現代社会は急速なテクノロジーの進化とともに、私たちの生活やビジネスの在り方を大きく変えている。2022年は「生成AI元年」といわれ、AIは2年あまりの間にあらゆる分野で大きな変革をもたらしてきた。同時にAIの社会実装は、人間の自由意思やコミュニケーションの本質に影響を及ぼす可能性も指摘されている。人間とAIを分かつものは何か。そんな哲学的な思考を、多くの人が経験しているのではないだろうか。
今回は、ベストセラー『哲学の始まり』の著者である立命館大学 先端総合学術研究科の戸谷洋志准教授に、哲学の意義やビジネスへの応用、生成AI時代における哲学的思考の必要性について聞いた。
● 哲学とは、「当たり前」を問い直すこと
● 価値観が変革する時代、ビジネスに必要な哲学的視座
● AIは「人間の自由意志」にもゆさぶりをかけている
● 日本人の「AI受容」は欧米とどう違うか
哲学は“暗記”しても意味はない 自身の思考に“伴走”させて「当たり前」を問い直す
戸谷洋志准教授の著書『哲学の始まり』は、哲学の三大テーマを理解するための絶好の一冊である。哲学の世界では2000年以上もの間、数々の哲学者が膨大な思想や哲学書を生み出してきたが、それらは多様かつ難解で、どこから学び始めればいいのか分からないことも多い。
『哲学の始まり』では、哲学の基礎をなす三大テーマ、存在論・認識論・価値論を紐解くことで、哲学を身近に捉え直すことができるように構成されている。プラトン、デカルト、カント、ヘーゲル、フッサールなど、歴史に名を残す哲学者たちは、世界の何に疑問を抱き、その思想はどう展開されたのか? 詳細はぜひ著書を手に取っていただきたいが、本稿では
まず、本書で提案される「当たり前を問い直すことの価値」についてあらためて伺った。
「哲学は、私たちが日常的に当たり前だと思っていることを問い直す学問だといえます。一方、現代社会では、さまざまな場面で『当たり前が変わる瞬間』が多く訪れます。
例えば、新型コロナウイルスの流行とそれに伴う価値観の変化は記憶に新しいでしょう。大国同士の戦争や民族紛争など、遠く離れた国々の出来事が私たちの生活レベルにまで大きな影響を与えています。身近な場所でも地震などの天災がある日突然起こります。つまり、これまでの常識が通用しない状況が突然訪れることがある。この数年間、私たちは実感レベルで、このような大きな変化を体験してきたといえます。
また、個人的なレベルでも、人生の大きな転機が訪れると、これまでの常識が通用しなくなることがあります。例えば、初めて恋人ができる、結婚する、子供が生まれる、親が亡くなるといった経験です。
こうした大きな変化を前にすると、それまでの自分が『当たり前だと思っていたこと』を再構築する必要に迫られます。そんなとき、長い哲学の歴史の中で『当たり前に挑戦してきた哲学者たち』の思索に触れることが、大きな助けになると考えています」(戸谷洋志准教授、以下同じ)
戸谷准教授は、「この本に書いてあることをそのまま暗記してもあまり意味はない」と語る。
「どの哲学者が正しいということではなく、ご自身の具体例を使って『このケースはこういう風に説明できるんじゃないか』『この人の言うことは○○の理由で納得できないんじゃないか』など、日常的な疑問に哲学者たちの考え方を伴走させると、この本を有効に使っていただけるのではないかと思います」
ビジネスパーソンとして哲学をどのように“伴走”させるか
では哲学的思考は、ビジネスの現場ではどのように役立てることができるのだろうか。
「例えばハイデガーやフッサール、カントあるいはデカルトの考え方を、そのまま何かの意思決定に応用できるかといえば、それは難しいのではないかと思います。
ただし、哲学者たちの考え方、捉え方を介して『概念を吟味する・俯瞰する』習慣を身に付けられたとしたら、それはどのようなビジネスパーソンにとっても重要な能力になるのではないでしょうか。
哲学的な思考を、ビジネスの領域を飛び越えて展開していくと、例えばこの数年の間に目まぐるしく起こってきた社会の変化に関連して、『戦争をすることは正しいのか、間違っているのか』『自粛とは何か』『対面コミュニケーションとオンラインコミュニケーションの違いは何か』という根源的な疑問も湧いてくるでしょう。
このような変化は、これからも立て続けに起きるのではないかと私は感じています。そのような状況の中で適切な判断をしていくために、哲学的な思考能力が重要ではないかと思っています」
デカルトの「人間の自由意志」にも揺さぶりをかける生成AIテクノロジー
ビジネスの世界でも、「当たり前」は常に変化している。ビジネス界において、目下最大の変化といえるのが、生成AIの登場ではないだろうか。多くの業務に影響を与え、多くの人の「仕事」に変化をもたらしている生成AIを、戸谷准教授はどのように見ているだろうか。
「生成AIの進化は、人間の自由意志やコミュニケーションの本質に影響を及ぼすだろうと考えています。
生成AIというのは、簡単にいえば『データベースの中に人間が自覚していない法則性をも見出して、その法則性に基づいて新しい事象に対してもある程度適切なフィードバックを出すことができる』システムだといえます。この事実に、私はある種の“気持ち悪さ”を感じることがあります。
近代の哲学者でルネ・デカルトという人がいます。デカルトは物体と精神を区別しました。『物体』というのはすべて法則で決まっており、必然性に従っている。それに対して『精神』は自由であって、何らかの法則に従って物事を考えたりしているわけではない。デカルトはこう考えました。
ただ、生成AIが人間と見分けがつかないようなコミュニケーション活動をしているということは、人間のコミュニケーションにもある法則があり、『このケースでは人間は必ずこう言う』とか『この状況ではこう話すと誰もが正解だと思う』といったルールがあって、それに従って言語活動をしているだけに過ぎないということになってしまう。そうなると、“人間のコミュニケーション活動自体がそもそも本人の自由な意志に基づいていないのではないか”という疑問が生まれます。近代以降の西洋哲学が前提としてきた『人間の自由意志』すらも、大きく脅かすようなテクノロジーなのです」
AIに責任はあるか? AIを「自然現象」と捉える日本的視点
生成AIはあらゆるシーンで活用されているが、そのフィールドは政治の分野にも広がり始めている。それは何を意味するのだろうか。
「2022年には、国会答弁でAIが使用された例がありました。岸田首相が答弁する内容を事前にAIが予測し、それを野党議員が公表するという形でした。このように、政治的な意思決定に生成AIが利用されるケースが出始めています。
この例はある種のパフォーマンス的な側面がありましたが、生成AIが政治や行政に応用されることで、意思決定の責任が曖昧になる可能性があります。例えば、政治家の責任が強く問われる状況でAIが使われたとして、私たちはそれを認めてよいのか。その責任は一体どこにあるのか。議論が必要な問題だと思います」
一方で、戸谷准教授は日本の文化や国民性において、AIの受容の仕方に警鐘を鳴らす。
「日本は、西洋に比べると人間の自由意志へのある種の“尊重度合い”というのは、やはり低いと感じます。すごく大ざっぱに言ってしまうと、日本人は生成AIのような非常に大きな影響力を持つものを、『ある種の自然現象』のように捉える傾向があるように思います。欧米のように『人間の自由が脅かされる』とは考えない。このような捉え方は、メディアアーティストの落合陽一さんが提唱する『デジタルネイチャー』という考え方にも通ずるものがありますが、この発想は欧米にはまずないものです。
欧米ではAIはあくまでも技術であって、人工物です。人間が作ったものである以上、人間が責任を持って管理しないといけないという思想ですね。
しかし日本においてはAIがある種の『自然』として眺められるということが起こっている。日本は災害が多い国であり、『人知を越えた自然には抗えない』という、自然に適応しながら生きてきた文化的な風土があることも、無関係ではないでしょう」
私たちはすでに、ある種の情報がAI由来のものなのか、実際に存在するものなのかを、正確に判断しかねる状態が至るところに存在する世界で生きている。人間にしかできなかった作業の一部を、AIがより巧みに実行するシーンは、今後さらに増えていくだろう。
そんなとき、自分が成すべき事を振り返るために、自らの人生をかけて考えつづけてきた哲学者たちの存在は、大きな助けになるはずだ。AI時代だからこそ、人間の地道な思考に触れる価値はますます大きくなるはずだ。
戸谷洋志
1988年、東京都生まれ。立命館大学先端総合学術研究科准教授。専門は哲学・倫理学。法政大学文学部哲学科卒業、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。『ハンス・ヨナス 未来への責任 やがて来たる子どもたちのための倫理学』『未来倫理』『友情を哲学する』など著書多数。