中小企業庁の推計によると、黒字にもかかわらず後継者不在により廃業の危機にある企業が約60万社にも上る。この後継者不在問題が顕在化する中で注目を集め出したのが、「中小企業のM&A(合併・買収)」だ。しかし、M&Aで成果を出せるかどうかは、統合後の経営にかかっている。
その経営統合後のマネジメントの指針となる「ガイドライン」が、2021年3月、中小企業庁から公表された。ガイドライン策定に関わった、立命館大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)の水野由香里教授に、中小企業のM&Aについて聞いた。
● 後継者不在が中小企業の事業承継を阻んでいる
● 今、中小企業のM&A(企業の合併・買収)が注目される理由
● 経営統合後のマネジメント PMIとは?
● 中小企業庁が『中小PMIガイドライン』を策定
● 中小PMIガイドラインが持続的成長のヒントに
PMIの前提となるM&Aは、事業継承を円滑に進める手法としても期待される
今、日本の中小企業は、経営者の高齢化が進む中で「後継者不在」という大きな問題に直面している。帝国データバンクの「全国企業『後継者不在率』動向調査」によると、後継者が「いない」もしくは「未定」という企業の割合は、調査が始まった2011年以降、60%超という高い水準が続いている。
この「後継者不在」が、中小企業の事業承継を阻む一因となっている。
また、東京商工リサーチ「『休廃業・解散企業』動向調査」によると、2021年、倒産ではなく事業を停止した(休廃業・解散)企業は4万4,377件に上る。それら休廃業・解散企業の56%は黒字で、代表者の平均年齢は71.0歳。つまり、一定程度の業績を上げながらも、経営者が高齢化し、後継者も見つからずに事業をやめてしまう企業が、年間、数万社もあるというのが実情だ。
こうした状況の中、後継者不在という問題を解決し、事業承継を円滑に進める手法として期待と注目を集めているのが、「M&A(エム・アンド・エー)」だ。
M&Aとは? 現在、1970年代に生まれた企業群の世代交代が活発に
M&Aとは「Mergers(合併) and Acquisitions(買収)」の略で、文字通り、2社以上の会社が一つになったり(合併)、ある会社が他の会社を買ったりすること(買収)を意味する。M&Aといえば、ひと昔前は「会社の乗っ取り」というイメージもあったが、近年は企業の成長戦略の手段としての意味合いが強くなっている。
では、なぜ今、中小企業のM&Aが注目を集めているのだろうか。
「1970年代、日本の大企業は、オイルショックに端を発して大規模なリストラを行いました。このとき、技術者を中心にリストラされた、けれども能力のある人たちがスピンオフをして事業を始め、大企業の周辺に立地し、大企業からの仕事を請け負う中小企業群が、全国各地に生まれました。
この中小企業群の創業者が引退する時期に差し掛かり、2010年前後から、どうやって経営のバトンをつないでいくのかという問題が顕在化してきました。国も、事業承継を円滑に進めるために税制などで措置を講じたのですが、なかなかうまく進みませんでした。そこで、単純に『企業の数の維持』を目指すのではなく『企業体の維持、事業の維持』を重視する考え方が浮上し、2010年代半ばころから事業承継にM&Aを活用する流れが生まれてきたのです。
『中小企業白書』も指摘しているように、優良な企業、優良な顧客を持つ企業までもが後継者不在で事業を畳むことを選択することは大きな損失であり、円滑な事業承継の推進は日本経済全体にとっても重要なテーマだと言えます」(水野由香里教授、以下同じ)
後継者が見つからないなどの理由で企業がそのままの形で生き残れないのであれば、合併や企業(事業)を譲渡することで「会社の継続」ではなく「事業の継続」を図ろうというのが、M&Aによる中小企業の事業継承だといえる。
統合後のマネジメント(PMI)がM&Aの成果を左右する
実際、中小企業のM&A件数は増加傾向にある。『中小企業白書2022』によれば、中小企業のM&A仲介を手掛ける東証上場の3社、国が設置した事業引継ぎ支援センターのいずれも、M&Aの成約件数を伸ばしている。
しかし、M&Aは「成約」がゴールではない。買収した側の企業がM&Aによる成果を出せるかどうかは、買収後、どう経営するのかにかかっているのだが、この点はこれまであまり重要視されてこなかった。
中小企業庁においても、事業を譲渡する側のための『中小M&Aガイドライン』は2020年3月に策定していたが、事業を引き継ぐ側のためのガイドラインは策定されていなかった。その後、2021年9月、買収する側のマネジメントについて議論を行う「中小PMIガイドライン策定小委員会」が立ち上がり、水野由香里教授も学識者として委員を務めた。「PMI」とは、「Post Merger Integration」の略で、M&A成立後の経営の統合プロセスを意味する。
その小委員会が取りまとめたものが、2022年3月に公表された『中小PMIガイドライン〜中小M&Aを成功に導くために〜』だ。
「これまでに70件近いM&Aを成功させた日本電産の永守重信会長兼CEOが『買収前に使う力は2割でしかなく、買収後に使う力が8割』と語っているように、M&Aの成立はスタートラインに過ぎません。本当に大事なのはM&A成立後の統合作業なのですが、では具体的にどうすればよいのかについて、これまで明文化されたものはありませんでした。
M&Aを実施した企業にはノウハウが蓄積される一方、ニッチ市場でトップに立つような中堅企業でさえ、M&Aを実施しても7〜8割がうまくマネジメントできていません。そうした現状を踏まえ、M&Aを実施しようとしている人、M&Aを実施したけれどもどうやってマネジメントすればよいか十分にわかっていない人のために、『中小PMIガイドライン』が作成されたのです」
『中小PMIガイドライン』が経営統合プロセスのポイントを解説
『中小PMIガイドライン』は、PMIを時系列で4つの工程に分けてポイントを整理した上で、さらにM&Aの規模別に小規模向けの「基礎編」と中規模・大規模向けの「発展編」に分け、それぞれどのような取り組みを行うことが望ましいのかを具体的に挙げていて、極めて実用的で分かりやすい内容になっている。
「『ガイドライン』では、M&A成立前に『M&A初期検討』と『“プレ”PMI』という2つの工程を設定し、それぞれの工程で取り組むべきことを挙げています。PMIは、M&Aが終わってから始めるものではなく、M&Aの初期段階から取り組みを始めることが重要だからです。そして、この段階では、お互いの意識を確認し合ったり、目指す方向性を共有するといったことが大事です。
次の工程が『PMI(集中実施期)』で、実際の作業はおおむね100日を目処に行うことが望ましく、その間に実施すべきことをまとめています。
最後の工程が『“ポスト”PMI』で、企業間のシナジー効果を追求する段階です。持続的な発展を実現し、企業価値を高めていくための取り組みの具体例を挙げています。
それぞれの工程ごとのポイントを念頭に置いて、PMIを進めてほしいと思っています」
そして、『中小PMIガイドライン』のもう一つの特徴が、実際の取り組み事例が豊富に紹介されている点だ。
「実際のPMIの取り組みについてよく知っている方々がコミットして策定された『ガイドライン』で、実際の企業の『取組例』と『失敗例』が豊富に掲載されています。起こりうる局面を具体的に想定しながら考えることができるようになっているという点で、単なるマニュアルではない内容になっていると思います。
例えば、M&Aの難しさの一つに、被買収企業の優秀な社員から辞めていってしまうという問題があります。あるいは、被買収企業の社員たちに『自分たちは売られたんだ』といったわだかまりが残ることも多くあります。そうした人たちのケアをどうやっていくのか、どうやって士気を高めていくのかなどの事例も、『ガイドライン』には書かれています。他にも、制服を変えたり、トイレをきれいにしたことで離職率を下げることができたという事例も出てきます。ぜひ参考にしていただきたいと思っています」
「中小PMIガイドライン」が持続的成長のヒントに
水野教授は、この『中小PMIガイドライン』を、「M&Aをやろうとは考えていない人」にも読んでほしいと語る。
「経営者の中には、M&Aをやろうとして痛い思いをし『もう二度とM&Aはやらない』と決めている人もいますし、M&Aについてまったく知ろうとしない“食わず嫌い”の人もいます。しかし、そういった人たちにこそ、この『ガイドライン』を読んで、M&Aの実際を分かってほしいと思っています。
M&Aはやり方が大事で、勘どころさえおさえてきちんと進めていけば、win-winの関係がつくれるものなのです。しかも、1社だけでは実現できなかったことが、複数の会社が一つになることによって実現できる可能性が広がります。そうした『M&Aの可能性』を知るという意味でも、『ガイドライン』を読んでほしいと思います」
確かに、中小企業のM&Aが実現するのは、円滑な事業承継だけではない。しかし、企業規模の拡大や事業の多角化など、成長戦略の一つとしてM&Aを活用する動きが中小企業においても活発になっており、「M&Aの可能性」は広がりを見せている。
最後に、この「M&Aの可能性」について水野教授に聞いた。
「データを確認すると中小企業のM&Aでは、相手先としては同業種の競合他社が多く、地域としては同じ地域か近隣の地域が多いのです。その背景には、単独では生き残れないスーパーが近隣のスーパーと一緒になることで事業の継続を図るケースであったり、地域の産業を守るために川上の企業と川下の企業が統合するといったケースで、M&Aが活用されているという事情があります。
私も小委員会での議論を通じて認識を新たにしたのですが、地域の生活基盤、地域のコミュニティーを維持するためのM&Aもあるのです。M&Aは企業の成長戦略という文脈で語られることが多く、あまり大きく取り上げられていませんが、地域の経済社会の持続性向上、地方創生のためのM&Aということも非常に大事な視点だと考えます。
そして、もう一点が、M&Aは国際的な競争力を持つ中小企業をつくり、持続的な成長、企業価値の向上につながっていくものなのだという視点です。事業承継や経営不振といった課題の解決が当初の目的であったとしても、経営統合後の長期的な方向性をしっかりと見据えることで、M&Aが競争力強化、持続的成長を実現していく契機となることでしょう」
水野由香里
2005年3月一橋大学大学院商学研究科経営・会計専攻博士後期課程単位取得退学後、2005年7月独立行政法人中小企業基盤整備機構リサーチャー、2007年4月西武文理大学サービス経営学部専任講師、2013年4月同准教授、2016年4月国士舘大学経営学部准教授、2018年4月同教授より現在に至る。2018年4月中小企業大学校東京校・関西校「高度実践型経営力強化コース」講師(現在に至る)。主な著書に、『小規模組織の特性を活かすイノベーションのマネジメント』(碩学叢書、中小企業研究奨励賞)、『戦略は「組織の強さ」に従う』(中央経済社)、『レジリエンスと経営戦略』(白桃書房)がある。2019年3月博士(経営学、東北大学)。