社会課題が複雑化するなか、政策立案を担うキャリア官僚の重要性はかつてなく高まっている。近年、その第一関門である国家公務員総合職試験で、立命館大学が東大・京大に続く全国3位の合格者数を記録し、注目を集めた。その背景にあるのが、大学低年次から行政キャリアへの志と素地を育てる立命館大学の教育プログラム「霞塾」だ。官僚の仕事とはどのようなものなのか。そして、その担い手はどのように育つのか――カリキュラムの紹介にとどまらず、行政人材育成の最前線をひもとく。
● 東大・京大に次ぐ全国3位の合格者数を輩出する立命館の「霞塾」
● 国家公務員は答えのない問題に挑む仕事
● 受け身から自分事へ。社会とのかかわりをどうとらえるか 国家公務員に必要な視点
● 影響力の大きい仕事だからこそ、確かな動機が問われる 志をどう養うか
霞塾とは何か――“官僚の仕事”を追体験するプログラム
国家公務員という進路は、多くの学生にとってどこか遠い存在に映る。政策立案を担う「キャリア官僚」と聞けば、霞が関のオフィスで机に向かう姿を思い浮かべるかもしれない。しかし、その実像は必ずしも表から見えるものではない。
そうした“見えにくさ”を乗り越え、行政の仕事を自分ごととして捉える機会を提供しているのが、立命館大学のキャリア教育プログラム「霞塾」である。2013年にスタートしたこの取り組みは、主に大学1・2年生を対象に、行政キャリアへの理解を深め志を育てることを目的としている。
プログラム立ち上げ当初から設計に関わってきたのが、立命館大学の紀國洋教授だ。建設省での官僚経験も持つ紀國教授は次のように語る。
「霞塾は通常の進路支援の枠にとどまるものではなく、行政の現場に必要な思考や姿勢を、早い段階から身につける場として構想されました。一般的なキャリア教育では、職業について話を“聞く”ことが中心になりがちです。しかし霞塾では、学生自身が課題に向き合い、考え、議論することで、仕事の本質に触れていくことを重視しています。
大きな特徴は、立命館のOB・OGである現役のキャリア官僚が講師として参加し、政策課題をテーマにしたグループワークやディスカッションを通じて、学生自身が『官僚の目線で考える』経験を積めることです。地方創生などの社会課題を題材にした演習では、利害の異なる主体の視点を踏まえながら解決策を模索し、現実の政策形成に近いプロセスを体験します。」(紀國教授)
単なる情報提供ではなく、思考と体験を通じて職業理解を深める――。霞塾は、行政という仕事を“遠い世界の話”から、“自分が関わり得る現実”へと引き寄せる場となっている。
なぜ「大学1・2年次」から始めるのか
霞塾が対象としているのは、主に大学1・2年次だ。国家公務員を目指すのであれば、試験対策が本格化する3年次以降でもよいように思える。だが、霞塾はあえて低年次から始めることに意味を置いている。
その背景にあるのは、国家公務員総合職試験に合格することと、実際に最終合格後に各省庁で行われる面接を突破して、官僚として働くことのあいだには、大きな隔たりがあるという認識だ。紀國教授は、霞塾立ち上げ当時の課題をこう振り返る。
「国家公務員総合職の試験対策そのものは、大学として以前から行っていました。ただ、筆記試験を突破しても、その先の『官庁訪問』で苦戦する学生が少なくなかったのです。そこで問われるのは知識だけではありません。国家公務員として何をしたいのか、社会の中で何を変えたいのか。そうした志や仕事理解が不十分なままでは、なかなか突破できません」(紀國教授)

官庁訪問とは、筆記試験合格後に各省庁を訪ね、面接などを通じて採用につなげていくプロセスのことだ。人事院が実施する国家公務員試験そのものは、あくまで資格試験に過ぎない。実際に霞が関で総合職、いわゆる「キャリア官僚」として働くためには、合格後、資格として有効な5年間(教養区分であれば7年間)の間に、各省庁で行われる採用面接に参加し、当該省庁での内定・採用を勝ち取らなければならない。試験の最終合格後もなお選抜が続くこの段階で問われるのは、単なる成績や受験テクニックではない。自分の言葉で問題意識を語り、自らの進路として国家公務員を選ぶ理由を説明できるかどうかが大きいという。
だからこそ霞塾では、行政の仕事そのものに早くから触れることを重視している。社会課題に向き合う視点や、異なる立場の利害を踏まえて最適解を考える姿勢は、短期間で身につくものではない。低年次のうちからそうした経験を積むことが、その後の学びや進路選択の土台になる。
霞塾の学外アドバイザーとして立ち上げ期から関わってきた福嶋慶三さんも、大学の早い段階でこうした学びに触れる意義は大きいと話す。立命館大学法学部を卒業後、環境省に入省。現在、兵庫県明石市役所に理事(総合政策担当)として出向中の福嶋さんは、学生時代と社会に出た後とでは、向き合う問題そのものが大きく異なると指摘する。
「大学に入るまで、多くの人は基本的に“答えが用意された問題”を解いてきます。入試が典型的ですよね。でも社会に出ると、向き合うのは“答えのない問題”です。国家公務員の仕事は、その最たるものです。前例のない社会課題に対して、自分の頭で考え、関係者と調整しながら、その時点で最善と思える答えをひねり出していかなければならない。霞塾では、そういう世界に少しでも早く触れてほしいと思っています」(福嶋さん)
福嶋さんによれば、霞塾は単に国家公務員という職業を知るための場ではない。社会のルールや制度が所与で不変のものではなく、誰かによってつくられ、支えられているものであるということに気づき、自分もまたその作り手や担い手になりうると知る場でもあるのだ。
「例えば、朝起きて顏を洗うため、水道の蛇口をひねれば、水が出る。私たちはそれを当たり前だと思って暮らしていますが、その“当たり前”を作り、支えているのが行政です。学生たちには、そうした社会の土台に目を向けてほしい。そして、その土台が時代に合わないと思えば、変えていかなければならないわけですが、国家公務員はそれができる仕事です。社会の土台を時代にあった形にリデザインしていく。霞塾では、まさにそういった政策立案の場面そのものを数多く疑似体験してもらうわけですが、その過程で、自分も社会の一員であることに気づき、自分は今後、社会とどう関わっていくのか、いきたいのかを考えるきっかけにしてほしいのです」(福嶋さん)

キャリア官僚とは何者か――“想像とは違う”仕事の実像
では、その「キャリア官僚」とは、実際にはどのような仕事なのか。霞塾で伝えられている内容の背景には、現場で働く官僚のリアルがある。
福嶋さんは、環境省に入省後、海外留学や国際交渉、地方自治体へ出向してのまちづくり、様々な環境政策の立案といった経験を経てきた立場から、一般に抱かれがちな官僚像とのギャップをこう語る。
「学生の頃は、官僚というと“頭が良くて、霞が関のオフィスに籠って政策を考えている人たち”というイメージを持っていました。でも実際に働いてみると、仕事の本質はむしろ“人と向き合うこと”でした。当たり前ですが、政策は一人でつくるものではなく、関係省庁はもちろん、自治体、企業、市民など多様な主体の利害が複雑に絡み合う現場で立ち回ることになります。その中で立案した内容についての合意を形成し、実行可能な形に落とし込んでいくプロセスこそが、官僚の仕事の中核です。絵にかいた餅を、実際に食べられるようにしていくわけです。
たとえば新しい施策をつくる場合は、最初から正解があるわけではありません。現場の状況を見て、自治体の取り組みを調べて、関係者に話を聞いて、海外の事例も参考にしながら、少しずつ形にしていく。そうやって“ゼロから1”を生み出していくのが霞が関の仕事です」(福嶋さん)
環境省の「熱中症警戒アラート」ができるまで
福嶋さん自身が環境省で作ってきた政策の中の1つに「熱中症警戒アラート」があるという。気候変動が進む中で、年々、熱中症が増加しており、新たな健康リスクへの対応が求められている。幸い、熱中症自体は防ぐことのできる病態だ。ただ、どのように人々にそのリスクの重大さを知らせ、予防行動に繋げていくか。熱中症で亡くなる人を一人でも多く減らすためのプロジェクトは、まさに創発・共創の連続プロセスだったという。
「新しい政策を考えるにあたっては、まず、これまでの既存の制度はもちろん、自治体や海外の政策で参考となるものがないかを徹底的に調べます。その中で、実はラッキーも重なったのですが、参考になると思っていた埼玉県熊谷市の取組をヒアリングさせていただくタイミングで、同じく、参考になりそうだなと思っていたイングランド保健省のプログラムに関わられた英国ダラム大学の教授がちょうど来日されていて、しかもその日、熊谷にある立正大にいらっしゃるとのことで、同日にお話を聞かせていただくことができました。それで、一気に考えていた政策案の解像度があがりましたね。
同時に、熱中症の危険性が高まると予測された際に、どうやって国民に広くその情報をアナウンスしていくとよいのか、といったことも考えていました。そこで、同じく熱中症対策の必要性を感じていた気象庁の担当者と意気投合し、いまの『熱中症警戒アラート』の原型となる政策案を一緒に創り上げていきました。熱中症の予防や対策に必要な情報は環境省が整理し、いざという時の情報発信を気象庁が持つ災害時の情報伝達ルートを活用させていただく、という大まかな役割分担もできました。
政策原案ができたあとも、それを様々な方にお聞きいただいて、アドバイスをいただきました。医師や学者など有識者の先生方、情報を伝達いただくメディアの方々、情報を活用する側、例えば学校現場のそれこそ校長先生や保健の先生、労働現場の皆さん、高齢者福祉施設の方々など、本当に多くの方からお話を聞かせていただきながら、政策案を実際の運用面まで含めて完成させていきました」(福嶋さん)
そうして、創り上げてきた「熱中症警戒アラート」の試行運用が関東地方で始まり、実際にテレビやLINEといった速報性のあるメディアやSNSツール等で情報提供されたとき、そしてその情報が、学校現場などでは運動会や体育の授業などを行うかどうか判断する際の参考とされている、といった話を聞いたときには、とてもやりがいを感じたという。
「制度をつくるだけでは意味がありません。それが現場で使われて初めて価値が生まれます。だからこそ、政策を“どう実現するか”まで考える必要がある。そこが、この仕事の難しさでもあり、面白さでもあります」(福嶋さん)
このように、官僚の仕事は霞が関の中だけで完結するものではない。多くの人の力を借りながら、実現させていくものだ。その中でも、福嶋さんは、地方環境事務所での勤務や自治体への出向を通じて、現場に赴くことの重要性を実感してきた。
「霞が関にいるだけでは見えないことがたくさんあります。実際に地域に入ってみると、制度がどう使われているのか、どこに課題があるのかがよく分かる。そうした現場の感覚があって初めて、現実に機能する政策をつくることができると思います」(福嶋さん)
霞塾で学生たちが触れているのは、まさにそうした仕事のリアルである。机上のイメージとは異なるその実像を知ることが、志を手触りのある、より肌感をもった具体的なものへと変えていく第一歩となる。
学生はどう変わるのか――“ルールをつくる側の視点”への転換

霞塾の特徴は、行政の仕事を知ることにとどまらない。そこに参加した学生自身の「ものの見方」や「行動」が変わっていく点にある。福嶋さんは、プログラムに関わる中で印象的な変化として、学生の“目の輝き”を挙げる。
「最初は、自分の将来や社会との関わり方について、どこか受け身で考えている学生も少なくありません。でも、霞塾で体験型のプログラムを経験し、議論を重ねていくうちに、自分の言葉で意見を言えるようになり、何をしたいのかを考え始める。そのときに、目の輝きが変わるんです。それまでは、ルールの中で最大限どううまく生きるかのコスパを考えていた学生が、『そもそもこのルールはどうつくられているのか』『自分ならどう変えるか』と考えるようになる。視点が大きく変わる瞬間です」(福嶋さん)
こうした変化は、国家公務員を目指すかどうかにかかわらず、その後のキャリアにも影響を与えるという。霞塾をきっかけに行政に関心を持つ学生もいれば、民間企業や起業といった別の道を選ぶ学生もいる。しかしいずれにしても、自らの意思で進路を選択するという姿勢は共通している。
紀國教授も、霞塾の価値を「進路の固定化ではなく、視野の拡張」にあると捉えている。
「国家公務員になることが目的ではありません。霞塾は、自分が社会の中でどのような役割を果たしていきたいのかを考える場です。その結果として、行政の道を選ぶ学生もいれば、別の道に進む学生もいる。それでいいのだと思っています。早い段階でリアルを知ることで、進路選択の精度が上がるメリットもありますから」(紀國教授)
霞塾の中で行政の仕事に触れることで、「自分には向いていない」と気づくケースもあるが、それもまた一つの成果だ。与えられた選択肢の中から道を選ぶのではなく、自分で選択肢そのものを捉え直す――。霞塾で起きている変化は、そうした主体的なキャリア形成への転換とも言える。
“志”は、なぜ必要なのか――霞塾が育てるもの
では、なぜそこまで「志」が重視されるのか。霞塾で繰り返し語られるこの問いは、行政という仕事の本質と深く結びついている。
「行政は、社会に大きな影響を与える仕事です。だからこそ、関わるステークホルダーも多く、調整すべき利害も複雑になる。その中で意思決定をしていくには、自分が何を実現したいのか、どんな社会を目指したいのかという軸がなければ、判断がぶれてしまいます」(福嶋さん)
制度をつくり、社会に実装する。そのプロセスには、常に制約が伴う。時間や予算、制度上の制約に加え、多様な立場の意見との衝突も避けられない。そうした現実の中で、自らの立場を見失わずに意思決定を続けるためには、知識やスキルだけでは不十分だ。自分の中にある確かな動機が問われる。
紀國教授は、こうした環境について、ある卒業生の言葉が強く印象に残っているという。
「経済産業省に進んだOBが、こんなことを話していました。『巨大な組織の中では、自分の理想を自分の言葉に落とし込んでいないと、主体性を保つことが難しくなる。一方で、その理想を目の前の仕事に直結させられる組織は、中央官庁以外にはなかなかない』と。さらに彼は、『多くの制約があるのも事実だが、それは同時に社会に対して大きな影響力を持っていることの裏返しでもある』とも語っていました」(紀國教授)
「本当にその通りだと思います。大きな組織の中にいると、日々の業務に追われる中で、自分がなぜこの仕事をしているのかを見失いそうになる瞬間もあります。だからこそ、自分の中にある軸を言葉にして持ち続けることが重要になる。霞塾で伝えたいのも、まさにその点です。霞塾では、多くのホンモノの官僚が、自身の想いや志を語ってくれます。そのアツイ気持ちにほだされて、ハートに火が点いた学生たちを何人も見てきました」(福嶋さん)
社会のルールは、どこかで誰かが考え、決めている。そのプロセスに自分が関わるという選択肢を持つこと。そして、その中で自分なりの軸を持ち続けること。霞塾が育てようとしているのは、そうした姿勢そのものなのだ。
「自分もそうでしたが、国家公務員になれば、海外や地方での経験も積めます。国家公務員というのは、ゴールではなく、あくまでキャリアのスタートの一つだと思っています。そこで得た経験をどう活かしていくか、どのように社会に還元していくかは、まさに、その人次第です」(福嶋さん)
社会の仕組みをつくり、その先の未来に影響を与えていく仕事。その責任は大きいが、その分だけ得られる経験や手応えも大きい。
不確実な時代において、正解のない問いに向き合い続ける力が求められる今、国家公務員というキャリアは、単なる“安定した職業”ではなく、社会と主体的に関わるための一つの選択肢として、改めて捉え直されるべきだといえるだろう。

紀國洋
北海道大学経済学部在学中に国家公務員採用Ⅰ種試験に合格し、1989年に建設省(現・国土交通省)へ入省。都市局都市政策課、建設経済局建設振興課などを経て退職。北海道大学大学院経済学研究科にて博士号を取得し、2000年立命館大学経済学部に着任。専門は産業組織論。専門科目に加え、教養科目「国の行政組織」を担当している。2013年度より「立命館霞塾」の企画・運営に携わっている。2018~2022年度にキャリアセンター部長を務めた。

福嶋慶三
立命館大学法学部卒業、神戸大学大学院法学研究科修了、英国サセックス大学大学院環境開発政策コース修了。2002年に環境省入省後、気候変動対策や環境教育、環境アセスメントなどに従事。その間、内閣官房(副長官補室)や、地方自治体(兵庫県尼崎市)への出向等を経験。近畿地方環境事務所環境対策課長兼地域脱炭素創生室長を経て、現在、兵庫県明石市に出向中。2013年度より外部アドバイザーとして「立命館霞塾」の企画・運営に携わる。
東北大学大学院国際文化研究科、関西学院大学商学部でも非常勤講師を務めている。





