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スポーツ性貧血を専門家が解説 原因は鉄分不足ではなく炭水化物不足?

2020年3月3日




東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が近づき、トップアスリートの活躍を期待する人も多いだろう。そんな中、アスリートのパフォーマンスを低下させる要因として見逃せないのがスポーツ性貧血とも呼ばれる「鉄欠乏」だ。

鉄欠乏とは鉄代謝が悪化して体内の貯蔵鉄量が極端に減少した状態を指し、集中力や持久力の低下、疲れやすさの増加などの悪影響を及ぼす。特に女性アスリートでは発症率が高く、ロンドン五輪前の日本人選手を対象にしたメディカルチェックでは対象者の20%以上に鉄欠乏の状態が認められた。

従来、アスリートの鉄欠乏の原因としては「激しいトレーニングによる発汗や消化管での出血により鉄分が過剰に失われ、鉄分摂取が追いついていない」ということが定説だったが、近年になって新たな仮説が登場し注目を集めている。スポーツ好きな一般の人々にも関係するかもしれないこの仮説や、低炭水化物ダイエットのリスクについて、立命館大学スポーツ健康科学部の*後藤一成教授に話を聞いた。
(*後藤教授には別記事にて低酸素トレーニングの将来性についても解説いただいている

「鉄欠乏」でも原因は鉄分不足だけではない

後藤教授によれば、アスリートの鉄欠乏では次の4つが原因に挙げられることが多い:
①食事からの鉄の摂取量の不足
②発汗による鉄の喪失
③足裏に激しい衝撃が加えられることによる赤血球の破壊(溶血)
④消化管からの出血
これらはいずれも、鉄の摂取不足(①)または流出(②〜④)に着目している。しかし多くのトップアスリートは管理栄養士のサポートも受け、発汗などに伴い喪失する鉄量を考慮した食事を摂っているはずだ。鉄欠乏の原因を単純に鉄分不足と考えることには疑問が残る。そこで後藤教授は現在、次のような仮説を検討している。

「激しい運動を日々行うアスリートの体内では、炎症が慢性的に発生しています。またそれに伴い、肝臓からヘプシジンというホルモンの放出がされることが明らかにされています。食事に含まれる鉄は十二指腸から吸収されますが、ヘプシジンは鉄の吸収を抑制するようにはたらくホルモンです。そして最近約10年間の研究結果から、運動を実施すると血中でのヘプシジン濃度が数時間にわたり上昇することが示されました。したがって、運動後には鉄の吸収が数時間にわたり抑制されるものと考えられます。私は、このような運動によるヘプシジン放出がアスリートの鉄欠乏の一因であると予想しています」(後藤教授。以下同じ)

しかも、一度上昇したヘプシジン濃度は運動後も高く維持されるという。大学生の女子陸上長距離選手を対象にした実験では、早朝練習後に上昇したヘプシジン濃度は終日にわたって高いままだった。練習量が多いほど、安静時におけるヘプシジン濃度が高くなることも報告されている。

「運動強度が高く、さらに競技時間の長いスポーツほどヘプシジンの濃度の上昇が顕著にみられ、鉄分の吸収阻害というリスクが高まりかねないのです。また、持久性種目のアスリートでは1日2回のトレーニングを実施することが珍しくありません。この場合には1回目の運動(練習)によってヘプシジン濃度が上昇した状態で2回目の運動(練習)を実施するので、ヘプシジン濃度が終日高い値を示すことになります」

せっかく鉄サプリメントを摂っても……逆効果の可能性


もちろん鉄欠乏を自覚し、その対策として鉄分サプリメントを摂取するアスリートも多いだろう。だが後藤教授は、むしろそのリスクを指摘する。

「14名の男性を対象に、1日2回の持久性トレーニング期間中に鉄サプリメントを1日に2回摂取してもらい、ヘプシジン濃度の推移を調べました。ただし、そのうち半数の7名が摂取したのは『鉄サプリメント』と称したプラシーボで鉄分は含まれていません。するとどうでしょう、実験4日目になると鉄摂取グループのヘプシジン濃度が大きく上昇し、プラシーボ摂取グループに対して有意な差が出たのです。鉄分を積極的に摂ろうとするほど鉄分を吸収しにくくなるという皮肉な結果が出てしまいました

そもそもヘプシジンは、体内における鉄量を一定に保つためのホルモンだ。そのため急激に多くの鉄分を摂ると、鉄吸収を抑えるべく肝臓から放出される仕組みになっている。最近では、中学や高校の陸上競技界で「鉄剤注射」が問題になった。日本陸上競技連盟は安易な鉄剤注射の危険性を指摘しているが、鉄剤注射や多量の鉄摂取はヘプシジンの作用という観点からも決して容認できないという。

「食事から摂取する鉄はその一部が体内に吸収されるのに対して、鉄剤注射では鉄がすべて血液中に入るためヘプシジン濃度は慢性的に高くならざるを得ません。それを知らず注射をしても鉄吸収は阻害されるため、パフォーマンスの改善も期待できないと考えられます」

鉄欠乏ならば鉄分を摂ればいいだろうと、つい考えたくなる。しかし最新のスポーツ科学は、その安易な発想がむしろ間違っているかもしれないことを示しているのだ。


しかるべき量の食事を摂っても鉄欠乏になりうるのと同時に、食事制限にもやはり鉄欠乏のリスクはある。後藤教授は次のように説明する。

「女性アスリートの健康問題としてしばしば『女性アスリートの三主徴』(FAT)が指摘されます。
(1)利用可能エネルギー不足(LEA)
(2)運動性無月経
(3)骨粗鬆症
の3つを指し、特に上流にあるのがLEAです。LEAは運動によるエネルギー消費量に対して、食事からのエネルギー摂取量が不足することによって起こります。競技への悪影響は当然ながら、成長期のアスリートの発育を阻害する危険すらあるのです。しかしフィギュアスケートや新体操などの審美系競技では、体を細く軽くしたいがために過剰な食事制限を行い、無月経や貧血、疲労骨折などになってしまう若い女性アスリートが少なくないのです」

事実、順天堂大病院や東大病院などは女性アスリート外来を開設し、LEAや無月経に対する注意を呼びかけている。審美系の競技では約17%の女性選手が無月経という調査もあるほどだ。


そして後藤教授によればLEAはヘプシジン濃度を上げ、鉄欠乏をもたらす可能性がある。大学生の男子陸上選手7名に数日間の食事制限を実施し、LEAの状態(=エネルギー摂取量が足りない状態)で持久性トレーニングを実施した結果、ヘプシジンの有意な上昇がみられたのだ。
LEAがヘプシジン濃度を上昇させる可能性は別の実験でも再現された。一般女性22名を、
・通常量の炭水化物を摂取するグループ
・制限された量の炭水化物を摂取するグループ
に分類して3日間の経過観察を行ったところ、炭水化物の摂取を制限されたグループのヘプシジン濃度が、食事制限前のなんと3倍以上に跳ね上がったのだ

「ケトジェニックダイエットなど、炭水化物を極端に減らすダイエット方法はすっかり主流になっています。確かに、余剰に摂取した炭水化物は、多くの水分を含むグリコーゲンとして肝臓や筋肉で貯蔵されます。したがって炭水化物の摂取を極端に制限すると、グリコーゲンとともに水分が減少しますので比較的短期間で体重が減少します。しかしこの方法では、体内のヘプシジンを増やし、鉄欠乏を誘発するリスクを否定できません。特に普段から貧血気味だったりスポーツをしている女性には明らかな悪影響が生じかねないと言えるでしょう。その結果として鉄欠乏性貧血になってしまえば息切れや立ちくらみから、食欲不振や頭痛といった症状まで起きることも考えられます」

近年のスポーツ科学はこのように、運動や食事と鉄代謝の関係を明らかにしてきた。そして後藤教授はいま、炭水化物の適切な摂取や低酸素環境がヘプシジンの分泌を抑えるのではないかと研究を進めている。

「低酸素刺激は、造血作用をもつエリスロポエチンの分泌を刺激します。このエリスロポエチンは肝臓からのヘプシジンの産生を抑制することが知られています。実際に、2014年に発表された論文では、持久性運動後に低酸素環境にさらされることでヘプシジン濃度の上昇が抑制されたことが示されています。現在、低酸素トレーニングは競技力向上の強力なツールとして活用されていますが、鉄代謝に対してプラスに作用する可能性も考えられます」

東京オリンピック・パラリンピックの開催が近づき国民の間でスポーツの気運が高まる一方で、適切な知識を欠いた運動はかえって健康を害しかねない。それは「過剰な鉄分摂取がかえって鉄吸収を妨げるかもしれない」という後藤教授の研究も示唆するところだ。
スポーツ科学に基づく知見を“アスリートだけのもの”と考えないで積極的に活かすことが、一愛好家としてスポーツを楽しむ私たちにもますます求められるはずだ。

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後藤一成

筑波大学体育科学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学スポーツ科学学術院助教を経て、現在は立命館大学スポーツ健康科学部教授を務める。専門はトレーニング科学であり、スポーツ競技力の向上や健康の維持増進をねらいとした各種トレーニングの効果およびその効果の機序の解明に取り組んでいる。

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