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フェイク・ニュース氾濫時代 情報を「戦略的に選び、発する」ための教養とは?

2019年2月15日



2016年のアメリカ大統領選をきっかけに「フェイク・ニュース」という言葉が広まって以降、真偽不明な情報を警戒する意識が高まりつつある。

フェイク・ニュースを「情報源があいまいで、情報の受け手の関心のみに訴求しようとするニュース」と説明するのは、グローバルジャーナリズムを専門とする金山勉教授だ(立命館大学 産業社会学部。2019年4月より同学グローバル教養学部に着任予定)。

金山教授は「現代ではニュースが劣化し始め、客観報道が脅かされている」と語る。

注目を集める出来事を狙うフェイク・ニュース

そもそも、フェイク・ニュースはなぜ作られるのだろうか?

「フェイク・ニュースは、例えばネット上のアクセス回数に比例して情報発信者が収入を得られる状況などから生まれます

また、情報の信頼性が高いはずの大手メディアでも、情報提供者や報道機関の主観が強く反映されることで、『ファクト(事実)』ではなく『ファクトイド(事実もどき)』が伝えられる現象が起きています

根拠が乏しくても、視聴率やアクセス数を優先して真偽のはっきりしない情報を公にするのであれば、それはファクトイドであり、極端な場合はフェイク・ニュースと呼ばれてしまうでしょう」

金山教授は、国内外の具体例を挙げる。

「人々の注目を集める大きな出来事には、ファクトイドやフェイク・ニュースがつきものです。

2017年5月のフランス大統領選挙では、『大統領候補のマクロン氏は租税回避地にペーパーカンパニーを設立し、銀行口座を開設している』といった情報がネット上に流され、政治的に右派のウェブメディアなどが取り扱いました。

日本国内でも、2016年4月の熊本地震の際、動物園からライオンが脱走したというデマがSNSを通じてネット上で広まり、一部の混乱を招いてしまった」

フェイク・ニュースは情報の信頼性を損なう

もちろん、あらゆるメディアがフェイク・ニュースに毒されているわけではない。問題は、そのネガティブな影響力だ。

「新聞やテレビなどのオールド・メディアが主役だったころは、報道に対する人々の信頼も相対的に高かった。どのメディアにアクセスすれば信頼できる情報が得られるのか、今よりも広範な社会的合意が存在していたのです。
人々はメディア・リテラシーを持った上で情報の賢い受け手になればよいと考えられていました」

しかし、インターネットの登場とSNSの普及は状況を一変させた。

「主にSNSを通じて拡散されるフェイク・ニュースは、しばしばきちんとした体裁を整えたニュースのように提示されます。従来メディアのニュースと混同して受け取られるケースも少なくありません。

その結果、フェイク・ニュースが蔓延するほど、メディアが発信する情報一般に対する不信が高まり、これまで信頼されていたニュースさえも不信の目で見られてしまう現象が生じています

どの情報ならば信用できるのか、どこにアクセスすれば事実が分かるのか、人々は確固とした選択ができなくなっているのです」

発信者の利益や主観が優先されることで生まれるフェイク・ニュースは、発信者の信頼性だけでなく情報一般の信頼性までも損ないかねない、危うい存在なのだ。
日々の仕事や生活に追われる現代人には、情報の質を吟味する時間的・精神的余裕も十分にあるとは言えない。

個人レベルの情報発信で課題意識を共有。グローバル市民の必須教養

数限りない情報の中に潜む、ファクトイドやフェイク・ニュース。惑わされずに現代を生きるには、情報を「受け取る」姿勢だけでは不十分だと金山教授は言う。

「情報を賢く取捨選択するのはたしかに至難の業で、ニュース報道に従事するプロフェッショナルたちの奮起が期待されます。

その上で私たちは、情報を受け取るだけでなく自ら加工・発信する力を持つべきではないでしょうか。
個人レベルで社会的な課題を発信できれば、同じような課題意識を持つ国内外の人々と連帯し、より良い世界を目指すための志や思いを形にできます。
しかも、テキストや音声、動画をフル活用して情報発信する手段は、すでにほとんど誰もが手にしている。

市民からの情報発信のあるべき姿が、いま改めて問われているのです」

情報やニュースへの信頼が低下する現代。自分の手で情報を作り出す経験は、発信力だけではなく、情報にしかるべき知見や手間が注がれているかを見極める判断力も向上させるだろう。

情報を一方的に受け取るだけでなく、自ら発信するリテラシーが、情報グローバル化時代の新しい基礎教養となりつつあるのだ。

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