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最重量級リングが受け止める8年の軌跡 女子レスリング皆川博恵の東京2020

2020年2月7日




東京2020オリンピックに向けて注目を集める競技の一つに、女子レスリングがある。その最重量級は76kg級で、世界レベルになると平均身長は170cmを優に超え、中には180cmを上回る選手もいるほど。
その迫力ある舞台において、身長162cmの小柄な体で世界と渡り合う実力者が、東京2020五輪代表に内定している皆川博恵だ(立命館大学 経済学部卒)。

父親はレスリング指導者、兄もレスリング選手というレスリング一家で育った皆川選手は、全日本選抜選手権を2012〜2019年まで8連覇中、世界選手権でも2017〜2019年の3年連続で表彰台に上がっている。

この経歴を見ると、皆川選手が順風満帆な競技人生を歩んできたと感じられるかもしれない。しかし実は、五輪出場は今回が初めて。しかも、かつてリオ五輪の前年に大怪我に見舞われて出場を逃し、一度は引退を決意したことさえあるという。

32歳という年齢での五輪初出場を決めた皆川選手は、逆境をいかに乗り越え、競技を続ける決断をできたのだろうか?

大先輩の敗北を機に、攻めるスタイルに舵を切る

REUTERS / ISSEI KATO – stock.adobe.com 2018年アジア大会でモンゴル選手を攻める皆川選手

8年前の2012年ロンドン五輪。最重量級の代表はあの浜口京子選手だった。大きな期待を集めてたものの、初戦敗退に終わる。
一方、皆川選手は浜口選手に挑み続けていたが、勝つことは叶わず五輪出場を逃していた。その浜口選手の初戦敗退を受け、皆川選手は「次は私が最重量級でがんばらないと」と思ったという。そこで取り組み始めたのが、戦うスタイルを変える試みだった。

「私は元々自分から積極的に攻めるより、相手の動きや攻めに対応してポイントを取りにいくスタイルで戦っていました。でも、やっぱりそれでは世界を相手に勝つのは難しい。何より試合を後から見返して『これはつまらないな』と感じたんです。2012年ころを境に、積極的に攻めるスタイルを模索するようになりました」(皆川選手、以下同じ)

元々のスタイルは「勝ちたい」というよりも「負けたくない」という消極的な気持ちからきていたという。性格に逆らって慣れた戦い方を変えるのは、決して容易ではなかったはずだ。

「自分から攻めてタックルを狙い、相手の体の下に入るのは勇気が要ります。それでも『恐怖心に打ち勝とう』と自分に言い聞かせ、常に攻める気持ちで戦うようになりました。
たとえ反撃されてポイントを取られても、追いかける試合展開を作ればいい。序盤から展開を作り、試合を動かしていくほうが良いと今は思っています」

負けを怖れる気持ちを抑え、攻めを重視するようになった皆川選手。国際大会の成績も向上し、国内における最重量級トップの地位は確かなものとなっていった。

全治8ヶ月の靭帯断裂。リオ五輪出場を絶たれ、一度は引退を決めた

2016年のリオ五輪に向けて実績を積み重ねていた皆川選手だったが、2015年世界選手権まで3週間という合宿中に大きなアクシデントに見舞われる。膝の靭帯断裂という大怪我を負ってしまったのだ。

「年齢的にも良い時期で、世界選手権の順位も徐々に上がって初表彰台も間近に見えてきていたところだったので……辛かったです。医師に『どうしても試合に出たい』と伝えたんですが、試合に出られる状態ではないと言われて欠場しました」

その結果、世界選手権の入賞による五輪出場は果たせなくなる。その後の五輪アジア予選出場を目指し、急ピッチでリハビリを進めたが回復は間に合わず、リオ五輪出場はついえた。

大怪我、そして五輪出場を逃すという苦しい経験を経て、皆川選手は一度、現役引退を決める。しかし「この2つで最後の大会」と思って臨んだ全日本選手権と全日本選抜選手権で、優勝という結果を残した。

「失礼な言い方かもしれませんが、『勝っても負けてもかまわない』とリラックスできていたのと、最後という気持ちで思い切ってリングに上がれたのが結果につながったと思います」

この2つの優勝が、皆川選手を予期せぬ結果へと導くことになった。

タフな心と気持ちのゆとりが世界選手権の初表彰台へ導いた

「世界選手権の初表彰台は本当に嬉しかった」と話す皆川選手

両大会の優勝で2017年世界選手権の出場権を得たが、そのときもまだ「世界選手権が本当に最後の大会だ」と思っていた。しかしなんと、その世界選手権で皆川選手は強敵たちを倒し、銅メダルを獲得。4回目の出場にして、初めて世界選手権の表彰台に上った。

「ほかの国際大会では優勝や表彰台を経験していましたが、世界選手権だけは実績を残せていませんでした。私の勝ったことのある選手が優勝するなど悔しい思いをしていたので、メダルを受け取ったときの達成感は大きかったです」

大怪我の後ながら、なぜ皆川選手はそれまでで最高の結果を出せたのだろうか?

「一つの要因として、怪我を通して精神的にタフになったことがあります。
怪我の前はレスリングの結果に気持ちが大きく左右されていました。勝ったら嬉しい反面、負けてしまうと大きく落ち込んでしまうことも多くて……。もちろん私は会社に所属するレスリング選手ですから、結果がすべてという面もたしかにあります。
でも競技を休んでいる間、レスリングや人生についてゆっくり考えるうちに『レスリングはあくまでも人生の一部だ。勝敗に関わらず、自分がどれほどレスリングと真摯に向き合えるかどうかも、同じくらい大事なんだ』と思えるようになったんです。気持ちの浮き沈みは少なくなり、試合前の日々も落ち着いて過ごせるようになりました」

今まで果たせなかった快挙を成し遂げ、引退への思いは変化した。
夢中になってレスリングに取り組めるのは本当に楽しい、幸せなことだ。世界選手権の表彰台レベルの力があるのに意固地になって引退する必要はない”――そう思い直し、現役続行を決めた。
競技から離れ、競技人生を省みる過程で得た、タフな心。それが結果に結びつき、競技を改めて続ける決意を生んだ。

「今も技術や体力は向上している」 東京2020ですべてを出し切る

無念の大怪我から5年。東京2020五輪を控える皆川選手は今、都内男子高校のレスリング部へ週6日ペースで練習に通う。通い始めてからもう7年ほどだ。2017年に結婚した夫は学生時代までレスリング選手だったため、競技アドバイスや食事の準備など幅広いサポートをしてくれているという。

今、皆川選手は32歳。アスリートとしてベテランと呼ばれる域にも入るが「技術や体力は今も向上しています」と言い切る。

「技術の習得に年齢は関係ないと感じますし、ウェイトトレーニングの結果も良くなっています。疲れやすさや怪我しやすさ以外には、年齢によるパフォーマンス低下はないですね。
私の場合、幼い頃にスパルタ指導されなかったのが良かったかもしれないです。レスリング指導者だった父も『練習したかったらしてもいいよ』という感じだったので(笑)。成長期の体に過度な負担をかけないですみました」

皆川選手は入院中、“人生ではいつ何が起こるかわからない”と実感して、 人生でやりたいことのリストを作ったという。例えばフルマラソンを走ること(これはすでに実現した)。富士山登頂もその一つだ(未達成だが、実現できる可能性は高い)。
怪我後、2017年世界選手権の代表に決まったときはその表彰台もリストに加えたが、その後3回達成した。そして次のゴールは――。

怪我を乗り越え、頼れるパートナーを得て臨む五輪の初舞台。意気込みを聞いた。

「結果を残したいという思いはやはり一番にあります。大会までにレスリングとどれほど真摯に向き合い、準備したことを試合で発揮できるか。それが結果の上でも、自分の気持ちにとっても大切だと思っています」

引退を決意するほどの大怪我を乗り越え、気持ちの強さとゆとりを得ることで手にした東京2020の切符。皆川選手は立ち止まる時間を決して無駄にはせず、自らが成長する時間へと変えた
立ち止まることイコール停滞ではない、自分を新しい方向から顧みて、成長するチャンスになる――皆川選手の8年間の軌跡からは、そんなメッセージが静かに伝わってくる。

2019年世界選手権・準決勝 Photo by Naoki Morita/AFLO SPORT

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