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アフターコロナ時代の“教養” リベラルアーツはどこへ向かうか?

2020年8月7日




新型コロナウイルス感染症パンデミックを経験したアフターコロナの時代は、これまでとは異なる価値観、新しい生活様式や働き方などが必要といわれ、どのようなものになるのかを予測することは現時点では難しい。いわば答えのない時代を迎えるにあたって、未来を生きる力となる「知」には何が求められるのだろうか。
【記事末にシンポジウムの録画全編動画へのリンクがあります】

当事者研究における「物語」とリベラルアーツの接点
(東京大学 熊谷晋一郎・先端科学技術研究センター准教授)

熊谷准教授は、当事者研究を「唯一無二の『わたし』を対象とした実践研究」と規定し、精神障害などを抱えた当事者による社会変革の方法として、2001年に日本で誕生したものと解説。脳性マヒによる身体障害がある熊谷准教授は、自身の当事者研究について、18歳から始めたひとり暮らしが出発点となったと語り、「ひとり暮らしは、誰の監視も受けずに自分にとって無理のない人生のシナリオ、つまり私だけの『物語』を描く作業でした。親は許さなかった健常者と違うコップの持ち方をすることも、失禁をしてしまうことさえも自由で、自分自身の身体の輪郭がはっきりしてくる感じを受けました」と振り返った。
熊谷准教授は「『物語』を描くにあたっては、自分と似通った仲間との対話や共同作業が必要ですが、障害によっては対話や共同作業が難しい場合があります」と話し、そのために言語のバリアフリーも必要で、当事者研究が取り組むべきテーマになると指摘する。また、当事者研究を大学で行う上で、リーダーに求められる資質や、リーダーが守るべき条件についても言及した。
その上で熊谷准教授は「障害がある人もない人も平等に暮らせる社会とは、その人ができる範囲で平等で、正義や公正が満たされていることが条件になります」とし、そこで求められるのは「選択の幅」、つまり「自由」を享受できることと提言。リベラルアーツは、人が自由になるために必要な知識や技術であり、自由や平等を開花させ、広げていくという点において、当事者研究との接点があるとの見解を示した。

理工系のリベラルアーツ改革 答えのない問いに向き合うこと
(東京工業大学 上田紀行教授・リベラルアーツ研究教育院長)

東京工業大学では、4年前にリベラルアーツを全学で学ぶという教育改革を行った。その要因について上田教授は、学生の気質の変化と科学技術者のあり方への疑問があったと発言。学生が評価や効率を優先する傾向が強まっていることに対して、上田教授は「内発的に学びたいことを学ばず、評価のために学んでいたら、交換可能な存在が育つだけで、それではAIに負けてしまうわけです」と強調し、強い危機感を覚えたと話す。また、科学技術者が力を行使する上で、「人間とは何かとか、幸せとは何なのか、あるいは自分の弱みや強みについて知らなくていいのか」と疑問を呈する。
リベラルアーツは「答えのない問いに向き合い、ものごとを批判的・創造的にとらえる力を養う」学問であり、こうした危機感や疑問に応えることができると上田教授は語り、学部生から修士、博士までがリベラルアーツに取り組む現状や仕組みについて、具体的に紹介した。

リベラルアーツとマイノリティ 対話における課題
(名古屋大学大学院 隠岐さや香・経済学研究科教授)

隠岐教授は、20世紀後半になって大学にマイノリティや女性が参入し、誰のための教育かということが改めて問い直されたと紹介。「なぜ、古典教養として白人の本ばかり読まされるのか。先住民の問題や植民地支配の問題、女性差別や障害者の問題はどうなっているのかという批判が、特にアメリカのキャンパスで起きました」と隠岐教授は語り、20世紀後半になって、リベラルアーツは「他者」と出会うことになったと指摘する。
こうした経緯を踏まえた上で、これからのリベラルアーツ教育の課題として、「人々には根源的な違い、経験の違いがあることを前提に、異なるもの同士をつないでいくこと」や、「自由な対話が求められるが、その対話の中で人を傷つけることがないようにする倫理的な教育」「対話の押しつけや、支配的な人・分野・組織による搾取を生まないための対策」をあげた。

脱ユーロセントリックで開くリベラルアーツ3.0
(立命館大学 山下範久・グローバル教養学部教授)

山下教授は、ヨーロッパのエリート教育の基礎に古典的な教養教育があったと、リベラルアーツの歴史を紹介。古典を適切に引用できる力が当時のエリートには求められ、古典的教養はエリートの共通言語になっていたと延べ、古典的教養を知っている者と知らない者の間に垣根を生み、階級障壁をつくったために、啓蒙やリベラリズムでは古典的教養に否定的で、科学や技術が人を自由にするとされてきたと解説した。
山下教授は、ヨーロッパにおけるエリートのための古典的教養の教育をリベラルアーツ1.0、次にイギリスで登場した近代的なカリキュラムをリベラルアーツ2.0と規定。その上で、グローバル教養学部はリベラルアーツ3.0を目指すとし、脱ユーロセントリックで、多元的な伝統を、現代的文脈に置き直して世界に発信すること、より包摂的で、より開かれた社会に向けたものにすること、自律的な学習者を育てることなどの目標に言及した。

モデレーターを務めた、松原洋子 立命館大学副学長

シンポジウムの締めくくりとして行われたパネルディスカッションでは、熊谷氏、上田氏、隠岐氏、山下氏の4人のパネリストから、リベラルアーツのあり方などについて、「リベラルアーツが求めているのはサクセスではなく、レジリエンス、つまり立て直しの力である」「ヴァルネラビリティ(脆弱性)もひとつの才能としてとらえる必要がある」「能力は場や関係に宿るというのが原則で重要だ」「現在のリベラルアーツ教育は、多数の多様な能力に注目することが大切」など、さまざまな視点や意見が提示され、リベラルアーツの重要性や可能性が改めて認識されることになった。

『自由に生きるための知性とはなにか?』立命館創始150年・学園創立120周年記念シンポ録画全編(期間限定公開)

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