2022年7月1日。東京・紀尾井町にペルー発のガストロノミーレストラン「MAZ(マス)」がオープンした。こちらは、2022年、世界のベストレストラン50で第2位に輝いた南⽶ペルーのレストラン「Central(セントラル)」を率いるシェフ、ヴィルヒリオ・マルティネスと、彼の主宰する研究機関「Mater Iniciativa(マテル・イニシアティバ)」が手がける店。食への学際的なアプローチが注目されているヴィルヒリオシェフと立命館大学食マネジメント学部の和田有史教授が、これからのファインダイニングのあり方について語る。
研究機関の役割は、一皿の前後左右の理解を深めること
和田:ペルーの「Central(セントラル)」では、ペルー各地の高度ごとに異なる食材を使用した「高度別コース」というユニークなメニューを展開されています。日本でも同様のコースを提供すると聞きましたが、そこには、日本の食材も登場するのでしょうか?
ヴィルヒリオ:ペルーの多様な生態系—自然、文化、アートといった側面も含めてですが―を表現したコースを提供していきたいと思っています。ただし、ペルーからすべての食材を持ち込むのは、環境の面から我々のポリシーに反しています。そのため、食材はペルー産2割、日本産8割で調達しますが、大切なのは、ペルーで我々が培った食に対する哲学や技術を日本で紹介するということなのです。
和田:日本は最高でも標高は3000m級で、ペルーに比べたら低いのですが、日本は海が深いため、水深別にということを考えていたりするのでしょうか?
ヴィルヒリオ:とてもいい考えですね(笑)。「Central」でいっしょに働きませんか?(笑)
和田:では、研究機関「Mater Iniciativa(マテル・イニシアティバ)」に(笑)。
ヴィルヒリオ:海に視点を移すという考え方はとても面白いと思います。
和田:「Mater Iniciativa」(以下「Mater」)から様々な食材や調理法を取り入れているかと思いますが、その活動は具体的にどういったものなのでしょう?
ヴィルヒリオ:「Mater」は、人類学や考古学、美術など、分野をまたいだ学際的な機関で、結果として食に繋げていくような活動をしています。たとえば、ここにグラスに入った水があったとします。その時大抵の人は、目の前にある「水そのもの」を見るにとどまってしまうかと思いますが、本来その水は、どこから来て、誰が提供していてというように、自然や環境に対する繋がりを内包しているはずです。「Mater」の活動は、ペルーの食文化のイニシアティブを取り戻したり、再認識したりすることで、料理の背景への理解を深めるのが狙いです。
和田:資料で見た「Mater」の動画には、山に入り食材を探しているようなシーンもありましたが、リサーチよりも、どちらかというと領域を超えて、研究者たちがディスカッションする場のようなイメージでしょうか?
ヴィルヒリオ:そうですね。もちろん、調査もしますが、研究や考え方を深めていくような活動がメインになります。
20年前と今ではシェフに求められていることは大きく異なります。一つは、インターネットが普及したことで、SNSなどで自分がどのように映るかを考えること。またもう一つ別の角度から見ると、大きなコミュニティとどのように繋がっていくか、自分と共に働く人に対してどう振る舞うか、社会に対してどのようなインパクトを与えていけるかということ。ですから、20年前と比べて、シェフはもっと知的にならなければなりません。
和田:日本でも「Mater」は活動していくのでしょうか? たとえば、別の世界的なレストランでは、日本の発酵について学び、発酵調味料を作ったりしています。日本の食材を「Central」に持っていく可能性もあるのでしょうか?
ヴィルヒリオ:まずお伝えしたいのは、私たちのチームは中南米で非常に大きな責任を持っているということ。いわゆる、レストランにおけるR&Dとは少し意味合いが異なります。
和田:責任と言いますと?
ヴィルヒリオ:「Mater」では、過去、ペルーや中南米にあった技術や食材を再発見し、それを保存し、次世代に伝えるということに重きを置いています。原住民の方と共に畑を耕すこともあり、農家の方や、都市から離れたコミュニティとの繋がりができました。そういった方々は、往々にして、政府など公的機関から見えない存在になっていることが多いのです。
でもそういう方々は、農業や農産物について質量ともに優れた知識を持っています。彼ら彼女らが生産したものを、私たちがレストランで使わせてもらっていて本当に感謝しているのですが、その方たちに対して、そういった文化を守ったり、支持したりすることに責任があると感じています。「ファインダイニング」といわれる高級レストランというものは、そういったソーシャルレスポンシビリティを保っていくべきだし、自分もそうありたいと思っています。
和田:単に食材を提供してもらうだけでなく、文化の維持に深くコミットしているのですね。
ヴィルヒリオ:レストランというのは、自分たちの食や農業に対する一番大きな大使館であり、美術館であり、博物館という役割を担っていると思います。
ペルーでおいしいと感じる要素は、「酸っぱさ」と「いろどり」
和田:「MAZ」を出店する前から、日本には7、8回いらしていたと伺いましたが、日本とペルーの味や香りの好みの違いを教えてください。
ヴィルヒリオ:ペルーの人は酸の高いものが好きですね。ドレッシングをかけ過ぎるなど、酸味を多用する傾向があり、柑橘もよく使います。それから、食材の種類をたくさんいれがちです。ペルーはジャガイモだったら何千種類、キヌアやトマトも何十種類とありますので、やはりそういった種の豊富さが料理に表れるのだと思います。色もカラフルですしね。
反対に、 日本はミニマルですよね。一つ一つの完璧さを日本料理は追求しているような気がします。ペルーは、いろいろなことをやろうとして、途中でなんだかよくわからなくなってしまう(笑)。
和田:(笑)。そういったペルーらしさを核にした料理を食べに、世界のフーディたちが「Central」を訪れます。ローカルを大切にしながらも、世界中の人々を惹きつける味やフレーバーのポイントはどこにあるのでしょう?
ヴィルヒリオ:恐らく、それは味だけではなく、食に対する考え方や新しい体験など、レストランにあることすべてが複雑に組み合わさった結果、そう思っていただけるのではないかと思います。そう考えると、実際に「Central」にいらしたことがない方にも影響を与えているのではないでしょうか。
和田:素晴らしいですね。先程お話に出ていた「レストランというのは、自分たちの食や農業に対する一番大きな大使館であり、美術館であり、博物館」に通じるかと思います。これまでの、卓越した美食を提供するガストロノミーから深化した、新たな枠組みを提示するヴィルヒリオシェフの取組みが、ここ日本でどのように醸成していくか注目したいと思います。
【取材・文/浅井直子】
Virgilio Martinez(ヴィルヒリオ・マルティネス)氏 プロフィール
2009 年ペルー・リマに「Centra(セントラル)」をオープンし、2015 年に世界のベストレストラン50で第4位、2022年には第2位に。2018年には、ペルーのクスコの⾼地、インカのモライ遺跡のすぐ横に海抜3500mのエコシステムを体験できるレストラン兼研究所「MIL(ミル)」をオープン。ペルーの多様な⽣態系を研究するために、妹のマレーナとともに設⽴したNGO「Mater Iniciativa(マテル・イニシアティバ)」では、さまざまな分野の研究者とともに、ペルー全⼟を調査している。
和田有史
日本大学大学院 文学研究科博士後期課程修了。国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構上級研究員等を経て、2017年4月より立命館大学教授。2022年には東京大学上級客員研究員。専門は実験心理学。博士(心理学)。専門官能評価士。