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「気分がアガる服」はつくれるのか? センサー×AIが変える“服選び”の未来

2026年5月7日


「気分がアガる服」はつくれるのか? センサー×AIが変える“服選び”の未来

「この服を着ると、なんだか気分がいい」──そんな感覚を、多くの人が経験しているはずだ。しかし、その理由を言葉で説明するのは難しい。立命館大学 情報理工学部の原田史子教授は、この曖昧な感覚をセンサーとAIで捉えようとしている。着心地や温度といった身体的なデータだけでなく、「気分が上がる」という心理的な変化まで可視化し、個人に最適な服を提案する──そんな未来が、現実のものになりつつある。

〈この記事のポイント〉
● 服による気分の変化をデータで捉える試み
● 付けているのを忘れるようなセンサーが必要
● AI×センサーが進化するとどんな未来が来る?
●人のココロまで扱う「情報理工学」

なぜ「気分がアガる服」があるのだろうか?

私たちは日々、無数の選択をしている。その中でも「今日、何を着るか」は、意外なほど大きな影響を持つ選択だ。お気に入りの服を身につけた日は自然と背筋が伸び、気持ちも前向きになる。一方で、なんとなくしっくりこない服を選んでしまうと、一日中どこか落ち着かない──そんな経験はないだろうか。

立命館大学 情報理工学部の原田史子教授は、こうした服と心身の関係に着目し、「人の状態をデータとして捉える」研究に取り組んでいる。研究を通じて、服がもたらす変化は単なる気分の問題ではなく、身体的な状態や行動とも密接に結びついている可能性も見えてきている。
では、その“感覚”はどこまで客観的に捉えられるのか。見えない心の動きは、どのようなデータとして現れるのだろうか。はじめに、原田教授の研究手法に迫ってみよう。

服の中の温度と湿度= 「衣服内気候」から、快・不快を読み取る

服の快適さは、どのようにして測ることができるのだろうか。原田教授が着目したのは、衣服の中の「温度」と「湿度」だった。

「もともと被服学の分野には、“衣服内気候”という考え方があります。衣服と肌のあいだの温度や湿度、風通しといった環境が、人の快適さに大きく影響するというものです。例えば湿度が高くなると蒸れを感じて不快になりますし、同じ服でも運動して汗をかけば、一気に状態が変わってしまいます」(原田教授、以下同じ)

衣服内気候が快適な目安は、温度31~33℃、湿度40~60%とされており、これを保つことで汗の蒸発がスムーズになり、蒸れ感や不快感を軽減できるといわれる。こうした既存の知見を踏まえ、原田教授はウェアラブルセンサーを用いて衣服内の温度や湿度を計測。そのデータから、着用者が快適か不快かを予測するAIの構築に取り組んできた。

「衣服の中の温度や湿度の変化を計測しておけば、その人が快適と感じているのか、不快に感じているのかをある程度推定できるのではないかと考えました。センサーの値の履歴から、人の状態を予測するAIを作ろうとしていたのが当初の研究です」

一見シンプルなアプローチに見えるが、ここには「人の感覚をデータとして扱う」という大きなテーマが潜んでいる。ただし、原田教授自身、この研究を「ゴール」ではなく「出発点」と位置づけている。

「今やっているのは、寒い・暑いといった意味での快適さを扱う、いわば第一歩の段階です。今後の目標は、もっと心理的な部分、つまり“気分が上がるかどうか”といったところまで含めて捉えることです

“気分”はどこまで測れるのか? センサー研究の現在地

では、こうしたセンサーを使えば、人の快適・不快はどこまで捉えられるのだろうか。実際の研究は、理想と現実のあいだで試行錯誤を重ねてきた。

「人のストレスや不快感を測る指標としては、“EDA(皮膚電気活動)”と呼ばれる発汗センサーがよく使われています。これはかなり有効なデータが取れるのですが、市販のものだと腕時計のような形で装着する必要があって、どうしても見た目に影響が出てしまうんです」

そこで原田教授が着目したのが、衣服の中に仕込める温湿度センサーだった。ネックレスのように身につけ、外からは見えない形で計測できるこの方法で、EDAセンサーの代替が可能かを検証したという。

「衣服内の温度や湿度のデータから、快適か不快かを推定するAIの精度自体は、かなり高いところまで出ています。特定の条件では、約90%の精度で5段階評価を当てることができました。
ただしこれは、被験者ごとに個別にモデルを最適化した場合の結果で、同じAIをそのまま他の人に適用できるわけではありません。また、講義のようにじっとしている場面では精度が高いのですが、屋外で活動しているときは精度が落ちるなど、まだ課題があることは事実です」

衣服内気候と快適性の関係
衣服内気候と快適性の関係(原田教授提供)

精度の高さと同時に、実用化に向けたハードルも明確に見えている。その上で行われたのが、「見た目を損なわない計測方法」の検証だ。ビジネスウェア、Tシャツ、スポーツウェアといった異なる服装で実験を行った結果、興味深い違いが現れた。

「ビジネスウェアを着ている場合には、衣服内の温湿度センサーのデータとEDAセンサーのデータが比較的よく一致したんです。一方で、Tシャツなどのカジュアルな服では、あまり一致しませんでした。
特にビジネスの場では、見た目を崩さないことが重要です。その中で、目立つセンサーを使わずに状態を把握できるというのは、実用的な意味でも価値のある結果だと考えています

見えないセンサーで、人の“見えない状態”を捉える──。研究は、現実の制約と向き合いながら、着実に社会実装へと近づいている。

AIが「あなたの一日」に合わせて服を選ぶ未来

センサーによって人の状態が把握できるようになると、次に見えてくるのは「その先に何ができるのか」という問いだ。原田教授が描くのは、個人の状況に応じて服装を提案する、よりパーソナルなレコメンドのあり方である。
現在の天気予報でも、「今日は寒くなるので上着を持っていきましょう」といったアドバイスは一般的になっている。しかしそれは、多くの人に共通する“平均的な状況”を前提としたものにすぎない。

「例えば、大学に行って授業を受けたあと、博物館に行くとしますよね。そのとき、博物館で長く歩いても疲れにくくて、展示を見るときにも邪魔にならず、なおかつ雰囲気にも合っていて気分が上がる──そういう服を選びたいと思うはずです。
実際には、その人がどんな一日を過ごすのかによって、最適な服は変わります。ずっと屋内にいる人と、外を移動する人では違いますし、ビジネスの場で見た目を重視する場合もあります。そうした個人の状況まで含めて考えられるようになると、レコメンドの質は大きく変わると思います

原田教授の研究では、センサーによって得られたデータをもとに、特定の条件下でどのような状態になるかを予測するAIの構築を目指している。

気温や行動予定がわかれば、そのときにセンサーの値がどう変化するかを予測できる可能性があります。そうすると、その状態が快適なのか不快なのかも事前に判断できるようになります。
最終的には、“気分が上がるかどうか”といった心理的な部分も含めて提案できるようにしたいと考えています。服によってモチベーションが変わることもありますし、その人の行動やパフォーマンスにも影響する可能性があります」

その日、その人、その状況に合わせて、あらかじめ快適さを見積もることができるようになる。服を選ぶという日常的な行為は、より個人に最適化された意思決定へと変わっていくのかもしれない。

「気分が上がる服」を科学する──情報理工学の新しい可能性

服は、単なる装いではない。人の気分を変え、行動を変え、ときにはその日のパフォーマンスさえ左右する存在だ。原田教授が目指しているのは、そうした“見えない影響”をデータとして捉え、誰もが活用できる形にすることにある。

「自分の中では、服によって気分が上がるというのはすごく実感としてあるんです。例えば、おしゃれな服を着ていると、その服にふさわしい振る舞いをしようと思ったり、発表の場でもいいパフォーマンスをしようという気持ちになったりします。
今はまず、温度や湿度といった物理的な快適さを扱っていますが、最終的には“心理的に快適かどうか”まで含めて捉えたいと考えています

その先には、衣服やそのほかの服飾品の新しい役割も見えてくる。高齢者や身体的な制約を持つ人が、自分に合った服によって気分を前向きに保てるようになる──服は“整えるもの”から、“支えるもの”へと変わっていく可能性を秘めている。こうした研究を支えているのが、「活動情報工学」という考え方だ。

「装うことに限らず、人は日常生活の中でさまざまな活動をしています。そのときの心や状態は常に変化していますよね。そうした変化を何らかの形で観測して、支援につなげていく──それが私たちの研究の基本的な考え方です。
情報理工学というと、無機質なデータや計算の世界をイメージするかもしれませんが、実際には人の感覚や感情、日常の営みそのものを対象にすることもできる、懐の深い分野だと思っています

立命館大学 情報理工学部 原田史子教授

原田史子

2007年3月大阪大学大学院基礎工学研究科博士後期課程システム創成専攻修了。2007年4月立命館大学情報理工学部助教、2009年同講師。以降株式会社コネクトドット顧問などを経て、2025年4月立命館大学情報理工学部教授となり、現在に至る。データサイエンス、推薦システム、センサシステムなどの研究に従事。博士(工学)。情報処理学会、電子情報通信学会、システム制御情報学会などの各会員。

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