「読まれた札が頭の中で光る」 かるた10連覇クイーンの到達した記憶力と無心

2020年1月9日


マンガ『ちはやふる』の大ヒットで広く知られるようになった競技かるたの世界だが、そのトップレベルの選手たちの試合を見たことがある人は少ないはず。そんな人には一度、名人戦やクイーン戦といった全国最高峰の戦いを動画サイトなどで見てほしい。「かるた」と聞いて思い浮かぶのとは別次元のスピードが繰り広げられる様子に圧倒されるはずだ。
※2020年の名人戦およびクイーン位決定戦は1月11日(土)開催。試合の模様はYouTube Liveでライブ配信予定。詳しくは全日本かるた協会お知らせを参照

そんな驚異のスピードの世界で、毎年1月の近江神宮で女性最高峰を決する「クイーン位決定戦」。この大会で、中学3年生でのクイーン位獲得から10連覇という偉業を達成した女性が、福岡県で小学校教員として働く楠木早紀氏だ(立命館大学 産業社会学部卒業。2014年1月のクイーン位10連覇を境に、2015年以降は同大会の出場を辞退)。

弱冠15歳で史上最年少クイーンに就き、並み居る年上の挑戦者を退けながら10連覇を成し遂げた楠木氏。彼女を支えた記憶力や集中力、そして何よりも「メンタルの強さ」はいかにして鍛えられたのか――。

50枚の中の「正しい」札が読み上げられた瞬間に光る

楠木氏の著書『瞬間の記憶力 競技かるたクイーンのメンタル術』(PHP新書)

まず、競技かるたのルールを簡単に確認したい。
競技かるたの試合では百人一首の全100首ではなく、ランダムに選ばれた50枚だけが用いられる。対戦者2名はそれぞれに与えられた25枚を自陣内で自由に並べる。札を並べた後には15分の暗記時間が設けられ、その間に選手は50枚の配置を覚えるという流れだ。試合が始まったら読み上げられた札を取っていき、先に自陣の札がなくなった選手の勝利となる。なお、和歌の「五七五 七七」のうち、札に書かれているのは「下の句=七七」だけだが、読み上げ「上の句=五七五」から始まる。そのため、対応する下の句を早く特定することが勝利の鍵だ

楠木氏の場合、最終的にはたったの5分で50枚すべての配置を覚えられるようになったという。では、札を読み上げる声が耳に届き、手を伸ばし始めるその刹那、楠木氏の頭の中では何が起こっていたのだろうか。

「試合中、畳に並んだ札はぼんやりとしか目に入っていません。その代わり、暗記時間に覚えた50枚が頭の中で映し出されています。何も書かれていない白地の枠が50枚、おでこの前に浮かんでいるイメージです。
そして読手が1文字目、例えば『あ』と言った瞬間、50枚の中で対応する札だけがランプのようにパッと光るんです。もっとも、その札が複数枚あるときはまだ札を一枚に特定できません。次に『き』が聞こえると対応する札が減って、光る札も少なくなる。最後に『の』が聞こえるといよいよ光る札が1枚だけになるので、その札に向かって手を伸ばす……。私は試合中、こんなイメージを持って戦っていました」(楠木氏。以下同じ)
競技かるた上級者はここまで優れた画像記憶能力を持っているのかと驚かされる話だが、このような認識方法は楠木氏特有のものだそうだ。他の選手と話したりインタビューなどを読んでも、似た話はほとんど聞かなかったという。

「母音と子音を聞き分けた」驚異の聴力

クイーン位決定戦で札を取る楠木氏(写真右)

競技かるたでは記憶力だけでなく読手の声を聞き取る能力も重要だが、楠木氏はその力も卓越していた。
「普通に会話しているとき、私たちは人の声を『流れ』として捉えていますね。でも試合中のかるた上級者は、音を1文字ずつ分節して聞き分けます。『秋の』は『あ・き・の』と聞き分けられるということです
もっと言えば、私は子音と母音も聞き分けられていたと思います。『き(ki)』の『k』と『i』を、連続する異なる音として認識できたのです。『k』が聞こえた段階で動き始められるため、当然札取りは有利になります」

もちろん、卓越した記憶力と聴力は一朝一夕で身についたわけではなく、地道な練習の積み重ねで獲得されたものだ。「練習部屋の畳はいつもボロボロだったし、払い飛ばした札が刺さるせいで、ふすまも穴だらけでした」と楠木氏は笑う。こんなエピソードを聞けば、膨大な練習に裏打ちされた記憶力と聴力が10連覇の要因だったに違いないと思われる。しかし楠木氏の考えは違った。
勝ち続けられたために最も必要だったのは、」と楠木氏は質問に対して即答した。「記憶力や耳の良さよりも、メンタルの強さでした

「相手の分析はしない。ひたすら自分を磨き上げよう」 若きクイーンの覚悟

間違った札を取ってしまう「お手つき」や、自分と相手が同時に札にふれたときの話し合い(ときには揉めることもある)など、競技かるたには焦りや動揺を誘う要素が潜む。相手に何枚も連取されて焦り、思わぬミスから一気に逆転されてしまう……という事態も珍しくない。メンタル面での安定が試合結果を左右しかねない競技だ。

「だからこそ、対戦相手の動きや戦い方に一喜一憂せず、淡々と競技し続ける精神的な強さを身につけたいと常に意識していました」と楠木氏は強調する。
「周囲に心を乱されない無心の状態を、毎日の練習だけでなく生活のルーティンでも養えるようにしていました。次に控える大会で試合が10時に始まるならば、自宅でも10時から練習を始めて、試合の終わる時間になったら練習も終える、という風に」

また、あくまでも自分の力を高めることだけを意識して、大一番の対戦相手でも戦略研究などはせず、相手に研究されることも気にならなかったという。なぜなら、どれほど相手を研究してもそれは『過去のデータ』で、次の試合もデータ通りに展開する保証は無いからだ。

このような姿勢は、挑戦者を迎え撃つクイーンという立場から必然的に生まれた。
「中学3年生でクイーンになったことが大きかったのだと思います。『大人がなるもの』というイメージだったクイーンに中学生のうちからなったことで、『クイーンの理想像』を強く意識するようになったんです。自分をとことん磨き上げ、他の選手から目標にされる選手になろうと決心しました
若くしてクイーンになった故の覚悟が、楠木氏の飽くことなき向上心を支えていたのだ。

かるたは子どもの記憶力と集中力養う――教師として日々実感

10連覇を区切りとして2015年にクイーン戦を辞退した楠木氏。今は福岡県の小学校で、教員として子どもたちを教える毎日だ。教員という仕事の中でもかるたで鍛えた記憶力は役立っている。

1日の仕事を振り返るとき、『あの子が給食の時間にこんなことを言っていたな』とか、『こんな表情をしていたな』とかすぐに思い出すことができます。特に何らかのエピソードにまつわる記憶は頭に残りやすいですね。覚えようと意識していなくても頭に残ることが多いです。
そのおかげで子どもの成長にもよく気付けるのが嬉しいし、助かります。『前に間違っていた問題が正解できている!』と分かったりして」

子どもたちにもかるたを教える中で、かるたが子どもの記憶力を高めるのも目の当たりにしてきた
「『百人一首をどうやって覚えよう?』と考えるうちに、覚え方を工夫しようとする姿勢が生まれるのを感じます。実際に私も、小さい頃からかるたをすることで、覚えることに抵抗感がなくなって、漢字や九九もスムーズに覚えられていました」

かるたが養うのは記憶力だけではない。楠木氏はかるたは子どもの集中力も養うと話す。
「小学3年生のクラスを受け持っていたとき、特に強く感じました。3年生だと、先生の話を聞いたり問題を解くことに集中できない子も多いのですが、かるたの練習を続けていると、落ち着きのない子でも1時間ぐらいは集中できるようになります。『読手の声に耳を傾ける』という習慣の積み重ねが効いてくるのではないでしょうか」

楠木氏が語るかるたの効能を知ると、かるたを子どもに薦めたり、自分でも始めてみようと思う人もいるはず。最後にかるたを楽しく始めるコツを聞いた。
「いきなり『百人一首の100首すべてを覚えよう!』と考えると挫折しがちなので要注意です。歴史好きな子どもは覚えるのも速いですが、やはり大人は子どもに比べて覚えるのに時間がかかりますので……。大人も子どもも、まずは少しずつ歌を覚えたらどんどん実戦に取り組んで『覚えた札を取る楽しさ』を実感してほしいです。そうするうちに『もっと取りたい、だからもっと覚えよう!』という好循環につながります」

楠木氏をクイーンに君臨させた記憶力やメンタル力は、言うまでもなく、仕事や生活においても重要な能力だ。かるたを始めるのに、新春よりふさわしい季節もない。好きな歌をいくつか覚え、家族で「競技かるた」を遊んでみてはいかがだろう。

shiRUto 編集部

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