日本人にとって「炭」は、身近な物だと言える。燃料としてはキャンプでのBBQや焼肉店やうなぎのかば焼き店などのほかはほとんど使われなくなったが、脱臭、調湿、水質浄化など、炭は暮らしの中のあちこちで活用されている。その炭がいま、CO2削減のカギになろうとしている。立命館大学日本バイオ炭研究センターの、柴田晃センター長(立命館大学OIC総合研究機構客員教授)と、依田祐一副センター長(立命館大学経営学部教授)が解説する。
● 「カーボンニュートラル」とは
● 「カーボンマイナス」が必要な理由
● 炭(バイオ炭)がカーボンマイナスのカギになる
● 廃棄されていた資源が価値を生む
● 日本の炭リテラシーを世界へ
カーボンニュートラルとは? 「ニュートラル=実質ゼロ」
今、「脱炭素社会」が全世界の潮流となっている。EU、英国、米国、日本をはじめ120の国・地域が「2050年までにCO2排出量を実質ゼロにする」ことを目標に掲げている。
「CO2排出量、実質ゼロ」とは、温室効果ガス(CO2)の排出量から吸収量と除去量を差し引いた合計をゼロにするという意味。つまり、CO2の排出=プラスの分と、CO2の吸収量・除去量=マイナスの分を均衡させようという考え方だ。これは逆に言えば「CO2増加量ゼロ」という意味である。最近よく耳にするようになった「カーボンニュートラル」「ゼロカーボン」「脱炭素」は、ほぼ同じことを意味している。
カーボンニュートラルを実現するには石油や石炭といった化石燃料の消費をいかに削減できるかが最大の鍵で、現在、世界各国が、太陽光や風力発電、地熱や水力発電、バイオマス発電等、再生可能エネルギーの拡大やガソリン車から電気自動車への切り替え促進などに必死に取り組んでいる。
今のやり方では「2050年カーボンニュートラル」は達成できない?
では、実際に2050年までにカーボンニュートラルを達成する見込みはあるのだろうか。柴田センター長は「現状のやり方だけでは、2050年のCO2排出量実質ゼロは難しい」と考えている。
「化石燃料の消費を完全にゼロにすることは、2050年までに核融合の技術が確立されでもしないかぎり無理だと、私は考えています。バイオマス発電も含めて、太陽光、風力、地熱などいろいろなエネルギー源がありますが、うまくやっても、化石燃料削減は90%。残り10%の分は『CO2の除去』を進めていかなければ、カーボンニュートラルは達成できないでしょう」(柴田センター長)
大気中のCO2を「除去」することができれば、カーボンニュートラルを実現するための切り札的な手法となる。日本でも、例えば、産業拠点から排出されるCO2を分離・回収して地中に埋める技術(「DACCS」と呼ばれる)や、バイオマスの燃焼により発生したCO2を回収・貯蓄する技術(「BACCS」と呼ばれる)の研究・開発が進んでいる。
しかし、DACCS・BECCSは経済的なコストが高い。技術的にCO2の回収・貯留が可能であっても、経済的に成り立たなければ、DACCS・BECCSは普及しないだろう。
低コストでCO2を除去する技術はないのだろうか? この難題を解決してくれるのが「バイオ炭」だ。
炭を利用してCO2を「地中に埋めておく」ことで「カーボンマイナス」の実現を
バイオ炭とは、身近なものでいえば木炭や竹炭などが該当する。いわゆる「炭(すみ)」だと思ってもらえばよい。バイオ炭は、燃焼しない水準の低酸素状態で350℃超の温度でバイオマス(木材やもみ殻、麦わらなど)を加熱することで得られる。
では、なぜバイオ炭がCO2を除去する効果を持つのだろうか。
② 木が燃えると、炭素が酸素と結合してCO2となって放出される。また、枯れてもシロアリや微生物に食べられて最終的には分解され、炭素が酸素と結合しCO2が放出される。
③ 木材を酸欠状態で熱分解して「炭」にすると、炭素が結晶化して分解されにくい物質になる。
④ 炭にして固めた炭素を地中に埋めれば、酸素と結合することなく長期間、炭素のまま地中にとどめておくことができる(半減期は120年〜1万年と言われている)。
「再生可能エネルギーの拡大は化石燃料の使用削減にはなりますが、化石燃料を使うかぎりCO2の排出量が減るだけで、排出自体は続き、CO2の総量は増えていきます。
カーボンニュートラルを目指す上でも、今、求められているのは、大気中のCO2量を減らす『カーボンマイナス』の取り組みです。現状では、低コストでCO2を除去する技術としてバイオ炭の埋設が、唯一実効性あるカーボンマイナスの手法だと考えています」(柴田センター長)
そして、炭を地中に埋める利点は、CO2削減だけにとどまらない。保水性・保肥性が改善し、土壌改良の機能も果たすのだ。何より日本では、古来からもみ殻から作る炭を土壌改良に活用してきた知恵があった。しかし、化学肥料の登場により、従来の土壌改良効果のあった堆肥はあまり使われなくなり、土壌改良には化学肥料と他の炭素貯蓄効果のない資材が使われるようになった。つまり、バイオ炭の活用は現状では他の資材に比してコストがかかりすぎる。
では、どうすれば、バイオ炭を使ったCO2削減の取り組みを広げ、定着させていくことができるのだろうか?
バイオ炭によるCO2削減を、どのように社会に根付かせていくか
「立命館大学日本バイオ炭研究センター」は、バイオ炭活用によるCO2削減の事業モデルを設計し、実際の事業運営においても重要な役割を担うことが期待されている。
日本バイオ炭研究センターは、産・官・学・民の連携によるバイオ炭の社会実装を目指す研究活動拠点で、農学・工学・心理学・経済学・経営学・社会学等の多分野の研究者が集まっている。事業モデルの設計に当たっては経営学の概念を活用し「カーボンマイナス・エコシステム」を提唱する。
このカーボンマイナス・エコシステムを事業として成立させるために重要な鍵となるのが、「J-クレジット」だ。J-クレジットとは、CO2の削減量を数値化して売買する排出権取引の仕組みを採り入れた日本のJ-クレジット制度におけるクレジットのこと。
2019年に国連の機関であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)において、バイオ炭の農地施用がCO2削減の技術として承認されたことを受け、日本でJ-クレジット制度の対象として認められることとなった。これにより、バイオ炭を使ってCO2を削減することで収入が得られる可能性が広がったのだ。
カーボンマイナス・エコシステムの仕組みを大まかに説明すると、次のようになる。
② カーボンオフセット(自分たちのCO2排出分を、Jクレジットを買うことで埋め合わせる仕組み)を行いたいと考えている企業や団体などが、J-クレジットを購入し、活用する。あるいは、環境保全農作物を扱うことでブランド価値を上げたいと考えている飲食業や小売業、食品製造業者が、バイオ炭を施用した農地で作られた環境負荷価値のついた農作物を購入して、活用する。
③ J-クレジットの「提供サイド」と「活用(購入)サイド」の間に立つのが、プラットフォーム(PF)。PFは、バイオ炭の品質証明・J-クレジットの管理・環境保全農作物のブランド管理などシステムを機能させるための業務に当たる。また、カーボンマイナス・エコシステムに参加する多様な参加者の活動をサポートする役割も担う。本エコシステムの鍵が、デジタル技術を活用した情報システムであり、バイオ炭の農地施用に関するCO2削減量をデータベースに蓄積する。そして炭素クレジットの発生を可視化し、トレースできるようにする。
こうして、バイオ炭を使ったCO2削減の取り組みを継続させていく仕組みが整った。その中で、日本バイオ炭研究センター及び配下に組織化した日本バイオ炭コンソーシアムはPF機能を担い、カーボンマイナス・エコシステム推進の先頭に立とうとしている。
バイオ炭の原料とは? これまで廃棄・邪魔もの扱いされていたものが資源になる!
「私たちがバイオ炭の原料として考えているのは、その地域にある未利用のバイオマスです。森林の未利用間伐材、米のもみ殻や放棄竹林の竹、果樹を剪定した枝も毎年かなりの量が廃棄されています。こうした未利用の、あるいは、今まで邪魔物扱いされてきたものがバイオマス資源となって、バイオ炭となり、新たな収入源の切り口になります。それだけでなく、廃棄物の削減、地域課題の解決にも貢献するでしょう。
さらに、バイオ炭を埋設した農地で作った野菜などは、『環境保全農作物』として“環境価値”が付加され、これまでより高額での取り引きが期待できます。バイオ炭を契機に、都会から農村地域に資金が流れる新しい経路ができるのです」(柴田センター長)
新たなエコシステムの誕生によって、新たなビジネスが生まれる。世界が共に取り組む“強いニーズ”がある分野だからこそ、このエコシステムは大きな影響力を持つことになるだろう。
「炭リテラシーが高い」日本からバイオ炭の環境技術を世界へ!
バイオ炭を使ったCO2削減の社会実装までの道のりは険しいようにも感じるが、経営学の専門家としてプロジェクトを主導する依田祐一副センター長は、「視点の転換」が鍵になると語る。
「私たちが想定しているバイオ炭の原料は地域に賦存する未利用のバイオマスです。
これまでの常識で考えれば、それらは、ただの廃棄物でした。しかし、バイオ炭の原料だと捉え直すことで、廃棄物が温暖化防止のための貴重な資源に変わります。この“視点の転換”が一般の人に伝わると、一気に理解が進むのではないかと期待しています。カーボンマイナス・エコシステムに参加することは温暖化防止の貴重な機会、環境貢献活動なんだという認識につながり、さらに実際のアクションへとつながっていってほしいと思っています。
また、私たちはカーボンマイナス・エコシステムを使って、今まで出会ってこなかった人たちが出会う場をつくろうと考えています。新たな参加者による、新たな組み合わせが、ビジネスの機会を作っていくでしょう。
さらに、『削減効果の見える化』にも取り組んでいます。CO2削減がどこから生まれて、どこに、どれだけの価値を生んでいるのか、システム全体を「見える化」し、より自発的に参加してもらおうという狙いです。将来的には、スーパーで『この里芋は何グラムのCO2を削減したか』まで『見える化』できるかもしれません」(依田副研究センター長)
そう語る依田氏の目は、世界にも向けられている。
「日本は、自然資源がとても豊かにある国です。森林、草、野菜いろいろなものがあって、その資本が生かせるという意味で、バイオ炭という切り口を使ったCO2削減は、日本の強みが生かせる技術だと言えます。
もう一つ、日本は、炭のリテラシーがとても高い国です。農業に炭を活用することを自然に行ってきた長い歴史があり、そうしたバックボーンがあるからこそ、バイオ炭を、日本の強みとして世界にアピールできると思っています」(依田副研究センター長)
炭が、地球の未来を変える環境技術になろうとしている。
柴田晃
昭和28年 大阪府吹田市生まれ
立命館大学経営学部卒業後、大幸薬品㈱入社。入社後、製造部門長・研究部門長・営業部門長・子会社社長・副社長を歴任、2006年退任。2002年 立命館大学政策科学研究科修了(博士:政策科学)2003年に木質炭化学会(現日本炭化学会)を設立し、現在、学会長。2008年より立命館大学客員研究員、客員教授を経て2022年より日本バイオ炭研究センター長。2015年(一社)日本クルベジ協会代表理事。2017年~2022年総合地球環境学研究所 客員教授。
主なる論文として、『バイオマス炭によるカーボンマイナスと地域振興』,都市部から地域への資金還流の試み、カーボンマイナスプロジェクト」木質炭化学会誌,5(1),2-10 (2008) 、外論文・著書多数
依田祐一
NTT(日本電信電話株式会社)に入社後、ソフトウェアの研究開発部門、事業会社のソリューションサービス部門、NTTのシンクタンクの情報通信総合研究所、NTTドコモのサービス開発部門/国際事業部門を経て、2015年より現職。スタンフォード大学・客員研究員(2018-2019)。ニュルティンゲン・ガイスリンゲン経済環境大学・客員教授(2023)。博士(経営学)(神戸大学)。主著に『企業変革における情報システムのマネジメント -ISのフレキシビリティと戦略的拡張性-』碩学舎(第30回電気通信普及財団賞テレコム社会科学賞)。