グローバリゼーションの時代だからこそ学び直したい ドメスティックな文化と歴史
2018年11月16日
京都伝統
ビジネスパーソンを語る時、「世界標準」を身に着ける重要性が叫ばれて久しい。一部企業では、多国籍化の波に合わせ英語が社内公用語化されるなど、さまざまな取組みが進められていることはご存じのとおり。円滑なコミュニケーションのためには、言うまでもなく「異文化理解」が必要不可欠だ。
一方で、世界で活躍する“グローバル人材”の多くが「日本の歴史や文化的背景への深い理解が必要だ」と、一様に語っている。自国文化への理解を考えたとき、単に歴史教科書を理解していることが重要なのではない。むしろ、いま我々が身を置く「身近な世界」がどのような歴史の上に立っているのかという、“ドメスティックな視点”こそが重要になる。
都市研究を専門とする立命館大学文学部の加藤政洋教授の研究からは、古都・京都に連綿と続いてきた風俗文化の変遷の中に、現代に続く連続性と変化のポイントを見ることができる。「伝統といわれるものは、継承された部分と革新部分が両輪を成しています。いわば新しさが加わるからこそ時代に飲まれず続いていくのです」と語る加藤教授。
その“革新”の本質をつかむことが、未来を志向するビジネスにおいて大きなヒントとなるはずだ。
コスプレやハロウィンの原点は芸妓にあり!?
加藤教授はある日、大量の35mmフィルムを古書店で見つけた。
フィルムに写されていたのは昭和30年代の京都。祇園の芸妓が遊郭の内外を練り歩く『ねりもの』行事だった。
「江戸時代中期に始まったこの行事は当初、芸妓が風流を尽くした装いで社へ詣でる祭礼でしたが、明治期に入ると現代の“コスプレ”のように仮装した芸妓が練り歩く、エンターテインメント性を帯びた催しに発展しました。さらに1936(昭和11)年には従来の形態を大きく逸脱。風俗史研究家・吉川観方の時代考証のもと1月から12月まで月ごとにテーマを設定し、それに即した人物に扮した芸妓や舞妓が練り歩く趣向が取り入れられました。『五条橋の月(牛若丸)』『仲之町の花雲(助六)』『猿若町の寒牡丹(暫)』など、物語から出てきたような装いの芸妓が町を練り歩く非日常な光景は、当時の人にはまさにスペクタクルだったでしょう」