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国家公務員の仕事は、こんなに広い――福嶋慶三さんが語る“官僚”のリアル【前編】

2026年7月27日


国家公務員の仕事は、こんなに広い――福嶋慶三さんが語る“官僚”のリアル

国家公務員、いわゆる「官僚」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。霞が関で制度や政策を考える人、というイメージがあるかもしれない。しかし実際の仕事は、それらにとどまらない。国連の国際会議などにおける国際交渉から、自治体の現場におけるまちづくり、ときには総理や大臣といった国組織のトップを支え、もちろん自分たちの職場である霞が関内部の働き方改革も行う。想像以上に、幅広い。
立命館大学法学部を卒業後、環境省に入省し、内閣官房、英国留学、自治体出向など、官僚として幅広い経験をしてきた福嶋慶三さんの歩みから、国家公務員というキャリアのリアルをひもとく。

〈この記事のポイント〉
● 国家公務員は、霞が関のデスクで政策を考えているだけの人ではない
● 東奔西走?!「社会課題の解決」が最大の使命
● 新しい政策が誕生する瞬間:ケーススタディ「熱中症警戒アラート」
● 国際交渉や海外勤務・留学… 活躍の場はグローバル

立命館大学「霞塾」で語られた、国家公務員というキャリアの広がり

立命館大学では、国家公務員の仕事を、大学低学年のうちから具体的に知り、模擬的に体験できる機会として「霞塾」というプログラムを提供している。霞塾では、主に国家公務員総合職を進路の一つとして考える1・2年生を対象に、現役の国家公務員のOB・OG等が講師を務める。学生たちは、講師の実際の経験を踏まえたディスカッションやワークショップを中心とした参加型講義、社会課題について研究を深め実際に政策提言をまとめるグループ学習などを通じて、国家行政の役割や仕事の実像に触れることができる。
立命館大学法学部出身で霞塾の学外アドバイザーを務める、環境省職員の福嶋さん(現在、兵庫県明石市役所に総合政策担当理事として出向中)は、霞塾の立ち上げ時から関わり、一貫して国家公務員という仕事の実像を後輩たちに伝え続けてきた。

霞塾の活動風景
霞塾の活動風景

「国家公務員というと、霞が関のデスクで制度や法律を考えている人、というイメージがあるかもしれません。もちろん、国全体の制度設計を担うことは大きな役割です。ただ、実際の仕事はそれだけではありません。
私自身、これまでのキャリアの前半では、国連などの気候変動をめぐる多国間の国際会議に交渉官の一員として参加するなど、国際問題に関わる仕事も多く、海外出張にもたびたび行ったりしました。一方で後半は、自治体に出向してまちづくりの現場で実際に直接、地域の課題解決に関わるといった仕事も増えてきました。
国家公務員の仕事は、一つの省庁や一つの職場の中だけで完結するものではありません。他省庁はもちろん、内閣官房のように政府全体を統括していくようなポストもあります。海外にも行くし、自治体にも行く。このように、いろいろな現場を経験しながら、社会の課題に向き合っていく仕事だと思います」(福嶋さん、以下同じ)

では、国家公務員はいったい何のために、これほど多様な現場を行き来するのか。その根底にあるのは、社会の中にある課題を把握し、解決の道筋をつくっていくという役割である。

官僚とは、社会課題解決の最前線に立つ仕事

福嶋さんは「国家公務員の仕事を一言で表すなら『社会課題の解決』」だという。

「世の中には、本当にたくさんの課題があります。少子高齢化、環境問題、経済不況、インフレ、雇用、貧困、教育、子育て、社会保障、介護、孤独死など、挙げればきりがありません。日本はよく“課題先進国”とも言われますが、そのとおりで、中には世界では誰も直面したことがないような困難な課題もあります」

例えば、これまで経験のなかったような困難な課題の事例として、東日本大震災で起きた福島原発事故による被災地の除染問題があるという。一時避難で放射能に汚染された土地を追われた住民たちが、住み慣れた故郷に戻れるようになるためには、どうすればいいのか。

「その昔、チェルノブイリ原発事故の際にも経験がなかったような、生活空間の除染という非常に困難な課題について、その方法をゼロベースで考え、実行に移していくということを、制度を整えながらやってきました。そして、実際に避難地域の指定が解除されて、本当に故郷に人が戻れるようになってきました。このように、これまで人類が経験したことのないような問題にすら、ときとして直面することもあります。それでも、自分やチームに出来うる限りを尽くして、なんとか対応を考え、様々な方のお力も借りながら、解決策をひねり出し実行していく。比較的最近でいえば、コロナ対応などもまさにそうだったと思います」

国家公務員となれば、こういった国難ともいうべき未曾有の緊急事態にも、対処しなければならないということが、時に起こりうるわけだ。もちろん、全体からみれば、こういった仕事は非常に稀のケースで、より日常的な政策課題に向き合うのが、日々の普段の業務となる。

「国の政策や制度をつくる仕事は、スケールが大きい一方で、日々の業務はとっても地道で泥臭いものです。関係する人も多いですし、調整しなければならないこともたくさんあります。正しいことを言えばそのまま実現する、というものではありません。人によっては正義が異なることもあります。その中で、どこに合意点を見つけるのか。どうすれば実際に社会が動く形にできるのか、考え続ける必要があります

このように語る福嶋さんが、今から二十年以上前、官僚として歩みはじめたばかりの、まだ社会人としても日が浅かったころ。当時の上司であった幹部から言われたことで、いまも忘れない言葉があるという。

「当時、その方のところに資料を作って持っていくと、必ずこう聞かれました。『君は、考え抜いたか』と」

どういうことだろうか。

「考えることは、誰でもできる。しかし、官僚は、その問題について、自分が日本で一番、この問題については考え抜いた、と言えるくらいまで、様々な角度から深く検討しないとダメだよ、ということですね。いまも、大切にしている言葉です」

そしてもちろん、考えること、考え抜くことだけが官僚の仕事ではない。すなわち、新しい制度や政策の案をつくれば終わり、というわけではない。社会課題は複雑で、関わる人も多い。省庁、自治体、企業、関係団体、市民、ときに海外や他国との関係もあるだろう。それぞれの立場や事情を踏まえながら、実際に考え抜いた案を、動く形にしていく必要がある。

私が公務員の仕事を説明するときに思い浮かべるのが、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』なんです。東に病気の子どもがいれば行って看病し、西に疲れた母がいればその稲の束を負う。社会のあちこちにある困りごとに向き合い、ひたむきに東奔西走していく姿です。もちろん、公務員の仕事は詩の世界そのものではありません。でも、社会の中で困っている人や、放っておくと大きな問題になる課題に真摯に向き合う。そして労を厭わず、誠意を尽くして、私心なく、関係者との調整に心をくだく。そうすることによって、一歩でも二歩でも、1mmでも2mmでも、現実の社会を動かすことができるのではないか。国のレベルであればもちろん国家公務員が、地域のレベルであれば地方公務員が、それぞれの立場から、そういった社会の課題解決に取り組んでいるのだと思います

現在は明石市の総合政策担当理事を務める福嶋慶三さん
現在は明石市の理事を務める福嶋慶三さん(環境省より出向中)

新しい政策の創り方 ―「熱中症警戒アラート」は、どのように生まれたか

社会課題に向き合い、解決のための仕組みをつくる。その実際の具体例として、福嶋さんが1つ挙げたのが「熱中症警戒アラート」だ。

当時、私が担当部署に着任したときに与えられたテーマの1つが、熱中症への対応でした。近年、夏の暑さのあまり、熱中症で救急搬送される方や亡くなる方が急増している。何か対策を打たねばならない、と。そこから、どうすれば人の命を、少しでも守れる仕組みができるのか、考え始めました」
「少し調べていくと、学校で運動会や部活動をしているときに子どもたちが熱中症になるケースや、高齢者が自宅でエアコンを使わずに亡くなるケースなど、具体的な様子が見えてきました。では、それらを防ぐにはどうしたらいいのか。国内の自治体や海外の事例をさらに調べていくうちに、翌日や当日に危険な暑さが予測されるなら、その情報を社会全体に広く伝える仕組みが有効ではないか、と考えました

そこで着目したのが、気象庁が持つ情報発信の仕組みだったという。台風や大雨などの危険が迫ると、気象庁は全国に向けて注意を呼びかける。熱中症についても、同じように危険な暑さを事前に知らせることができないか。そうした発想から、環境省と気象庁の連携が始まった。

「気象庁に相談に行ったところ、気象庁の方でも、気候変動の影響で夏の暑さが深刻になってきており、何か新たな対策が必要ではないか、と考えていました。そこで、環境省と気象庁でプロジェクトチームを立ち上げ、一緒に仕組みをつくることになりました。また、政策はつくっただけでは意味がありません。情報を出して終わりではなく、それが実際に人の行動の変化につながらなければならない。だから、テレビやラジオだけでなく、スマートフォンでもLINEのプッシュ通知で受け取れるようにするなど、どうすれば必要な人に情報が届くのか、行動を変えられるのかを考えました

こうして、危険な暑さが予測される場合に注意を呼びかけ、不要な外出や運動の抑止、適切なエアコンの使用といった行動変容につなげる仕組みとして、熱中症警戒アラートは形になっていった。

「最初から完成形があったわけではありません。関係する人たちと話し合いながら、厚生労働省や文部科学省、消防庁など関係省庁はもちろん、テレビ局の人やLINEの人、自治体、学校現場や労働現場など、課題を見つけては相談するために、本当に多くの方のところへ足を運びました。東京都の監察医務院(注:死因がわからず急に亡くなった人を解剖するなどして死因を解明する。例えば、独居老人が自宅で亡くなっていた際に、その死因が熱中症なのか、といったことが分かったりもする)などは、この仕事をしなければ、一生行くことはなかったかもしれないですね」

このように、国家公務員の日々の地道な取り組みにより、国民の命や健康を守ることにつながる新たな政策・制度がつくられているという、その一例を垣間見ることができる。そして、やはり、こうした仕事には、大きなやりがいがあるという。

自分たちが関わって作った仕組みが社会の中で実際に使われ、人の命や健康を守ることにつながる。それはやはりとても嬉しいことですし、もちろん簡単ではないですけど、やりがいは大きいですね」

世界の合意をつくる 国境を越えて、分かり合える瞬間

一方で、国家公務員のフィールドは、国内にとどまらない。国益をかけて外交交渉などを行うのは、外務省の仕事と思われがちだが、実は、経済・通商交渉なら経済産業省、食料や農政交渉なら農林水産省といったように、それぞれの政策分野で、国際交渉の主軸を担うのは、その政策分野の主管となる省庁である。そして、外務省や関係省庁と連携したチームをつくり、政府代表団として国際交渉にあたる。いわば、野球やサッカーの日本代表チームのように、交渉を担う選抜チームをつくるわけだ。
福嶋さんも過去にそういったチームに参加してきたという。

「私の25年ほどのキャリアをトータルすると、気候変動問題に関わってきた時間が比較的長いのですが、その中でも、気候変動をめぐる国際交渉に携わったのは、特別な経験でした。気候変動政策の交渉では、日本の経済や社会の国益は守りながらも、世界全体で対策を前に進める必要があります。気候変動、地球温暖化の問題というのは、1国だけの問題ではなく、世界全体の問題だからです。もちろん、米国や中国などの大国の影響があることも事実です。が、しかし国連の会議では、200か国近い国が集まり、議論を重ねます。そして、あくまで、1国1票の制度です。人口が数万人の小国も、数億人の大国も、国連の中では同じ1票。どのように、合意を形成していくのかというのは、非常に難しくまた複雑な交渉を経ることになります

ただ、実際にそういった国際会議の現場に参加して、福嶋さんが感じたのは、国益をかけた厳しい外交交渉の中でも、たとえ国や文化、話す言葉、髪や肌や目の色が違っても、国境を越えて人と人が分かり合える瞬間があるということだった。

「交渉の実際の現場では、1国1票といっても、やはり大国は発言力がありますし、それに対抗するため、特に途上国は途上国同士、例えばアフリカの国同士でも連携したり、ヨーロッパはヨーロッパでグループをつくって交渉を行ったりします。日本も例えばヨーロッパ以外の先進国と共同戦線を張ったりすることもあります。国連の会議などですと、2週間、ホテルに籠り切りで交渉したりするのですが、もう煮詰まってきますよね」

会議や交渉の際の言語は、基本的に英語であるという。それだけでも日本人にとってはハードルがありそうだが、交渉相手は同じ人間。こんな面白いエピソードもあったという。

「みんな国益をかけて必死に交渉するわけですが、国は違えど、同じ人間。徹夜が続けば疲れてくるし、気分が落ち込むときもある。これはアルゼンチンでの会議に参加したときのことです。連日深夜に及んだ交渉の休憩中に、突然、廊下でタンゴの音楽がかかりだし、別の国の交渉官たちが一緒に踊り始める、ということがありました。そうすると、みんな徹夜で疲れているはずなのに、一人、また一人と、どんどん、その踊りの輪の中に加わって、楽しそうに笑顔で踊っている。わが日本交渉チームも、ついつい、一緒になって、タンゴなんて知らないんですが、見よう見真似で踊り始める(笑)なんていうこともありました。
また、ドイツでの国際会議に参加していたときのことですが、ちょうどサッカーのEUROという4年に1回のヨーロッパで一番強い国を決める大会の期間が重なり、夜に会議の会場であるホテルのロビーで、各国の交渉官と一緒にオンタイムで観戦していました。試合はイングランド対ポルトガル。たまたまなんですが、私の右隣りには黒人の英国交渉官、左隣りには女性のポルトガル交渉官がソファーに座っていました。試合は両国のストライカー同士の素晴らしいシュートの応酬で、まさにシーソーゲーム。イングランドが点を決めれば、私の右にいる英国交渉官が雄叫びとともに仁王立ち。ポルトガルが点をとれば、私の左に座っているポルトガル交渉官が気勢(奇声?)をあげて立ち上がりガッツポーズ。私はといえば、その二人に挟まれて、どちらを応援したものかと内心ハラハラしつつも、熱戦に一緒になって盛り上がっていました。結局、同点のまま延長の末に、これまたもの凄いPK戦で決着がつくのですが、そのあとは両国の交渉官同士、そしてなぜか私まで、一緒になって健闘をたたえ合い、熱いハグ(笑)」

英国留学中のゼミ(コース)仲間と

音楽やスポーツは国境を越える、ということだろうか。国益をかけた真剣勝負の国際交渉の現場で、ある意味、人間味を感じられる話だが、福嶋さんの話はもちろんそれだけでは終わらない。

「気候変動のような、地球全体、人類全体に影響が及ぶテーマが交渉議題だからということもあると思うのですが、音楽やスポーツと同じように、なんだか、議論をしていると、各国交渉官の間でも、国境を越えて、分かり合える瞬間があるんですよね。ちょっとづつ、譲歩や妥協をしあったりとか。そうすることで、例えば、私もまさに当時まだ立命館大学の学生でしたが、京都の地で京都議定書が成立したり、あるいはその18年後には、フランスでパリ協定が誕生したりして、世界全体に関わる大きな国際ルールが生まれてきたわけです。そういった世界の合意づくりに関わることができるのも、国家公務員の仕事の大きな魅力の1つだと思います

柔軟な海外(国内)留学制度や、海外勤務の機会も

そういった国際交渉などの仕事は、基本的に英語で行われることから、英語力については、入省前にレベルが高ければ高いほど望ましいというが(実際に、国家公務員試験においても、英語のレベルによって加点される)、仮に学生時代にできなくても、入省してから頑張れば何の問題もないという。

「仮にそういった国際的な仕事をしたいと思ったとき、入省時は英語のレベルが高くなくても、それから努力すれば大丈夫です。特に、国家公務員は、留学制度が非常に充実していると思います。入省してから10年目までの職員に、おおよそ2年間の留学に行けるチャンスがあります。行きたい国や大学、学びたい学部学科やテーマは、自分で自由に決めることができますし、国家公務員として学びに行っていることから、学費だけでなく、給与(生活費)も支払われます。条件は1つだけで、期間中に修士号(以上)を取得してくることです。なお、帰国後、5年以内に国家公務員を辞めた場合は、費用を国庫に返納しなければならないというルールもあります。
私も留学して、英国の大学院で環境開発学を学びました。実は、当時は妻と結婚したばかりで、元々英語教師であった妻も私費で、同じ大学に留学しました。結果として妻は私よりも早く修士論文を書き上げ、TESOLという英語教育法の中でも幼児英語教育の修士号を取得しました。毎日、勉強はもちろん大変でしたが、たまの夏休みや冬休みといった期間には、二人とも大量のレポートに追われながら、一緒に気分転換の旅行に出かけたりしたことも、今となってはよい思い出です。結婚してすぐに留学が決まり、バタバタしていて、結局、新婚旅行には行かなかったので」

留学期間中は特に夏休みや冬休みなどを活用して、様々な国際機関や国際NGOなどでインターンとして業務を行い、さらに多様な経験を積んで見聞を広げる留学生も多い。当時、福嶋さんも英国環境省(当時のDEFRA)でインターンの機会を得たという。

海外出張先にて(OECD派遣中(当時)の同僚と

「ちょうど、日本の環境省でも仕事としていた、各国と気候変動交渉を行ったり、各国の政策分析を行ったりするという部署でした。そのため、日英の政策比較ができたりして、非常に有意義でした。またそれ以外にも、様々な部署の人にヒアリングをさせていただき、英国の気候変動政策や環境政策について教えていただくなど、大変勉強になりました。さらには、省としての意思決定の仕方、普段の業務の進め方や働き方(当時、今から20年近くも前になりますが、フレックスタイム制度や、フリーアドレス、リモートワークといったことが既に当たり前でした!)についても学ぶところが大きく、帰国してからは、環境省内はもちろんのこと、他省庁の友人たちと一緒にやっていた勉強会でも発表させてもらうなど、様々な場面で、学んだことの還元に努めました」

人事院は政策のエキスパートを育てるために、海外留学だけでなく、国内での留学制度(修士以上を獲得するプログラム)も用意している。また、各省庁とも、各国の大使館、国連やOECDなどの国際機関に職員を出向派遣させており、留学以外にも、海外での経験を積むことができる機会が、国家公務員には多数用意されている。国内で政策をつくりあげていくためにも、海外の事情に精通しておいた方がよいことは言うまでもないからだ。

>> 後編につづく

明石市 総合政策担当理事 福嶋慶三さん

福嶋慶三

立命館大学法学部卒業、神戸大学大学院法学研究科修了、英国サセックス大学大学院環境開発政策コース修了。2002年に環境省入省後、気候変動対策や環境教育、環境アセスメントなどに従事。その間、内閣官房(副長官補室)や、地方自治体(兵庫県尼崎市)への出向等を経験。近畿地方環境事務所環境対策課長兼地域脱炭素創生室長を経て、現在、兵庫県明石市に出向中。2013年度より外部アドバイザーとして「立命館霞塾」の企画・運営に携わる。
東北大学大学院国際文化研究科、関西学院大学商学部でも非常勤講師を務めている。

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