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「微生物」が未来の食を変えるーー生態系から農業を考える、新技術SOFIXとは

2021年7月29日


微生物をめぐる生態系のイメージイラスト

いま、食について考える上で避けられないのが、食べることにまつわる社会課題だ。フードロスや、食料生産がもたらす環境負荷、健康への影響など問題は多岐に渡るが、これらをサステナブルな形で解決するカギとなる存在が「微生物」だ。

本記事では、その微生物を活用した新技術「SOFIX」に着目する。立命館大学の久保幹教授が開発したこの技術は、土の中の微生物を「見える化」することで農地の健康状態を測定、環境負荷の少ない循環型農業を目指すフードテックだ。

微生物は、未来を変えるイノベーティブな存在

土のイメージ

微生物といえば、長らく続く発酵食ブームや腸内フローラといったキーワードが身近なトピックとして思い浮かぶが、医療開発、バイオ燃料の生産、環境浄化など、広いジャンルにおいて今後の研究成果が期待される存在。なかでも農業は期待が大きい分野の一つだ。

例えば、未来の有望成長領域について、各種のエビデンスをもとに書かれた『2060未来創造の白地図』(川口伸明著)では、今後、「人体と腸内細菌叢の関係」のように「土壌細菌叢と作物植物との共生関係」が解明されれば、既存の農業に大きな生産変革がもたらされると予測している。具体的な成果としては、土壌中の微生物生態系を解析することで「土の栄養を増やしたり、病原菌を減らしたりすること」などが挙げられ、新分野「プロバイオティクス農業」への発展も示唆している。

今回取り上げるSOFIXは、まさにその萌芽ともいえる技術だ。

土壌の物質循環の中心になる「微生物」

SOFIXの仕組みを理解するためには、土壌微生物の働きについて知る必要がある。久保幹教授に解説してもらった。

土壌中の物質循環と微生物の働きを示す図

「農業の基本は土の中の物質循環。その中心になるのが微生物です。土壌中の微生物は有機物を食べて無機物に分解し、植物が利用できる形にする働きを担っています。ただし、化学肥料を用いた場合は無機物がそのまま植物に吸収されるため、循環に微生物が関与しません。微生物は土壌の残留化学肥料・農薬の影響をもっとも受けやすい生物。そのため、土の状態を把握するための指標として用いているんです」(久保幹教授、以下略)

SOFIXは「Soil Fertility Index(土壌肥沃度指標)」の略。肥沃度とは、植物を生育するための土壌の能力のこと。いうなれば土壌の健康診断だ。微生物量をはじめとした土の健康状態を可視化することで、これまで勘や経験値に頼ってきた「土作り」が、誰にでも再現可能になるそう。

そして、土壌の診断は次のように行う。

「微生物量」を見える化する、SOFIXの土壌分析方法

大学内の圃場で話をする久保幹教授
大学内の研究圃場で話をする久保幹教授

「SOFIXでは微生物の“数”と“動き”で土を評価していきます。“数”は、土壌から微生物のDNAを採取して数をカウントします。約2時間半くらいでわかる技術を開発しました。生きた微生物だけを定量化でき、多いところでは土1gあたり100億くらいいますが、6億以上いると微生物が多いと判断します。“動き”については、土壌中の窒素とリンの循環を計測することでみていきます。それらを含め、計19項目の数値を計測して土壌を評価し、微生物が豊富で、活発に活動している農地では評価が高くなり、化学肥料や農薬を使用すると評価が下がる傾向にあります」

SOFIX土壌では野菜の収穫量、栄養価がアップする

大学内の植物工場で栽培される、鉢植えのほうれん草の様子
大学内の植物工場で栽培されるほうれん草

SOFIXの診断を処方箋のように用い、不足している成分などを、同じくSOFIXで成分を分析した堆肥などにより補うことで、農地に最適な土壌を「確実に」作ることができる。一般的に有機農業はかかる労力に対して利益が少ないとされるが、SOFIX技術を使えば収穫量が上がり、農薬や化学肥料を使わないぶん栽培コストが抑えられるという。

「市販の土とSOFIX土壌、それぞれに小松菜を植えて定点カメラで観測すると、最初は肥料の分解に時間がかかるために、SOFIX土壌のものの成長が遅いのですが、30日を超えたあたりから逆転し、圧倒的に大きく仕上がる。きっちり農地を管理することで、化学肥料以上の農産物を収穫できるようになっています。また、ファイトケミカルが増えるので、保存安定性がよくなるといった実験結果も出ています」

立命館大学内にある植物工場の様子

久保教授は、過去12,000件を超える土壌の分析結果をもとに、森林バイオマスやミネラル、堆肥をベストな成分バランスで調合した「SOFIX有機標準土壌」と「SOFIXパウダー(有機肥料)」をパッケージ化。これがあれば、誰でも、どこでもコンディションのいい土壌を安定的に維持することができる。室内の植物工場にも応用が可能で、害虫の混入を防いだ密閉空間で栽培を行えば、病害虫に弱く、農薬なしでの栽培が難しいとされていたイチゴの有機栽培なども可能になるという。

開発のきっかけは、汚染土壌のバイオレメディエーション

土壌のイメージ

そもそも、久保教授が現在の研究を始めたきっかけは、微生物を用いた環境浄化にあった。

「米国で、バイオレメディエーション(微生物を用いた浄化)技術の研究に携わったことがきっかけです。具体的には、石油分解菌を取得し、石油で汚染された土壌の浄化を行うというもの。効果を発揮する微生物を土壌に投与しても、微生物が働く土壌と、働かない土壌があったんです。そこから、菌を効率よく機能させるためには、土壌の肥沃度が重要だとわかり、SOFIXにつながっています」

現在では、自然の流れに沿った農業を推奨する教授だが、以前は遺伝子組換えの研究に没頭していた時期もあったそうだ。「その頃は人為的なところをよしとしていたんですよね」と語る教授、その価値観を180度変えたエピソードも興味深い。

「若いときは、大腸菌や枯草菌(こそうきん)を使った遺伝子組換えに没頭していました。大げさに聞こえるかもしれませんが、この技術があれば世界を変えられるくらいに思っていたんです。でも、理論上はうまくいくはずなのに、実験中に予期せぬ組換えが生じる。微生物にストレスをかけるほど多く出てくる。これには理由がつかず、不自然なことだと感じました。また、遺伝子組換えした微生物を環境中に戻すと、すぐに死滅してしまうということもありました。遺伝子組換えは非常に有効なツールだとは思いますが、私自身の場合で言えばそういった経験から、より自然に近い形で研究をすべきだと実感したんです」

研究を後押しした、化学農法に対する問題意識

さらに、研究を後押ししたのは日本における「食の安全性」への問題意識だ。現在の日本では化学肥料や農薬を使った農業が一般的で、その使用量は世界でもトップクラス。それらが環境や生物に与える影響について、大きな危機感を抱いている。

世界各国の農薬使用量を示すグラフ
日本は韓国に次いで2位。3位のイタリアの倍程度の使用量だ

「農薬は生産者の除草労働時間を格段に減らすことができるなど、効率化を考える上では有効な面もあります。しかし、医薬品のようにヒトへの臨床試験がなく、健康面での影響は不明な点がある。例えば体内に蓄積される農薬については、ヨーロッパではかなりセンシティブな問題ですが、ネオニコチノイド系の農薬の場合、赤ちゃんを含むほぼすべての日本人の尿から検出されています。こういう現実があるということがあまり知られていません」

ネオニコチノイド系の農薬はみつばちなどへの影響も指摘され、フランスでは使用が全面禁止。日本の残留農薬基準値は、きゅうりを例にとるとEUの約100倍の数値だ。健康への懸念や環境への配慮といった観点に加え、「より多くの国に輸出したい」というビジネス的な観点からも、農薬の使用基準を厳しくする国が増えているなか、日本は規制緩和傾向にあるとも教授は指摘する。

久保教授の研究圃場で栽培されるぶどうの葉

「農業土壌の研究を進めるほど、化学肥料や農薬を使用することの影響に直面してきました。1960年代より始まった『緑の革命』と呼ばれる農業革命によって化学肥料が大量投入され、発展途上国を中心に農業の生産性は著しく向上しましたが、その負の面がいま表面化しているのだと感じます。化学肥料の連用で土地が痩せてしまうことに限らず、それらが湖や沼、地下水などに流れ出ることによる環境汚染など、問題はいくつもあります。これを克服することが課題であり、いま農業は大きな転換期にあります」

SOFIXが目指す、物質循環型農業の価値

化学農業の負の側面として見えてきた問題点は、同様の農業スタイルをいくら効率化、最大化しても解決できる問題ではない。そこで久保教授が提案するのが「物質循環型農業」だ。

久保幹教授が示す、SOFIXを用いて目指す物質循環型農業の図

「そもそも、農業は生態系の中にあるものです。生態系とは、植物や動物、微生物などの生物と、土などの無機的な環境が相互に関係するシステム。このシステムと農業は密接に関連している。こういった、『物質循環』を意識した農業スタイルを作っていく必要があると感じています」

そして、日本において物質循環型農業を実践するためには、山から里山、畑、水田をめぐる環境を意識する必要があるという。

「日本には非常によくできた地形があり、気候も温暖です。まず山があり、山には豊富なバイオマスがあります。山に降った雨やバイオマスは、里山・樹園地・畑へと流れていきます。また、牧場の堆肥や人の食品残渣は畑に還元できる。畑の下には水田がありますが、水田はあまり肥料を要求しないので、水中の成分がきれいになった状態で川、海に入り、雨となって山に循環していく。これを物質の循環型農業と位置付けています。こういった、持続可能な食料生産やバイオマス生産をサイエンスでサポートするのがSOFIXの価値だと考えています」

SOFIXで、腸内の微生物も見える化できる!?

少し話は逸れるが、SOFIX技術をヒトの腸に応用した、面白い実験結果も教えてもらった。

被験者の詳細と、ヒトの腸内細菌数を示す表

「こんな実験もしています。20代の大学生から食生活の異なる4人を選び、腸内細菌数を調べたんです。すると、三食欠かさず、バランスよく食べているC、DはA、Bに比べて細菌数が格段に多い。その後、野菜ジュースを毎日3本ずつ、1週間飲み続けてもらいました。すると、細菌数が増えるんですよ。特に、元々少なかったAは84%も増えている」

野菜飲料摂取による腸内細菌数の変化を示したグラフ

興味深いことに、腸内細菌は「量」だけでなく「種類」も増えるそう(増える菌と減る菌があるが、相対的には増える)。

土壌中細菌と植物の関係、腸内細菌と宿主の関係はかなり似ています。さらに、土壌中の微生物の中で最も多いのは細菌ですが、腸内で最も多い微生物も細菌。そういった共通点から、SOFIXと同様に腸内の総細菌数を指標に腸内環境を評価できないかと考えたんです」

上記の実験の結果についてはまだ解析途中だというが、私たち自身が持つ微生物群が、地球全体の微生物群の一つだと感じられるような結果である。

微生物が起こすイノベーションで、未来はもっと健やかになる

小豆島の自治体との共同研究で栽培しているオリーブの木
小豆島の自治体との共同研究で栽培しているオリーブの木

2012年にSOFIXを発表した久保教授らは、その普及を目指した社団法人を設立。分析依頼の土壌は海外からも集まり、現在では分析件数が年間1,000件を超える。加えて、農産物のブランド化を狙った自治体との共同プロジェクト、企業との共同研究も増えているという。近年の面白い例でいうと、競走馬の育成施設の馬糞の安全性に着目し(ドーピング検査が徹底され、薬物やエサの管理が厳重なため)、その堆肥を用いた農地で米を栽培。日本酒「勝利馬」(小西酒造)の開発を手掛けるなど、展開は多岐に渡る。

「今後は自然の循環に沿った農業のサポートを通じて、農業生産者、畜産業、農産物物流、小売りなど農業を取り巻くさまざまなプレーヤーをオーガナイゼーションしていくことが理想です」

これは、物質循環のみならず、各プレーヤーが利益を得てビジネスとして持続していけることも加味したビジョンだ。土壌環境の改善から未利用バイオマスの活用、さらにはサーキュラー・エコノミーの実現まで、SOFIXが生み出す循環は今後も大きく広がっていきそうだ。

 

撮影/岡崎健志、取材・文/佐々木智恵美、イラスト/新井リオ、図版デザイン/岩﨑祐貴

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久保幹教授の写真

久保幹

立命館大学・生命科学部 教授。工学博士。専門は環境微生物、生物機能、環境工学。研究テーマは、物質循環型食料生産、石油分解、廃油処理、バイオマス資源の新規利用など。SOFIXなどの技術を活用し、総合的な環境バイオテクノロジーへの展開を目指す。