北海道日本ハムファイターズは、新球場「ES CON FIELD HOKKAIDO(エスコンフィールドHOKKAIDO)」を核としたボールパーク「HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE(北海道ボールパークFビレッジ)」を建設した。ファイターズの経営理念「Challenge with Dream」とは何か。この大プロジェクトに経営の視点から迫る、立命館大学スポーツ健康科学部の種子田穣教授と、北海道日本ハムファイターズ取締役の三谷仁志氏の対談、後編をお送りする。
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● ファイターズの経営理念は「Challenge with Dream」
● 「理念経営」がファイターズのすごさ
● Fビレッジは「ネバー・エンディング・プロジェクト」
● ファイターズ経営をドラッカー視点で見る
既成概念に縛られず、夢を持って挑戦していく
種子田 HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE(北海道ボールパークFビレッジ)は、日本のどのプロスポーツのどのチームも建設したことのない、大規模で複合的なファシリティです。それは、ファイターズ自身が語っているように「街づくり」であり、プロ野球球団には極めてハードルの高い事業です。
その街づくりを、ファイターズは実現した。私は、これだけの事業はファイターズでなければできなかっただろうと思っています。
三谷 北海道日本ハムファイターズには、「Sports Community」という企業理念と並んで、「Challenge with Dream」という経営理念があります。
われわれは「スポーツコミュニティ=スポーツと生活が近くにある社会」の実現を目指す。そのとき、われわれは既成概念に縛られず、夢を持って挑戦していく。——こうした理念、カルチャーが組織全体に根付いていて、「常にチャレンジしていくんだ」という気持ちをトップも含めてみんなが持っています。
私が2009年にファイターズに入ったとき、当時の藤井社長から「最近、失敗しているか」と聞かれて「別にしていません」と答えたら、「それはチャレンジしていないからだ」と言われました。「どんどん失敗するくらいチャレンジしないといけない」と私は教わりましたし、チーム側も、ソフトボールの選手をドラフト指名したり、大谷翔平の二刀流があったり、新庄さんを監督に招聘したり、他の球団だったら考えなかったことに常にチャレンジしています。
チャレンジの土壌があるというのが、ファイターズの組織としての魅力であり、われわれ働く側にとっても魅力になっています。
ファイターズの企業としてのすごさは、理念経営をしているところ
種子田 Fビレッジは、まさに「Challenge with Dream」の賜物と言えます。ファイターズがしっかりとした理念を持っていたから、実現まで漕ぎ着けることができた。
三谷 北海道本拠地化を推し進め、その後、2005年から2012年まで球団オーナーを務めた大社啓二氏は、「しっかりと理念があって、それを実現するために組織がある」という哲学を持っていました。その哲学の下で作られた会社が「株式会社北海道日本ハムファイターズ」です。
私は、北海道日本ハムファイターズの企業としてのユニークさ、すごさは、理念経営、ミッション経営をしているという点にあると思っています。
種子田 なるほど、ファイターズにとってスポーツを核にしたコミュニティづくりは「ミッション」でもある。そのミッション達成に向けて「Challenge with Dream」で組織全体が動いていくというのは、ファイターズにとってはごく自然なことなんですね。
しかし、ボールパークの建設には大きなリスクもあります。そのリスクについては、どのように捉えていたのでしょうか。
三谷 リスクという観点で言えば、札幌ドームにとどまることは、スポーツコミュニティづくりが進まないという不確実性がありました。
あのままの環境で理念が実現できない不確実性と、理念実現に向けて前進する際の事業上の不確実性を比べたとき、私たちは「Challenge with Dream」を掲げているので、新しいことに踏みだしての不確実性の方が自分たちのリスクとして納得して受け入れやすいものでした。
種子田 何を目指すのか、そして、何を基準にして経営判断するのか。そのすべてにわたって理念が確かな指針となっているという意味で、ファイターズは見事に理念経営を実践しています。三谷さんがおっしゃるように、それはファイターズのすごさだと思います。
Fビレッジエリアの完成度は2〜3割。まだまだ発展していく
種子田 Fビレッジの「Challenge with Dream」は、これからも続いていくんですよね。
三谷 そうです。球場は出来上がって終わりではなくて、ここからさらに成長していかないといけません。その意味で、球場の完成度はまだ7〜8割くらい。さまざまな改修を計画しながら、お客様がより過ごしやすい場所に日々変化させていこうと思っています。
周辺エリア全体でいえば、2〜3割くらいしか出来ていません。広大な駐車場、JRの新駅、新駅の道を渡った隣接地など、まだまだ発展していく余地があります。たぶん20年、30年かかっても完成しない“ネバー・エンディング・プロジェクト”みたいなところがあって、将来の青写真を、今われわれが描くべきではないという感覚でいます。
その部分は、この先ファイターズを担う人たちと、共通の価値観・世界観を持っていただいている事業パートナーの皆様が、決めていくことだと思っています。街づくりなのですから、できるだけ多様な、たくさんの人々に参画してもらった方がいいと考えています。
そのため、今の私の役割は、多様な事業者の皆さん、ファンの皆さん、周辺にお住まいの方々が街づくりに参画できる仕組みを作っていくことだと思っています。遠方の方々であっても、特にこれから社会に出て働くという世代の人に「Fビレッジで働いてみたい」と思ってもらえるような場所にすることが、共同創造の質をさらに高め、可能性をさらに広げていくことになるはずです。そうした方々にもアピールできるよう、面白い仕掛けを展開し、情報を発信していこうと思っています。
種子田 三谷さんをはじめとする、ファイターズ、Fビレッジ関係者の皆さんの街づくりの未来に懸ける思いが、よく分かりました。実際、Fビレッジは本当に大きな可能性を持った場所だと思います。私も、引き続き“この街の発展”に注目していきたいと思います。
ファイターズは、組織としてのあるべき姿を示している
三谷氏との対談を終えて、種子田教授は、ファイターズのスポーツビジネスを次のように分析、評価した。
「ドラッカーは、『企業の目的』について次のように語っています。
『企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である』
北海道日本ハムファイターズの理念経営、特にFビレッジの建設は、このドラッカーの企業の目的を教科書にしたかのような実践例だと言えると思います。球団の本来業務である野球の外側に事業の目的を設定し、野球ファンの外にも積極的に働きかけ、結果として顧客を創造することに成功しています。
今回の取材で三谷さんは『私たちの理想は、地域の人たちが、北海道のシンボルとして、プライドを持ってファイターズとFビレッジを見てくれるようになることだ』と語っていましたが、視点を外に向けているという点に、ファイターズのブレのない理念経営の一端を見たような気がします。
ファイターズのスポーツビジネスをもう少し具体的に分析すると、次のようなことが言えるでしょう。
スポーツに限らずどのようなビジネスも、コアがあり、コアを取り巻くエクステンド、拡張部分があって、それぞれにハードやソフト、ヒューマンウエアを組み合わせながら事業を組み立てていきます。
プロ野球において、コアとなるのは試合です。その試合をどう魅力あるものにデザインしていくか、日本の場合リーグがあまり役割を果たしておらず、チームがそれぞれできることをやっているというのが現状です。
そうすると『顧客の創造』のためには、エクステンドの部分でどう魅力を膨らませていくかが大事になってきます。その点、ファイターズは、優れたハードウエアを造り、いろいろな仕組みもつくり、その中でヒューマンウエアを提供する人々が、皆、同じ方向を向いて生き生きと働いています。それは、ファイターズガールも同じだし、三谷さんたちも同じだと思います。しかも、皆、誇りを持って働いている。
ファイターズは、組織としてのあるべき姿、一般のプロスポーツを離れてもあるべき姿を具現化していると言えるでしょう」
種子田穣
立命館大学 スポーツ健康科学部 教授。ケーススタディを中心に経営学の視点からスポーツビジネス、とりわけ、プロスポーツのビジネスモデル研究に取り組む。コミッショナーをはじめ、経営幹部へのインタビューをもとに、アメリカNFLのビジネスをテーマにした著作が2冊。現在は、2004年のフランチャイズ移転を契機とした、北海道日本ハムファイターズのイノベーションと企業家精神に注目した研究に取り組んでいる。
三谷仁志
京都大学経済学部卒業後、住友商事、ノースウェスタン大学ケロッグ校MBA卒業を経てオリックス野球クラブへ転職し、野球業界へ。2009年北海道日本ハムファイターズへ入社。ボールパーク構想の立ち上げとプロジェクトを推進した立役者の一人。行政との連携やパートナー企業誘致のほか、飲食領域の責任者として北海道ボールパークFビレッジの開発全般に携わる。