西日本豪雨、猛暑、数々の台風、そして北海道胆振(いぶり)東部地震……。平成最後の「今年の漢字」に選ばれた「災」が象徴するように、2018年は実に多くの自然災害が日本を襲い、尊い人命が犠牲となった。
この災害列島に住む私たちは、ともすれば「自然災害に人智は及ばない、被害を避けることは不可能だ」と考えがちだ。しかし、本当にそうなのだろうか? 環境考古学を専門とする高橋学教授(立命館大学文学部、環太平洋文明研究センター)は「地震や洪水といった自然変動による被害の大きさを決めるのは人間の生活の在り方」と指摘する。生活を見直すことで被害は軽減できるという。
「地震≠震災」 自然変動と自然災害は異なる事象
自然災害による被害を減らすための前提を、高橋教授は次のように指摘する。
「重要なのは、自然変動と自然災害とはあくまでも別物だと認識することです。例えば、地震とは地面が地球の内的営力により揺れることを意味し、人間が止めることは不可能です。これに対して、震災とは地震によって人間が生命や財産を失うことですから、たとえ同じ規模の地震が起こっても時代や場所によって震災の程度は当然異なります」
近代以降の人口増加にともなって自然災害の被害の程度も大きくなったという。
「14世紀半ばから続いていた寒冷期が19世紀半ばに終わって温暖期が始まったため、穀物の生産量が増加して人口も増えた。その結果、自然災害に対して脆弱で以前は誰も住んでいなかった場所にも人が住むようになったのです」
かつて誰も住んでいなかった場所では、台風や水害もただの自然現象に過ぎなかったのだろうが、人が住むことで「災害」と認識されるようになったのだ。
阪神・淡路大震災や東日本大震災の被害にも影響した縄文海進
自然災害に弱い場所が被害を受けた例として、高橋教授は1995年の阪神・淡路大震災を挙げる。
「阪神・淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震では、震度階級最大の震度7を観測した地域は大阪湾沿いが中心でした。実はこのエリアは、縄文時代に海水面が現在よりも高く海岸線が内陸に入り込んでいた縄文海進時には海だった場所。地盤が決して強くないのです。そのために他の地域よりも強く揺れ、被害も大きくなってしまいました。あの高速道路の倒壊が起こった東灘区もこのエリアです」
2011年の東日本大震災でも、縄文海進時に海だった地域は津波の被害が大きかったと教授は指摘する。
「東日本大震災では、地震で倒壊しなかった住宅の多くも津波で流されてしまいました。津波被害が大きかった宮城県気仙沼市を例に、津波浸水域と大正時代の地形図を見比べると、浸水域の大部分はもともと水田や湾内の海だったことが見てとれます。縄文海進時には海だったのでしょう。近代以降の人口増を背景に低地を埋め立てて造成した住宅地が、津波に対しては脆弱だったのです」
上述した二つの大震災では「縄文海進」がキーワードだったが、注目すべき地形は海だけとは限らない。
「昨年の西日本豪雨では多くの地域で土石流が起こり、土砂や岩石が人家や田畑を襲いましたが、やはり地形が深く関係しています。被害のあった広島市安芸区の矢野東地区は、実は土石流によって運ばれた土砂や石が堆積して出来た土石流扇状地でした。もともと土石流が繰り返し起きて出来た土地だったのです」
阪神・淡路大震災と東日本大震災、そして西日本豪雨。これらの災害における被害例は、私たちが住んでいる場所の地形や歴史が、いかに自然災害と密接に関連しているかを示しているといえよう。
人間が賢くなれば自然変動の「災害化」は防げる
高橋教授は、人間の知恵が自然災害の被害を大きく左右することを改めて強調する。
「私たち人間はさまざまな自然災害に『襲われる』としばしば表現しますが、本来は自然変動は良し悪しの無い、中立的な事象です。自然変動が災害になるかどうかを決めるのは、あくまでも人間です。地形や災害史から得られる知見を、自治体の都市計画やデベロッパーの開発計画、個人の土地選びで活用できれば、災害は確実に抑止できる。人間が賢くなれば自然災害を減らすことは可能なのです」
近代以前に比べて人口が爆発的に増加した現代、人は災害に対して脆弱な場所にも住まざるをえない。また、古くから伝えられてきた災害伝承には、既に失われてしまったものも多い。しかし同時に現代は、学問や科学技術・情報技術の著しい発展を享受している時代でもある。自治体、企業、個人が「土地の履歴」について正確な知識を持てば、「災害」を減らすことは可能である。