ロシアによる民間人の虐殺疑惑が報道される中「戦争犯罪」というキーワードがメディアに多く登場するようになった。これまで日本においては、第二次大戦の戦後処理や「A級戦犯」といった文脈で登場してきた言葉といえるが、現代における「戦争犯罪」の定義は、我々の認識とは大きく異なる。実際に犯罪を立証する過程とは、どのようなものか。また、その犯罪はどのように罰されるのだろうか。立命館大学 国際関係学部の越智萌准教授が解説する。
● 「戦争犯罪」の言葉の定義
● 何をもって「ジェノサイド」と言うのか?
● ウクライナ侵攻が“裁かれる”としたら…
● 国際社会、国際法はどう対処すべきか
「戦争犯罪」とは何か? 包括的な言葉としては「中核犯罪」がある
始めに、「戦争犯罪」という用語の定義を押さえておこう。
「日本人が『戦争犯罪』という言葉でイメージする事柄は、現在では『中核犯罪(コアクライム)』と呼ばれています。国際刑事裁判所(ICC)が対象にする中核犯罪は4つあり、
①集団殺害犯罪(ジェノサイド)、②人道に対する犯罪、③戦争犯罪(武力紛争法の違反)、④侵略犯罪があります」(越智准教授、以下同じ)
狭義での「戦争犯罪」という言葉は、捕虜の虐待や毒ガスの使用、略奪などが含まれる。一方、越智准教授は、米バイデン大統領やウクライナのゼレンスキー大統領が、あえて「戦争犯罪」という言葉を使っていることに注目する。
「多くの国では、戦時以外でも常に、『自国の中で中核犯罪に該当し得る行為を行っている』という告発があります。例えば犯罪捜査と称した組織的な拷問や、政治的に対立する人を強制的に失踪させるなどがあります。『中核犯罪』という言葉を使ってしまうと、自分たちも非難される可能性がありますから、『今回は、ロシアとウクライナの戦争に関してだけこの話をしますよ』という意味で、①〜④の犯罪を意識しつつも、意図的に『戦争犯罪』という用語を使っていると考えられます」
国際的な舞台の中で、いわゆる“政治的な”言葉の使い分けが行われている事実は意識しておきたい。
「ジェノサイド」の本当の意味 「非ウクライナ化」の意図とは
中核犯罪の中の、①集団殺害犯罪(ジェノサイド)は、今回のウクライナ侵攻だけでなく、世界の紛争・内戦の報道でよく耳にする言葉になっている。では、ジェノサイドを定義するものとは何か。
「通常の戦争犯罪とジェノサイドを分ける基準は、『特定のアイデンティティを持つ集団を破壊する意図』です。そういった目的を持って行われた行為だけがジェノサイドになるので、罪を裁くためには意図の証明が必要になります。
例えば、過去の事例では、ラジオやテレビを使って特定の民族的な集団を破壊する意図を明確に発信し、民間人や戦闘員を扇動したというケースがありました(ルワンダにおけるいわゆる「メディア事件」)。これは言葉が証拠になった例だと思います」
では、今回のウクライナ侵攻がジェノサイドとされる可能性はあるだろうか。
「ジェノサイドの証拠を得るのは非常に難しいですが、ウクライナ侵攻において疑いの根拠となっているのは、『非ウクライナ化をするための戦争だ』という言葉が、プーチン大統領や国営メディアでの発信でも使われていることです。
問題は、『非ウクライナ化』という目的が、ひとつひとつの戦闘行為にどうつながっているのかということ。ウクライナの一部領土の占領を目的として軍事侵攻していますが、占領が主な目的だったのか、それとも特定の場所に住んでいる人たちを『非ウクライナ化』することが目的だったのか。そのあたりの証拠が必要になってきます」
非ウクライナ化という言葉も、捉え方が非常に難しい概念といえる。
「物理的にアイデンティティを持っている人たちを殺害することが、ジェノサイドの過去の事例の多くを占めます。ただ、ウクライナ国民全員の命を奪うことは不可能でしょう。そこで、一部の都市の人々を殺害することでメッセージを伝える、それによってウクライナというアイデンティティを部分的にでも「破壊」することが主な目的になっているかどうか、ということです。
ウクライナ東部には『自分はロシア人でいい』と言っている人たちもいるという状況ですから、そのように思う人を増やすことが殺害行為の目的であればジェノサイドとなる可能性があると思います」
ウクライナ侵攻が“戦争犯罪”なら、その罪は裁かれるのか?
ここからは、少し「if」の話を掘り下げる。つまり、ロシアやプーチン大統領が戦争犯罪や、ジェノサイドを行ったと認められた場合だ。
「今、国際刑事裁判所(ICC)はウクライナにスタッフを派遣して、ウクライナ司法当局と共同で証拠収集をしています。証拠を集め、何が行われたかを文書化し、それをもとにICCの予審裁判部に検察官が逮捕状発付の請求をします。逮捕状が出たら容疑者が所在している国に送られ、その国が逮捕するかどうかを考えるということになります。
しかし、ロシアはICC非加盟なので、協力義務はありません。その上、ロシアにはプーチン大統領が大統領の座を退いた後も死ぬまで刑事訴追から免除されるという国内法があります。国内法の改正をしなければ、ロシア国内での逮捕は難しいでしょう」
ただし、ロシア国外においてはその限りではないという。
「例えば、可能性があるものとして、国際会議が行われた際にプーチン大統領が他国に行く。そのときに訪問した先の国が刑事訴追に積極的であれば、そこで実現する可能性があります。
また、これは違法なのですが、過去には中核犯罪の容疑者が拉致されて法廷に連れ出されるという事例が複数あります。その行為自体は違法ですが、たとえ違法だからといって、それによって裁判ができなくなるわけではありません」
これまでの事例をふまえると、ICC非加盟国の国民であっても、何らかの手段で裁きを受ける可能性はあるということだ。
被害者のためにも、裁判によって「事実を歴史に残す」ことが重要
国際的にも戦争犯罪への意識が高まる一方で、現状の国際法の弱みもまた、広く認識されるようになったといえる。各国の安全保障の枠組みも大きな変化の兆しを見せる中、国際法はどのように変わっていくだろうか。
「国際社会は長い時間をかけてさまざまな国際法を発明し、困難を乗り越えて規範を確立してきました。今回は、その中のいろいろなものが破られてしまったわけで、予防の効果が不十分だったことが明らかになりました。
今後国際社会は、国際法を破った後、どういう帰結が待っているのかということを証明しなければならない局面にあります。破った人や国が何の対処もされないまま将来に向かってしまうことだけは避けなければなりません。
1つは『ロシアの国としての責任を問うていく』ということがあります。国家の犯罪という概念はないので、国家の民事責任のようなものが生じます。これを『国家責任』といいますが、いろいろな違法行為について各国が賠償、責任の取らせ方を模索していくことになると思います。
また、個人レベルでいうと、ロシアのプーチン大統領1人だけが関わっているわけではないので、政策決定に関わった多くの政府の高官の人たちや政治家の人たち、それからメディア、そして軍のメンバー、命令を実行していった一人一人の兵士、それぞれのレイヤーの人が、責任を取っていく必要があるでしょう」
裁判の過程で、ICCという国際的なフォーラムに多くの証人・証言が集まる。何が、いつ、どこで、誰によって行われたのか。どんな意図を持って行われたのかが、文書で残ることになる。そのことが非常に重要な意味を持つと、越智准教授は指摘する。
「このような裁判をやらない限りは、お互いの主張を『フェイクだ』と言い続けて、その事実があったという確証が持てないまま世界が進んでいくことになります。しかし裁判を通じて、ある程度証拠の確認が進むと、それが客観的な真実として確定されるということが起きます。それによって歴史の修正ができなくなるという効果があります。
また、自分の家族が亡くなった方に対して、ご家族がどのように亡くなったのかを明らかにすることは、非常に大切なことです。被害者には真実を知る権利がありますから、裁判一つ一つが意味を持ってくると思います」
今後、侵攻のディテールが明らかになっていく中で、さまざまな検証や裁判が行われることになるだろう。非常に長い道のりだが、「国際法違反には何らかの帰結が伴う」というメッセージを、国際社会に届けることが重要になる。
越智萌
立命館大学国際関係学部・立命館大学大学院国際関係研究科 准教授。ライデン大学(オランダ)法学修士課程修了。大阪大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。2015~2018年、日本学術振興会特別研究員SPD(京都大学)。2019年4月~9月、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究戦略センター主任研究員。2019~2020年、京都大学白眉センター/法学研究科特定助教(白眉研究者)。2020年4月より現職。専門分野は国際法、国際刑事司法。ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪といった、国際社会全体の関心事となる重大な国際犯罪(中核犯罪)に関する諸法について研究する。