤教授らは、大学生ケアラーをはじめ、ケアを担うあらゆる大学構成員を包括的に支える「ケアフル・ユニバーシティ」を目指す取り組みに着手している。
「高校までのケアラー支援は少しずつ整えられてきていますが、大学生ケアラーへの包括的な支援はまだ十分ではありません。大学生の場合、自分自身に障害や病気があるわけではなく、家族にケアの状況があるため、どのような授業配慮やキャリア支援が必要なのかを考える必要があります。
また、企業との連携も大事だと思っています。ケアを担ってきた学生は、いわゆる『ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)』に書ける経験が少ないと感じていることがあります。しかし、ケアを通じて培われた共感力、人の話を聞く力、マルチタスク能力などを、きちんと評価できるような物差しを考えていくことも必要です」
ヤングケアラーの問題は、特定の家庭に起きる例外的な出来事ではない。家族のあり方や働き方が変化するなかで、ケアを誰が、どのように担うのかという問いは、誰にとっても避けがたいものになりつつある。
誰かを支えることと、自分の人生を生きること。その両方を諦めないために、ケアを家族の中だけに閉じ込めず、社会全体で分かち合う仕組みをどうつくるのか。ヤングケアラーから見えてくるのは、これからの社会に向けられた、その問いである。

斎藤真緒
立命館大学産業社会学部教授。立命館大学社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。専門は家族社会学。思春期保健相談士。立命館大学人間科学研究所「子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクトYCARP」代表。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」運営委員。ジェンダーと世代という観点から、多様化するケアを分析し、ケアラー支援政策のあり方を研究している。主著として、『子ども・若者ケアラーの社会学:ケアリング・ソサエティの創造』(編著、クリエイツかもがわ、2026年)、『子ども・若者ケアラーの声からはじまる―ヤングケアラー支援の課題』(共編著、クリエイツかもがわ、2022年)





