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歌舞伎町の“血液”は「客引き」だった!? 社会学が浮き彫りにする歓楽街の潤滑油

2022年10月13日


歌舞伎町の“血液”は「客引き」だった!? 社会学が浮き彫りにする歓楽街の潤滑油

かつて、東洋一の歓楽街とも呼ばれた「新宿・歌舞伎町」。この“眠らない街”を、社会学の視点で研究しているのが、立命館大学産業社会学部の武岡暢准教授だ。武岡准教授は街の住民よりもむしろ、「街で働く人」が主役となっている歌舞伎町の特殊性に着目し、「客引き」の存在や働きなどにも目を向けて、社会学の見地から歌舞伎町や職業の概念をとらえ直そうと試みた。研究から見えてくる、歌舞伎町の本来の姿とは?

〈この記事のポイント〉
● 歌舞伎町という町の成り立ち
● 流動する労働者を象徴する「客引き」の存在
● 風俗産業と街のルールがせめぎ合いバランスする街
● 社会を映す「職業」という視点の重要性

「当事者不在」という側面もあった歌舞伎町の街づくり

武岡准教授の歌舞伎町研究のきっかけとなったのは、2010年前後に新宿区などが進めていた「歌舞伎町ルネッサンス」という取り組みだった。区や歌舞伎町商店街振興組合に警察や消防なども加わり、より良い街をつくるための議論や活動が行われた。
しかし、歌舞伎町に多く存在する風俗産業の扱いなどについては、新宿区と振興組合では立場が異なることも多い。さらに、地主やビルのオーナーなども、基本的には不在地主や不在ビルオーナーで、常に歌舞伎町に身を置いているわけではなく、主体的に歌舞伎町に関わるわけではないケースも多い
このような街を、社会学的に掘り下げていくにはどうすればいいか?

武岡准教授が歌舞伎町を構成する要素のひとつとして注目したのが「客引き」だった。

意外と知らない客引きの実態 「フリーの客引き」とは?

歌舞伎町の“血液”は「客引き」だった!? 社会学が浮き彫りにする歓楽街の潤滑油

歌舞伎町の客引きにはふたつのタイプがあり、ひとつは店に所属している客引きです。このタイプの客引きにとっては、自分が所属している店に、お客さんを連れていくことが仕事になります。これは非常に一般的なので、イメージしやすいのではないでしょうか。
そしてもうひとつは、客引きを生業としている『フリーの客引き』という存在です。店に所属している客引きが自分の店にしかお客さんを案内できないのに対して、フリーの客引きはさまざまな案内先を持っています。
お客さんに『今日はどんな気分ですかね。キャバクラですか、フィリピンパブですか、ヘルスですか』といった調子で話しかけ、お客のニーズに応じた店を紹介します。つまり、観光案内所と同じような役割をインフォーマルに果たしている存在ともいえます。フリーの客引きは、それぞれの店と契約を結んでいて、店に案内するごとに報酬を得ることになっています。フリーの客引きとは、客引きを専門的な職務とした、客引きの中の客引きということができるでしょう。
歌舞伎町は、インフォーマルな経済を含めて、毎日大量の人とお金が循環し、流通するひとつの市場を形成しています。そしてその潤滑油になっているのが、客引きやスカウトといったブローカー、仲介者の存在です」(武岡准教授、以下同じ)

武岡准教授はこのような視点から、「歌舞伎町が大規模な風俗産業を維持し続けられている要因のひとつには、客引きの存在があるのでは」と考え、論文を発表している。街は、旧来の経済学がモデルとしてきたような抽象的な市場のメカニズムだけで成立しているのではなく、中間に立つ人々の目利きや、対人関係ネットワークの上に成り立っているのではないか、と武岡准教授は考えている。

「生き延びる都市」「歌舞伎町はなぜ〈ぼったくり〉がなくならないのか」
武岡准教授の著書「生き延びる都市」「歌舞伎町はなぜ〈ぼったくり〉がなくならないのか」も、歌舞伎町でのフィールドワークから生まれた

ぼったくりなど、悪質な行為が客引きの首を絞める可能性も

現在の歌舞伎町では、「客引きを禁止しています」といったアナウンスが、街頭スピーカーを使って頻繁に流されている。そうした制約は、ブローカーたちの存在にどのような影響を与えるのだろうか。

立命館大学大学院社会学研究科 武岡暢准教授
立命館大学産業社会学部の武岡暢准教授

「悪質な客引きの取り締まりに関しては、歌舞伎町商店街振興組合も、自分たちのまっとうな商売が阻害されるという理由で、警察や新宿区に以前から申し入れをしています。フリーの客引きが観光案内所の機能を担っていると言いましたが、中には『ぼったくり』や、最近問題になっている『プチぼった』などと深く関わっている者もいて、必ずしも客の満足度を高める存在ばかりではありません。
こうしたさまざまな人間や力関係のせめぎ合いの中で、不安定だけれどもバランスを保っているところが歌舞伎町という街の興味深い部分だとも思います。客引き禁止のアナウンスが行われる中でぼったくりが横行し、客が客引きを避けるようになりすぎると、悪質な客引きは自分の首を自分で絞めることになり得ます。逆に客の役に立つ客引きがいると、客が『客引きって結構いいじゃん』と思ってしまい、かえって「ぼったくり」の餌食になるかもしれません。さまざまな要因が複雑に絡まり合って、歌舞伎町という社会が成り立っています

「歌舞伎町は怖い・危ない」は思い込み? 歌舞伎町の社会性とは

客引きというブローカー的存在を筆頭にして、歌舞伎町に対しては、多くの人が「特殊な繁華街」というイメージを持っているだろう。しかし、実際に現地調査をしてみると、他の街と変わらない部分が多いという印象を持ったという。

「歌舞伎町で働いている人たちは、目の前の仕事をこなすので精一杯なところがあり、それはどの地域のどの職場でも変わらないものです。歌舞伎町に遊びに来ている人たちとのやり取りや会話も、当たり前のことですが、特殊なものではありません。たとえば、合コンに行ったことがないと、合コンでの会話は独特なものではないかと想像するかもしれません。しかし、実際には特に変わったものではなく、ごく普通の会話が交わされるのと同じことです」

武岡准教授は、街の人々が話す内容はもちろんのこと、自治体や町会、ゴミ出しにまつわるようなルールについても、「他の地域とあまり違わないのでは」という。一方で、特徴的な部分もある。それが、商売に関係する法令についてだ。

歌舞伎町の人たちは、自分たちに関係ある法令に関しては非常に敏感です。たとえば、ガールズバーの営業は風俗営業の許可がいらないといった法律に関する知識や解釈、『この法律に違反しても誰も捕まえない』といった運用の実態などについては、他の地域以上に意識したり、詳しかったりする面があります。こうしたルールを把握していないと、歌舞伎町での商売で損をしたり、退場させられたりするので、もちろん必死です。ちなみに、ガールズバーに風俗営業許可がいらないというのは誤解であり、誤りなのですが…」

「職業」という切り口が、社会学に新たな可能性を与える

歌舞伎町での調査研究は、これからの社会学でどのように生かされていくのか。武岡准教授のビジョンを聞いた。

「歌舞伎町は、住んでいる人ではなく、働いている人によって成り立っている地域です。このような地域を都市社会学ではあまり取り上げてきませんでした。一方、働くことを取り上げる労働社会学や産業社会学なども、歌舞伎町のような仕事については、あまり研究していません。
既存の研究では、労働や仕事あるいは職業という概念や、コミュニティあるいは都市や地域などという言葉がすごく狭く扱われていて、歌舞伎町のような街は対象に含まれていなかったのです。また、経済学や政治学などの社会科学の他の分野でも、職業に関してはあまり研究していません。そこで職業という概念を、社会学としてとらえ直せないかと考えています。
職業は研究価値が低い概念ではなく、むしろ、人々の人生を左右する人生の最大の要素のひとつといえるぐらいの存在です。現実における職業の大きさに見合うような形で、社会学の中で職業という概念を新たにとらえて、その中で風俗産業の働き方や、非正規雇用やパートタイムなど、従来の職業の定義にはうまく収まらない働き方をうまく扱えるようになったらいいと思っています。もちろん、歌舞伎町で調査して得られた知見がすぐに一般化できるわけではありません。私の研究はようやく仮説を立て始めた段階で、まだまだこれからです」

街で働く人々や、その職業を切り口に社会を捉える。職業や労働力の流動性が大きく高まる中、この新しい視点が社会学の可能性を広げていくことは間違いない。その研究成果は、「より良い社会」への示唆を与えてくれるはずだ。

立命館大学産業社会学部 武岡暢准教授

武岡暢

1984年、東京生まれ。専門は社会学(都市、職業)。立命館大学産業社会学部准教授。著書に『生き延びる都市——新宿歌舞伎町の社会学』(新曜社、2017年)、『歌舞伎町はなぜ〈ぼったくり〉がなくならないのか』(イースト・プレス、2016年)、“Sex Work” (The Routledge Companion to Gender and Japanese Culture, 2020)、共編著に『変容する都市のゆくえ——複眼の都市論』(文遊社、2020年)など。

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