「なかなか眠れない」「枕が合わない」と悩む人は多い。市場にはさまざまな機能を謳った「枕」が溢れており、まさに百家争鳴のごとくだ。そんな枕難民の救世主が、ついに登場するかもしれない。立命館大学理工学部の岡田志麻教授と、睡眠の質をアップデートするプロダクト・サービスの開発に取り組むAx Robotix株式会社は、ロボティック枕「ねむりす」を共同研究した。「ねむりす」は、高さを調整機能を用いて睡眠中の頭部を揺らせるようにした枕だ。この機能を用いて特定の周波数でわずかな上下動を繰り返すことで、使用者に深い眠りを提供するという。
● ロボット枕ってどんなもの?
● 深い睡眠をもたらす、わずか「2cm」の上下運動
●「深部体温」を下げて良質な睡眠をとるコツ
● 小さな変化が心身に大きな影響を与える
たった2cmの動きで深い眠りへ! 睡眠の質を向上させる「ねむりす」とは
通常の枕は、その材質が何であれ自ら動くということはしない。しかし、「ねむりす」は、枕に可動部分を備えており、それゆえに“ロボット枕”を謳っているのだ。
「動く枕というと、エアーコンプレッサーを使って内部の空気圧を変えるようなタイプのものを思い浮かべるかもしれません。しかしコンプレッサーは音がうるさく枕には適しません。『ねむりす』では、枕の下に静音モーターに接続されたプレートが入っており、そのプレートが上下に2センチ程度の小さな動きをします。
周波数は0.125ヘルツ。つまり、4秒かけてゆっくり上がって下がる(または8秒周期で上下する)という動きです。これを繰り返すことで眠りの質を高めることができるとう研究結果を、ラスベガスで開催された家電関係の国際会議で発表しました」(岡田教授、以下同じ)
ロッキング効果が「デルタ波=深い睡眠」を促す
心地よく、ゆらゆらと動く状態で、ウトウトと眠くなってくる…。赤ちゃんがゆりかごで眠るようなイメージだが、このような上下動=「ロッキング」の睡眠における効果は、すでに先行研究があったという。
「睡眠時のロッキングによって、深い睡眠をとっている時に脳波に出現する『デルタ波』が増えるという結果は、すでにマウスで実証されていました。今回、私たちは『ねむりす』を使って実験を行いましたが、深い睡眠の時に出現するデルタ波が有意に増加していることを示しました。
ロッキングは、耳の奥にある前庭器官に影響を与えて深い睡眠を促進する効果があると考えられています。また、心拍数の安定やリラックスといった効果も確認されており、眠りの質を高めるプロダクトの開発にもつながる成果だと考えています。
睡眠には大きく分けて前期と後期があり、前期に『深い睡眠』をたくさん取り、後期に『レム睡眠』をたくさん取っています。ロボット枕は、睡眠前期の深い睡眠を増やすフェーズで特に活用が期待でき、利用者の状況によってロッキングをコントロールして理想的な睡眠を実現するような形で進化させていきたいと考えています」
スムーズな睡眠導入や睡眠の質の向上は、「寝付けない」「眠れない」という悩みの解決だけにとどまらない。深い睡眠をしっかり取ることによって翌日の活力が増すことは多くの研究によって確認されている。パフォーマンスの高い睡眠を取ることは、私たちの日常生活・日中活動のパフォーマンスを向上させることに繋がる。
寝苦しい夜も怖くない!寝付きを良くするためのコツ
暑い夏の夜、寝苦しさに悩む人は多い。睡眠を科学的に分析してきた岡田教授に、寝付きを良くするためのアドバイスをいくつかいただこう。
「重要なのは寝室の環境で、特に温度と湿度のコントロールが大切です。部屋が暑く湿度が高いと、なぜ眠れないかと言えば、体の『深部体温』が下がらないからです。人間は手のひらや足などの表面から熱を放散しますが、周りが暑く湿度が高いと、熱が放散されずに体の内部の温度が下がりません。これが寝苦しさの原因です。
眠れる環境を作るために、まずは寝る前に部屋を涼しくしましょう。例えば、エアコンを使って部屋の温度を下げることで、体が熱を放散しやすくなり、深い睡眠に入りやすくなります。また、特に夏場などは寝る前には湯船に浸からず、シャワーだけで済ませてもいいでしょう。お風呂に長時間入ると、体の表面温度が上がったままになり、深部体温を下げるのが難しくなることがあります」
都市部だけでなく、全国各地で熱帯夜となることも多い昨今、エアコンを付けたままにして眠るケースも増えている。これは睡眠にはどのような影響を与えるのだろうか。
「私たちの体温は、寝ている間に徐々に下がっていき、明け方の4時頃に最も低くなると言われています。また、睡眠は浅くなったり深くなったりを繰り返していますが、そのおよそ90分の周期で発汗し、体温を上下させることを繰り返しています。
タイマーでエアコンが途中で止まるように設定している方もいると思いますが、外気が熱帯夜のような温度になっていると、睡眠中の発汗で体温が適切に下がらず、目が覚めたり睡眠の質が下がってしまうケースもあります。夜の間の気温の推移などを見て、適切にエアコンを使っていただくのが良いと思います」
先端技術が人間の生態機能を変える“小さなトリガー”を浮き彫りにする
ロボット枕の開発に象徴されるように、ロボティクス技術が、ヘルステック分野に革新をもたらそうとしている。同時に、進化を続けるAI技術との融合にも注目が集まるが、岡田教授は近年のテクノロジーの変化をどのように捉えているのだろうか。
「実は、人間の身体機能を観察してみると、“ほんの少しの刺激”で体内部の生態機能が変化するケースが多いのです。『ねむりす』も、わずか2cmの揺れで深い睡眠に誘導し、身体に良い影響を与えることができます。
これは肉体的な刺激だけでなく、精神面でも同様です。例えば、ロボットが少し関与するだけで人間関係が変わることがあります。肉体面も精神面も、AIや機械を上手く活用することで、『自分では変えられない内部のこと』を変えられる可能性がたくさんあるのです。今後は、AIを上手に活用して心身をコントロールする技術が注目されると考えています。
ヘルスケア分野では、昔から多くの論文や研究がありましたが、実証できなかったことも多くあります。このような膨大な研究データの活用はまさにAIの出番だといえます。ロボティクスやAIの進展とともに、私たちがより良く生きるための課題解決が進むことを期待しています」
岡田志麻
2000年立命館大学理工学部卒業、2002年同大学大学院理工学研究科博士課程前期課程修了、2009年に大阪大学大学院医学系研究科の後期博士課程を修了。博士(保健)。三洋電機株式会社研究員、日本学術振興会特別研究員(DC2)、近畿大学理工学部講師、立命館大学理工学部ロボティクス学科准教授を経て、2022年より同教授。立命館先進研究アカデミー(RARA)フェロー。専門は生体医工学、特に生体信号センシングのシステム開発に力を入れている。