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県庁を辞めてオランダリーグへ。10年前の後悔を勇気に変えた、ホッケー田中健太

2020年2月17日




東京2020オリンピックで52年ぶりに五輪に出場するのが、男子フィールドホッケー代表「サムライジャパン」だ。2018年アジア大会ではインドやマレーシアなどの強豪がひしめく中、下馬評を覆して初優勝を達成。同年5月に開催国枠はすでに認められていたものの、自力でも五輪出場権を手にした。

チームを鼓舞して優勝に導いた立役者の1人が、田中健太選手だ(立命館大学 産業社会学部卒業)。32歳の田中選手は、世界有数のホッケー強豪国オランダで、1部リーグHGCに所属(2020年2月現在)。2019-2020シーズンでは開幕から3試合連続ゴールを決めるなど中心選手として活躍しており、東京2020での代表入りも確実だ。

そんな田中選手の海外挑戦は意外に遅く、30歳のとき。それまでは和歌山県庁で働きながら国内クラブに所属し、海外経験は一度も無かった。公務員という安定した立場を捨て、単身で海外に渡る勇気を持てたのは、大学卒業時から積み重なった「後悔」があったからだったという。

燻り続けていた「海外挑戦」への思い

国際試合でプレーする田中選手(写真提供:日本ホッケー協会)

日本ではまだ普及途上のホッケーだが、オランダやドイツなど欧州各国では人気スポーツの一つだ。

「オランダの通りや電車では、スティックを手にした人を大人も子どももよく見かけます。5面もあるホッケー場を持つ地元クラブが数km圏内にいくつもあって、平日に全面埋まっていることもあるくらい。性別や年齢に関係なく人気で、ホッケー人口が日本とは桁違いです」

そんなホッケー大国に田中選手が渡ったのは2018年。しかし実は、海外に渡るチャンスは大学卒業前にも一度訪れていた。

「ドイツのクラブからオファーをもらったのですが、当時は『ホッケーで生活できるか分からない』という不安も強く、公務員という進路を選びました。でも、海外でプレーしたい思いはずっと心のどこかにありましたね」

田中選手の気持ちをもう一度呼び起こしたのが、東京2020開催国枠の正式決定。ホッケー界では、開催国に必ず五輪出場が認められるとは限らない。それだけに関係者には、とりわけ海外挑戦への思いを燻ぶらせていた田中選手にとっては、大ニュースだった。

「メダルを目指したいと思ったものの、練習時間や密度が足りていないと分かっていました。『自国でのオリンピック出場というチャンスに後悔を残したくない』と海外挑戦のモチベーションが再燃したんです」

今度は後悔したくない。2020出場決定から1ヵ月後に海外オファーを受諾

ちょうどそんな折、オランダのHGCからオファーを受ける。海外生活すら初めてだったが飛びついた。

「ドイツからのオファーを断ったときと同じで、不安はやはり大きかったです。でも今回は海外に行きたい気持ちが勝りました。『何とかなるやろ、どうにでもなれ』って(笑)。親や同僚、友人のほとんどは反対でした。それでも意思を貫けたのは、もう絶対に後悔したくないという気持ちが、本当に大きかったからです。オリンピック出場を逃す悔しさを味わう度に『あれをしておけば、これをやっておけば……』という後悔があった。だからこそ薄氷を踏む決断ができたんです」

燻ぶっていた思いの積み重ねが背中を押した。「行ってよかった。後悔はまったく無い」と言い切る田中選手は、オランダでプレーする喜びを饒舌に語る。

「日本では反復練習が多く、シュート練習や対人練習でも同じ状況ばかりを想定しがちです。一方、オランダのプロチームでは同じ練習がほとんどありません。練習や試合の映像を分析して、必要な内容をさっそく次の練習で取り入れます。
オランダ以外出身の選手も多いので、意思疎通はすべて英語です。プレーの意図や考えを伝え合う重要性は意識していて、チームメイト同士で『今のプレーはこうすべきだったのでは?』と話すこともよくあります。レベルの高い選手が集まっているので、一言二言で考え方を教え合うだけで分かり合えるときも多いですね」

相手の意見は「絶対に」聞く。コミュニケーションで大切にしていること

サムライジャパン主将・山下学選手(右)と話す田中選手

海外に挑む日本人アスリートはコミュニケーション面で苦労することも多いが、「元々意見をはっきり言えるタイプ」と自らを表現する田中選手は、オランダでもあまり苦戦していないという。日本代表や国内クラブでも中心選手としてリーダーシップを取る機会が多かった中で大切にしているのは“絶対に相手の意見を聞く”ことだ。

「チーム作りではコミュニケーションが最も大切なので、他の選手を見て疑問に感じたり、分からないことは必ず訊ねています。その上で思うことがあれば『こうしてみたらどう?』とアドバイスの形で考えを伝える。ただし押し付けることは絶対にしません。以前は『こんな風にプレーしたほうがいい』と強く言ってしまうこともあったんですが、その方法はダメだと次第に実感したんです」

とはいえ、質問するだけですぐに本音を引き出せるとは限らない。どんな工夫をしているのだろうか?

「プレーに関しては直後に聞くとすっと言葉が出てきますね。時間が経ってからだと、その瞬間に考えていなかったこともつい言ってしまうことがある。すぐに聞くのがベストです。モチベーションや目標などプレー以外については、最初はあまり考えを言ってくれなくても、何度か聞くうちに相手の意見も固まって、話し始めてくれることがあります。
もちろん、答えに納得できるときもあれば、そうでないときもある。そんな場合も相手の考えを否定はしませんが、自分の意見も絶対に伝えます。相手の選択肢が増えるのも大切だと思うからです。最近は代表チームでも若手選手が戦術の要望をしてくれるなどディスカッションも増えていて、良い変化が生まれてきました」

「フィールド内に上下関係は要らない」 指導者として思うこと

立命館大学ホッケー部の拠点である立命館OICフィールド(大阪府茨木市)は、JOCのホッケー競技強化センターに指定されている

田中選手は2019年から、母校・立命館大学のホッケー部で指導を始めた。指導者として大学生を教えるのは、選手同士のコミュニケーションとはまったく別の難しさがあるという。

「最初から正解を教えると、考えるチャンスを奪って成長を妨げてしまう。指導・助言のやり方は模索していますが、難しいですね。指導者としては駆け出しなので日々勉強です。ヨーロッパには『怒る指導者は二流』という共通了解があります。僕自身も、選手に考えさせ、やる気を引き出す指導を実践したいと思っています」

田中選手が大学生だったのは、まだ約10年前だが、当時と今の大学生には大きな違いも感じているという。

「協調性を大事にする意識が強い反面、『上級生だからリードしよう、教えよう』と考える学生は少なくなりました。先輩・後輩関係は僕が学生のころに比べるとほとんどフラットです。その方がお互いに意見も言いやすいし、良い変化だと思います。とはいえチームスポーツで勝利を目指す以上、リーダーシップを取る選手は不可欠です。年齢に関係なく、リーダーシップを取れる部員ならば誰でもその役割を担ってほしいと言っています。フィールドの中では誰もが平等。フィールド内での上下関係は甘えにつながるので無くしていくべきだと思っています」

対話して言うべきことは言う。フィールド内での選手は平等――田中選手の言葉からは、強い信条がはっきりと伝わってくる。

(写真提供:日本ホッケー協会)

最後に、田中選手の競技人生のターニングポイントとなった東京2020について、意気込みを語ってもらった。

「自国でオリンピックに出る一生に一度のチャンスです。チャレンジする喜びはもちろん、結果を残したい思いも強くあります。ホッケーの人気向上にも貢献したいですね。トップ選手のシュート速度は時速200km近くにもなり、迫力と爽快感があります。シュートをゴール近くのサークル内でしか打てないので、サークル周辺の激しい攻防に注目すると観るのが面白いですよ。僕自身はフォワードとして得意なドリブルで局面を打開したり、ゴールを積極的に狙っていきます」

燻り続けた後悔をバネに、公務員という立場を捨ててオランダへ渡った田中選手。異国で活躍する「勇気」と「コミュニケーションの心得」は、ビジネスやキャリアパスなどで未知の“フィールド”に挑もうとする誰にとっても、大きな道しるべになるはずだ。


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