2021年秋に行われた衆議院選挙の結果、憲法改正に賛同する「改憲勢力」の議席数が衆院3分の2に達した。実際の改憲はまだまだ先の話ではあるが、改憲の「国民投票」に至るまでに、今から考え、備えるべきことは少なくない。
● 憲法改正手続きと国民投票の基本
● 憲法改正に向けた日本の現状と「立法事実」
● 専門家の意見で情緒的議論を避ける
● 参考にならない海外の改憲事情
● 国民投票の前に備えるべきこととは
憲法改正のための国民投票の流れをおさらい
始めに、国民投票が行われる場合の、それに至る流れをおさらいしていこう。
国民投票は、憲法改正に必要となる手続きのひとつで、初めのステップとしては「憲法改正を国民に提案するかどうか」を国会で審議することになる。現状、憲法改正に前向きな議員割合が衆参両院の2/3をうかがうことから、憲法改正の発議が現実味を帯びてきたということだが、今はまだ(1)の手前の段階ということになる。
国会で憲法改正の発議が可決された場合、国民投票が行われる。選挙運動のようなイメージで、それぞれの改正案に対して「賛成」「反対」を促す活動も行われることになる。
投票方法も、通常の議員選挙とは大きく異なる。憲法改正案ごとに投票用紙が用意され、それぞれ「賛成」「反対」を判断して投票することになる。
この流れを踏まえたうえで、立命館大学法学部の植松健一教授に憲法改正の基本的な解説とアドバイスを聞いていこう。
「なぜ改憲が必要か」を冷静に考えて議論する必要がある
「憲法改正は、今に始まった話ではなく、政治の世界や論壇などでは、戦後の憲法成立以来、長年にわたって議論されてきた問題です。近年では、2006年に憲法改正のための国民投票法が成立したことによって、改正に向けての具体的な筋道は整備されてきました。
そして、2021年の衆議院選挙の結果、憲法の改正に積極的な政党と、少なくとも積極的に議論をしていこうという政党を合わせると、衆議院の3分の2以上を占める多数派になっています。これらの政党の意見が一致すれば、憲法改正に必要な衆参両院の発議の手続きをとることができる状況になっています」(植松教授、以下同じ)
まさに今後、国会において憲法改正の具体的な議論が行われていく可能性があるわけだが、改憲の議論ではどのような視点が重要なのだろうか。
「法律をつくったり、改正したりする際には、『立法事実が必要だ』ということがいわれます。立法事実とは、なぜこの法律を制定するのか、制定によって、どのような社会的な影響があるのか、国民の生活がどのようによくなるとかといったことを、専門的な知見や、実証的なデータなどを用いて説明することです。
憲法も基本的には同じで、立法事実ならぬ改憲事実とでもいうものが必要だと思います。なぜ改正が必要なのか、改正するとどのようなメリットがあるのかといったことを説明し、冷静に議論すべきです」
理解の難しい法の世界。専門家の意見に耳を傾けることが重要
現在の憲法改正の議論は、「改正ありき」や「絶対反対」といった、表層的イメージだけで語られているように見える。
「『制定から70年以上も変えていないから、1回くらい変えるべきだ』といったような情緒的な意見や議論は避けるべきだと思います。いずれにしても憲法の改正は国民投票で決まるわけですから、主権者である私たちは、誰でも憲法の問題を自由に語っていいし、語るべきです」
とはいえ、私たちが憲法を語るのは容易ではない。ただでさえ難解な法律の世界を、どのように捉え、判断していくべきだろうか。
「たとえば、安楽死やAIを今後はどうするかといった課題は、私たちのような素人にはわからないので、専門家の意見を大切にしますね。また、臓器移植や代理出産の是非などのように世論を二分する問題についても、医学や生命倫理などの専門家の声を聞くことが前提となっています。
それに対して、憲法は感覚的に議論ができてしまうところがあります。『日本にとって軍事的脅威となる国もあるので、改憲して備えるべきだ』とか、『今の象徴天皇の規定にはこういう問題があるから改正する必要がある』といったことを誰もがいえるわけです。それはそれで大切なことなのですが、改憲にあたっては、やはり憲法の条文の解釈や憲法の背景にある理念や歴史的な経緯を踏まえることが重要ですから、政治学などももちろんですが、やはり憲法学をはじめとした法学の専門家の意見に耳を傾けてほしいと思います」
「海外は改憲している!」は正しいのか?
憲法改正の議論の中で、諸外国では憲法の改正は当たり前のように行われているという意見がある。それは正しいのだろうか。
「連邦制をとっているアメリカやドイツのような国や、EUという主権国家よりも大きな統合単位があるヨーロッパ諸国と、そうではない日本とでは、同じ民主主義の国でも憲法の中身はかなり異なります。ですから『外国は頻繁に憲法改正をしているのに、日本は全くしていない』と、単純に比較することは難しいといわざるを得ません。
また、日本の憲法は大枠を定めて、細かいところは法律で決めるようになっています。こうした憲法を、専門的には規律密度が低い法律といいます。それに対して、たとえばインドの憲法は規律密度が高く、400条近くあります。細かいところまで条文で定められているために、社会や政治などの状況が変われば、改正しなければなりません。一方、日本では憲法ではなく法律の改正で対応できるために、これまで憲法改正が行われてこなかったともいえます。このように、憲法の形態によっても改正の頻度は異なるので、外国との単純な比較はあまり意味がありません」
改憲の国民投票によって、社会の分断を招かないために
憲法改正の国民投票は、改正案ごとに賛成と反対のどちらかを選ぶスタイルになる。自分の考えをはっきりと示すことを迫られた経験のない私たちは、今から何を学び、どのように備えていくことが必要なのだろうか。
「国民主権の憲法なので、改正についても、最後は国民が決めるということが大切です。ただ、国民投票は民主主義のあり方としてはいい面もあるのですが、弊害もあります。
まずひとつは、賛成、反対の白黒をつける過程で、あるいはつけた後で、社会が賛成と反対で分裂してしまうことです。イギリスでは、EU離脱に関して、離脱派と残留派の間で激しい議論が続いた結果、以前から亀裂があったのかもしれませんが、社会の分断が起きてしまい、国民投票によって離脱と白黒を決定した後も尾を引いているようです。日本においても、憲法改正の論点になるような問題は、国論を二分するような問題のはずなので、国民の中に激しい対立を生みかねません。ですから、白黒をつけた後の社会が再び一緒にやっていけるように、再構築のビジョンを事前にちゃんと持つことが必要です。
もうひとつは、歴史的に国民投票を見ると、ときの権力者に悪用された例があることです。独裁者や専制的な政治家に悪用されがちなので、日本でそのようなことが起きるかは別にして、その点についても、私たちは常に注意しておくことが大切だと思います」
植松教授の言葉にもあったとおり、最終的に憲法について判断するのは、主権者である国民だ。今後、改正是非を問う議論が深まる中で、私たち自身が憲法についてのリテラシーを高める必要があるだろう。
植松健一
1971年長野県生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士後期課程中退。島根大学法文学部などを経て2012年より立命館大学法学部に赴任。2008年10月~2009年9月にビーレフェルト大学(ドイツ)法学部客員研究員として滞在。主な研究テーマは、ドイツを比較対象とした議会制民主主義論、治安・安全法制の憲法学的考察など。主著に、「議会の口頭質問と閣僚の出席義務」(立命館法学390号)、『憲法講義』(日本評論社・共著)など。