令和二年七月豪雨は九州地方や長野県、岐阜県などで大きな被害をもたらした。2019年の台風被害も記憶に新しい中、近年増加する豪雨災害への懸念から、水害対策やダム建設の是非にもあらためて関心が高まっている。気候変動の影響も示唆される大雨や異常気象の中、人間が自然環境とうまく付き合いながら、災害に備えるにはどうすればいいのだろうか。
戦後の治水政策の基準を「再検討」する必要がある
甚大な被害をもたらす豪雨が発生する頻度は、明らかに増えている肌感覚がある。変わりつつある日本の気候と、それに伴う水害について、河川流域のマネジメントに関する研究を行っている立命館大学理工学部 里深好文教授は「近年雨の降り方の傾向が変わっている。その変化に日本の治水が対応できていない」と指摘する。
「日本における治水政策の基礎となっているのは、明治以降に体系的に記録されたデータや、江戸以前の古い文献にある大規模な災害の記録に基づいています。ダムの大きさや強度、河川の堤防の仕様などは、その過去からのデータに基づいて決められます。古いデータから豪雨の発生確率を推定し、それに耐えられるように川やダムの規模や運用の基準を決めてきたわけです。
しかし現在、その豪雨の発生確率が変わりつつあります。これまでのデータからは予測できない頻度で水害が発生している感覚は、皆さんも持っているのではないでしょうか」(里深教授、以下同じ)
日本の近代治水は戦後急速に拡大した。高度成長期以降、これまで湿地や沼だった河川流域が埋め立てられて工場や住宅地として利用されるようになり、河川の氾濫を抑えるために堤防やダムが作られてきたのだ。
そこで基準となったのが、「100年に1度、200年に1度」の豪雨に耐えられるという基準だった。
「しかし現在、『200年に1回』レベルの大雨が頻発し、それを越える大雨の懸念もあります。増えた雨量を、一時的な異常気象なのか、気候変動の結果なのかを見極め、治水対策の基準を再検討することが必要になってきました」
豪雨時の土砂をコントロールする「透過型砂防ダム」
治水施設として代表的なものの一つがダムだ。水を貯めるための貯水ダムのイメージが強いが、里深氏は、大雨の際に土砂の流れをコントロールする「砂防ダム」に注目している。
「砂防ダムは、貯水ダムと違い、洪水時の土砂の流れをコントロールする役割を持ったダムです。洪水発生時、当然水と一緒に土砂も流れ出ます。その土砂が溜まると川が浅くなり、大量に流れてくる雨水を流せず、川から溢れてしまう。砂防ダムであれば土砂で川が埋まるのを防ぎ、川の機能を維持することができます」
砂防ダムのうち、土石流のような災害につながる土砂の流出を防ぐのが、35年ほど前から作られるようになった透過型砂防ダムだ。写真のように大きな穴が空いているのが特徴で、通常であれば川はダムの影響をうけることなく流れていく。
しかし、大雨の際には、短時間に大量の土砂が発生し、それが川を埋めてしまうことにより河川の氾濫が発生する。大量の土砂をせき止め、しかも水流を完全に止めないことが重要で、そのために透過型砂防ダムが活用されているのだ。
「本来、川自体にも土砂を流す能力はあります。災害にならない程度の土砂は川の自然な流れに委ねるが、大量の土砂が一度に流出することがなくなり、結果的に被害を小さくすることができます」
透過型砂防ダムなら川に生息する生物の行き来も可能で、自然環境を遮断することもない。自然に元来備わっている力も借り、より自然に近い形で人間の生活環境を守ることができる透過型砂防ダムの活用は、今後さらに高まっていくだろう。
河川環境と人間社会の共存に必要な視点とは
今年7月に発生した豪雨により甚大な被害を受けた熊本県では、球磨川の氾濫を受け、これまで進めてきた脱ダム路線の治水策に住民から再び反対の声が上がり始めた。これからの日本に必要な治水策は何なのか。ダムを含めた流域のデザインについて研究している里深教授だが、理想は「ダムのいらない社会」だという。
「ダムの能力は有限です。小中規模の、ダムの限界を超えない範囲の水や土砂であればせき止めることができますが、限界を超えてしまうとそれが一気に流れ出てしまう。
洪水が起こる直前まで、下流は比較的平穏ですから、住む人々はそのことに気が付かず、逃げ遅れの原因にもなっています。ダムが水害を加速させるわけではありませんが、場合によっては深刻な事態を引き起こす原因になることは否めません」
増えた雨量にダムなしで対応するには何が必要なのか。里深教授が語るのは、川周辺の居住環境を含めた「流域のデザイン」だ。
「現状の流域エリアの町づくりを前提とすると、ダムは必要です。しかし私は、ダムなしで自然災害にも対応できる流域デザインが理想だと考えています。
ダムのない未来のために必要なのは、増えた雨量にも対応できる広い河道(水の流れるところ。下流では堤防と堤防の間)です。気候が変わり、雨が大量に降るようになってしまった今では、河川空間に今の何倍も余裕を持たせる以外の最適解はありません。そして、川の周辺の水害リスクの高いところには工業用地や農地などを。水害リスクの低いところには水害に弱い老人ホームや人々の居住エリアを設ける。リスクのグラデーションに合わせて、周辺を含めてデザインしていく必要があります」
今後、記録的な豪雨が年に数回発生するようになるのであれば、人々の住む街が豪雨のたびに浸水被害を受け、街を作り直してはまた洪水に遭うようなことが繰り返されかねない。増える豪雨や洪水とうまく付き合っていくためには、単純な河川環境の整備だけではなく、街全体、国全体と広い視野を持ったデザインの再構築が検討されていく必要がある。
里深好文
京都大学大学院工学研究科交通土木工学専攻修士課程修了。京都大学博士(工学)。京都大学大学院を経て、現在は立命館大学理工学部環境都市工学科教授を務める。専門分野は、河川工学、砂防工学。主な研究テーマは、流域のマネジメントに関する研究など。