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安楽死をめぐる“思い込み”をアップデート 「死を選ぶ権利」を正しく考えるヒント

2026年9月17日


安楽死をめぐる“思い込み”をアップデート 「死を選ぶ権利」を正しく考えるヒント

2026年3月、スペインで25歳の女性が安楽死によって亡くなった。それまでの経過で、父親が本人の判断能力に疑問を呈し、長く司法の場で争われたこともあり、この事例は世界的な注目を集めた。しかし、「本人が死を望み、その自己決定が認められた」とだけ捉えると、見落としてしまうものも多い。そもそも安楽死とは何を指し、「本人の意思」はどこまで本人だけのものなのか。国や社会によって、なぜ議論の方向まで異なるのか。医療倫理や生命倫理に詳しい、立命館大学 大学院先端総合学術研究科の美馬達哉教授とともに、安楽死をめぐる“思い込み”を一つずつ読み解いていこう。

〈この記事のポイント〉
● 海外では、安楽死がどんどん認められている傾向なのは本当?
● 25歳女性は、“死にたい”という意思を認められた?
● 本人が望めば、それが自己決定?
● 日本でも“安楽死を認めるか”が議論されている?
●リベラルは安楽死賛成、保守が反対という構図は共通?

【世界の動向】安楽死は世界中で次々と認められている?

安楽死をめぐる世界の状況は、近年どのように変化しているのだろうか。美馬教授は、21世紀に入り、「積極的安楽死」や「医師による自殺幇助」を認めるかどうかが、大きな論点になっていると話す。

「法律や倫理学では、『消極的安楽死』と『積極的安楽死』という言い方をします。消極的安楽死とは、積極的な治療を行わず、死に任せるというタイプのものです。日本でいう『尊厳死』や『自然死』に近いものですね。
一方、積極的安楽死は、医師が薬剤を投与するなどして、積極的に死に至らせるものです。また、医師が致死的な薬を処方し、本人が自分の意思で服用する『医師による自殺幇助』という方法もあります。近年、世界的に議論になっているのは、こうした行為を法律で認めるかどうかという点です」(美馬教授、以下同じ)

これまで欧州で積極的安楽死などを制度化してきたのは、オランダやベルギー、ルクセンブルクなど比較的に人口の小さい国々が中心だった。しかし2020年代に入り、スペインで法制化され、フランスやイギリスでも「死への援助」をめぐる法整備の議論が進んでいる。フランスでは2026年に関連法が成立するなど、制度化の動き自体は広がっている。

「ただ、世界全体が一方向に進んでいると考えるのは少し違います。どこまでを対象にするのか、どのような条件なら認めるのかという点では、今も議論が続いています。
たとえばカナダでは、精神障害だけを理由に安楽死を認めるかどうかが問題になっています。本人が死を望んでいるとしても、それが病気の影響ではなく、本人の意思だとどこまで判断できるのか。そうした懸念から、適用が延期されています。
つまり、制度を導入する国や地域は増えていますが、対象をどこまで広げるのかについては、むしろ慎重な動きも出ているわけです。『安楽死は世界でどんどん認められている』という話ではなく、実際には、対象をどこまで認めるのか、その線引きをめぐって議論が続いている段階だと思います。とくに、導入後に安楽死の対象が広がる国もあることは大きな懸念点です」

本人による自己投与/医療者による投与の双方を認める国・地域

【スペインの事例】25歳女性は「死にたい」という意思を認められた?

2026年3月、スペインで25歳の女性、ノエリアさんが安楽死によって亡くなった。父親が本人の判断能力に疑問を呈し、司法の場で争われたこともあり、「若い女性の“死にたい”という意思が認められたケース」と受け止めた人もいるかもしれない。しかし、美馬教授は、その理解では重要な部分を見落としてしまうと指摘する。

「まず押さえておきたいのは、スペインでは2021年に安楽死に関する法律が成立し、医師による自殺幇助と積極的安楽死の両方が認められていることです。
対象となるのは18歳以上で、強制ではなく本人の自由意思であること、他の選択肢について十分な説明を受けていること、一定の期間を置いて複数回意思を示していることなどが求められます。また、治療法がなく、耐え難い身体的・精神的苦痛があることも条件になります。
ここで日本の感覚と少し違うのは、『余命数カ月』といった末期状態である必要はないという点です

ノエリアさんは22歳のときに自殺未遂で転落し、その後、下半身麻痺や強い疼痛に苦しんでいた。精神障害もあったが、それ自体が安楽死の理由になったわけではないという。

「報道やSNSでは、『精神疾患があるから安楽死が認められた』という情報も出ていますが、これは正確ではありません。公的には、事故後の下半身麻痺による強い身体的苦痛と、それに伴う精神的苦痛が理由になっています。
ですから、『もともと死にたかった人が、その意思を尊重されて安楽死した』という話ではありません。自殺未遂の経験はありますが、その後の後遺症による苦痛が大きな前提としてある。その点は分けて考える必要があります」

父親は、ノエリアさんに精神障害があるため、自ら安楽死を判断できる状態ではないと主張した。裁判は上級審まで争われたが、父親側の訴えは認められず、最終的に安楽死が実施された。
ただし、この事例だけをスペインにおける画期的な転換点と見るのも適切ではないという。

「スペインでは、かなり以前から同じような議論が続いています。映画『海を飛ぶ夢』のモデルとなったラモン・サンペドロという人がいます。事故で首から下が動かなくなり、長年にわたって安楽死を求めましたが、当時は認められず、最終的には友人たちの協力を得て1998年に自ら命を絶ちました。
そこから社会的な議論が続き、2021年の法制化につながっています。今回の事例も、突然『若い人にも死を選ぶ権利が認められた』というより、数十年にわたる議論の延長線上にあると見る方がよいでしょう

【自己決定】本人が望んでいれば、それは「本人の意思」といえる?

安楽死を考えるうえで、避けて通れないのが「本人の意思」をどう捉えるかという問題だ。スペインの事例では、父親側が「精神障害があるため、安楽死を判断する能力が十分ではない」と主張した。
しかし美馬教授は、「精神障害がある=意思決定できない」と単純に考えることにも慎重であるべきだと話す。

現在は、精神障害などがあったとしても、本人の意思の能力がないと決めつけるのではなく、意思決定できるように支援していくという考え方が重視されています。うまく表現できなかったり、考えをまとめにくかったりすることはあっても、周囲が本人に代わって勝手に決めるのではなく、何らかの形で本人の意思を尊重する方法を考えていくべきだ、ということです。
ですから、『精神障害があるからノエリアさんの意思決定は信用できない』という父親側の主張にも、疑問を持つ余地があります」

一方で、本人が「死にたい」と繰り返し望んでいれば、それをそのまま自己決定として受け入れればよいわけでもない。

「たとえばカナダでも、精神障害だけを理由とする安楽死を認めてよいのかという議論が続いています。『死にたい』という意思そのものが病気の影響を受けているのではないか、という懸念もあるからです。
本人の意思を尊重すればそれでいい、というほど単純ではありません。そもそも人間は一人で生きているわけではなく、家族や周囲の人、社会環境との関係の中で生きています。その中で意思も変わっていくものだと思います。

たとえば、今日の晩ご飯はカレーが食べたいと思っていても、一緒に暮らしている人が『昼にカレーを食べた』と言えば、『じゃあ別のものにしよう』と思うかもしれません。意思というものは、最初から自分の中に固定されたものがあって、それに従って行動するだけではありません。人との関係や、そのとき置かれている状況の中で作られ、変わっていく面があるのだと思います

その意味では、病気や障害、経済的不安などを抱えた状況で「自分はどうしたいのか」を整理し、表明できること自体が、決して当たり前ではない。

病気やけがをしていたり、仕事を失って経済的に苦しかったり、突然の出来事で混乱していたりすれば、冷静に自己決定できる状態ではないことの方が多いでしょう。
意思決定ができるというのは、実はある意味で“特権”なんです。
だからこそ、本人の意思を尊重するためには、苦しい状況にあって混乱している人であっても自分が何を望んでいるのかをゆっくりと考え、安心して話せる環境を、周囲の人びとと社会がどうつくるかが重要といえるでしょう」

【日本の現在地】日本でも「安楽死を認めるか」が議論されている?

海外で安楽死の法制化が進むニュースに触れると、「日本でも、安楽死を認めるかどうかの議論が進んでいるのでは」と感じるかもしれない。しかし、美馬教授によれば、日本で現在中心になっているのは、そこから少し違う議論だという。

日本で主に議論されているのは、先ほどお話しした『消極的安楽死』に近いものです。つまり、本人が望まない生命維持治療を行わない、あるいは始めた治療をどこまで続けるのかという問題ですね。
積極的安楽死や医師による自殺幇助を法的に認めようという動きは、個人の主張としてはありますが、学会や団体、政治の大きな動きとして強く進んでいるわけではありません

その一方で、人生の最終段階における治療のあり方については、具体的な検討が進んでいる。2026年には、日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会、日本緩和医療学会の4学会が、「生命維持治療の終了または差し控え」に関する合同ガイドライン案を公表した。

「その中で特徴的なのが、『Time-Limited Trial(時間限定的治療)』という考え方です。
これまでは、たとえば人工呼吸器を一度つけると、途中で外すことが難しいという感覚が医療現場にはありました。そこで、最初から一定期間だけ治療を行い、その時点で状態を評価して、続けるか終了するかを改めて判断する。そういう考え方を取り入れようとしています」

ただし、美馬教授は、細かな手順やルールを増やすことだけで、患者の意思や尊厳を守れるわけではないと指摘する。

法律やガイドラインで権利を守ろうとすると、どうしても確認項目や手続きや文書が増えていきます。でも、あまりに複雑になると、医療現場では書類仕事が増え、ルールそのものが形骸化してしまう可能性もあります。
本来の目的は、患者さんの生命と尊厳を守り、本人の意思をできるだけ尊重することです。ところが日本では、『医療従事者が裁判にかからないためには、どんな手続きを踏めばいいか』という議論になりやすいところがあります。
私も医師として、そこは気になります。しかし、ほんとうに重要なのは、そこではありません。病気やけがで弱っている人や、家族が、自分の考えを安心して話せる環境をつくること。医療者がその声をきちんと聞くこと。そうした土台がなければ、どれだけ細かなルールを作っても、本人の意思や尊厳を守ることにはつながらないと思います」

【社会・文化】「リベラルは賛成、保守は反対」という構図は世界共通?

安楽死をめぐる賛否は、政治的な立場によっても異なる。しかし、その対立の構図は国や社会によって大きく変わると美馬教授は指摘する。

スペインをはじめヨーロッパでは、安楽死に賛成するのは比較的リベラルな側です。個人の権利を重視し、その一つとして『自分の死に方を決める権利もある』と考えるからです。一方で反対する側には、カトリックなどキリスト教的な価値観を背景にした保守的な人たちが多くいます。
つまり、個人の自己決定を重視する世俗的な立場と、伝統的な宗教の価値観から考える立場が対立しているわけです」

ところが、日本では必ずしも同じ構図にはならないという。

日本ではむしろ、保守的な立場の人から『高齢者が社会に迷惑をかけないために』といった文脈で安楽死を容認するような主張が出ることが多いようです。
一方で、比較的リベラルな立場からは、『障害者や弱い立場の人が死に追いやられる可能性がある。まず社会福祉を充実させ、生きやすい社会をつくることが先ではないか』という慎重論が出てきます。
欧米とは、賛成・反対を支える考え方がかなり違っています」

さらに、同じ東アジアでも、台湾や韓国ではまた異なる背景があるという。

「私は、日本との違いは、台湾や韓国では、民主主義を勝ち取るための民主化運動を経てきた歴史があるからではないかと思っています。法律を『国が自分たちを縛るもの』というより、『自分たちの権利を政府から守るもの』と考える感覚が比較的強い傾向があると感じています。
その流れで、患者の権利や尊厳死についても、自己決定の権利として法律に明文化しておこうという発想が強いようです。一方、日本では、安楽死を法律にすると『かえって死ぬことを強制されるのではないか』、つまり(生きたいという)自己決定権が損なわれるという警戒感が出てくることがあります。
安楽死をめぐる議論は、その国の宗教観や死生観だけでなく、民主主義や法律をどう捉えているのかということとも深く関係しているといえるでしょう」

世界で安楽死を認める制度が広がっているからといって、その背景にある考え方まで共通しているわけではない。「本人が望んでいるなら自己決定」「制度を認める国は進んでいる」といった単純な見方では、見落としてしまうものがある。

安楽死について考えることは、死を選ぶことの是非だけを問うことではない。本人の意思とはどのように形づくられるのか、その意思を支える環境はあるのか、そして社会は生きることと死ぬことをどう支えるのか。制度の違いの奥にある価値観まで見ていくことが、安楽死をめぐる議論を「自分ごと」として捉えるための一つの手がかりになる。

大学院先端総合学術研究科 美馬 達哉 教授

美馬達哉

京都大学医学部医学科卒業。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。米国国立健康研究所、京都大学大学院医学研究科などを経て、現在は立命館大学大学院先端総合学術研究科教授を務める。専門は医療社会学、脳神経内科学、神経科学。著書に『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』、『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』、『感染症社会』などがある。

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