老朽化するインフラや人口減少による公共サービスの維持など、社会は多くの課題に直面している。現在の利益と未来の利益が相反するようなケースも少なくない中、「フューチャー・デザイン」という思考法が注目を集めている。未来人の視点で現在を見つめ直すフューチャー・デザインは、難航する意志決定にどのような解決策を与えてくれるのだろうか。
● 水道インフラを守るには料金は値上げ… あなたならどうする?
● 岩手県矢巾町で行われた「フューチャー・デザイン」の実践
● 住民が「料金を上げよう」という結論に至った理由とは
● 長野県松本市で描かれた「未来の庁舎」像は?
● 思考を自由にし、長期的な視点で解決策を導く“日本発”の方法
あなたならどうする? インフラ維持のための「水道料金値上げ」の是非
超高齢社会や人口減少などにより、特に地方自治体における公共サービスの提供やインフラ維持が大きな問題となっているのはご存じの通りだ。ここで、ひとつのケースを想像してほしい。
あなたの住む東北地方の町では、老朽化した水道施設の更新が必要となっている。しかし、税収には限りがあり、今後も持続可能な水道インフラを提供するには、水道料金の値上げが避けられない状況である。
あなたは水道料金の値上げに賛成するだろうか?
実は上記の事例は、2010年代に岩手県矢巾町で実際に持ち上がった問題だった。一部の住民は値上げに反対する声を上げ、水道料金はそのままで安全でおいしい水が提供されるべきだと行政に求めた。住民、そして納税者の権利という視点で自分ごと化すれば、このような意見に至るのも当然といえるだろう。
一方で、財政が厳しい中で、行政が住民の要望をそのまま受け入れることも難しい。
ここで取り入れられたのが、「フューチャー・デザイン」という考え方だ。この思考法にいち早く注目し、研究を進めてきた立命館大学 食マネジメント学部の西村直子教授に解説いただこう。
岩手県矢巾町で取り入れられた「フューチャー・デザイン」という議論手法
「フューチャー・デザインは日本発の思考法で、経済学者の西條辰義氏が提唱したものです。この背景には、持続可能性の問題の解決が非常に困難だという問題意識があります。原因のひとつは、現在の自分の利害から離れることができないということ。そして、もう一つは、現在は存在しない『将来世代』というステークホルダーが、意思決定に参加できないことだといえます。
そのような中で、日本の実験経済学会で活躍してきた西條さんは『未来人になりきって物事を考える』というアイデアを生み出しました。
認知行動療法においては『誰かの立場に立って体を動かす』という手法が使われており、それに似ていますが、学者たちは『未来人になりきって考えるだけで、そんなに大きな決定の違いを生み出すのか?』と懐疑的でした。しかし、私を含めて一部の実験経済学者たちは、フューチャー・デザインに大きな可能性を感じました。それが2014年頃のことです。
矢巾町水道課では、住民の意見に寄り添いながら将来の水道インフラを考えるために『水道サポーター』を組織して情報共有やワークショップを行うなど、さまざまな議論が行われていましたが、なかなか意見がまとまらない状態が続いていました。そこに、フューチャー・デザインの考え方が導入されたのです」(西村教授、以下同じ)
「フューチャー・デザインでは、当事者自身が生きていないくらいの未来を思い描きます。場合によっては100年以上未来を設定して、現在への提言を議論していきます。
とはいえ、いきなり自分がいなくなった後の未来を想像するのは難しいので、第1ステップとして、『パスト・デザイン』という、過去を考えるワークショップを行います。現在の私たちは、過去の人たちにとっては“未来人”ですから、未来人の視点を持つ練習をするわけです。
パスト・デザインでは、100年前を振り返って『過去世代の人たちが残してくれたもの』『手放してくれたもの』『新しく作ってくれたもの』に感謝します」
そして、いよいよ当事者たちは、未来人になりきって行うフューチャー・デザインを行う。イメージとしては、タイムマシンに乗って、今の自分のまま、今の職業や家族構成、スキル、趣味のまま未来に飛び、周りを見回して「未来はどうなっているのか」「人々の生活はどうなっているのか」を想像するところから始める。
そして、未来の視点から現代の我々に向けて「こうしてほしい」というメッセージをディスカッションしていくという。
「未来人になって行うワークショップでは、『残してくれてありがとう』『手放してくれてありがとう』『新しく作ってくれてありがとう』という3つの軸でメッセージを考えてもらいます。
特に『手放してくれてありがとう』は、未来世代になりきらないと難しい視点です。資源が限られ、人口減少が進む未来に備えるためには、現代人が何か大切なものを手放さなければならない。例えば、『水道料金を上げて(安さを手放して)未来にインフラを残してくれてありがとう』といったことですね。
現代人としてだけで考えていると、水道料金の値上げを簡単には認められません。しかし、未来人の立場になると『手放してくれたおかげで助かった』というものが見えてきます。ワークショップでは、出てきたメッセージを現代人に宛てた手紙に書いてもらうセッションを行います」
「値上げしよう!」フューチャー・デザインで矢巾町に起こった変化
これまでにない「フューチャー・デザイン」を取り入れた住民たちの議論。同様の課題を持つ多くの自治体にとっても大いに参考になるはずの議論は、どのような結果となったのだろうか。
「矢巾町に関していえば、『水道サポーター』たちの8年間の取り組みで解決できなかったことが、フューチャーデザインを取り入れたワークショップによって解決されました。
町民で構成される水道サポーター自身から、【周辺地域の上下水道整備はしない】【水道料金を上げる】という提言が出されたのです」
「興味深いのは、1日目に現代人、2日目に未来人と自分自身の立場が変わると、セッションの様子が様変わりすることです。
現代人からは、『もっと良い水道設備にしてほしい』『ウォシュレットを使えるようにしてほしい』『水道料金を下げてほしい』、さらに『周辺地域の上下水道も全面的に整備してメンテナンスしてほしい』という要求も出ました。この時、人々の姿勢は腕を組んで背もたれにもたれかかり、守りの姿勢を取ります。発言も少なく、顔も少し困ったような表情になります。
現代のセッションは非常に重苦しいものです。
ところが未来人になると、ワークショップの現場には爆笑が絶えません。雰囲気は明るく、参加者の体は前のめりになり、身振り手振りや発言も大幅に増えます。新しい柔軟なアイデアが次々に生まれ、現代世代では捨てられなかったものが、『これなら手放してもいい』と思えるようになるのです。
結果、未来人になった後のセッションでは、『周辺部分の投資はしない』という提案が出てきました。メンテナンスができなくなった上下水道については『住民自らが浄化設備を持つ』という案も出ました。
つまり、未来人の立場になると『周辺地域の水道投資は不要だ』『中心部に移住しよう』『水道料金を上げよう』という提案が生まれます。これが“手放す”という意味で、今よりも高い水道料金を払うことを受け入れ、現代の便利な生活の一部を手放す、ということになります。このような変化が起こったのは、フューチャー・デザインの手法で議論していくことで、現在の利害から離れることができたからだと考えています」
未来人からのポジティブな提言は、長野県 松本市の事例でも
西村教授とその共同研究者は、フューチャー・デザインを用いたワークショップを長野県内を中心に多くの自治体で実践してきた。長野県松本市では2016年から、西村教授が当時在籍していた信州大学と共同でフューチャー・デザインの研究と実践を行っている。ワークショップでは「新庁舎建設」や「次世代交通システム」などのテーマでディスカッションが行われたが、“現在の利害から離れる”という現象が同様にみられたという。
「たとえば『新庁舎』というテーマでは、現代人視点からは次のような意見が出てきます。『市民や観光客が気軽に使えるカフェやレストランがある』『松本城を眼下に眺める展望スペース』『窓口相談はわかりやすいワンストップサービス』『職員たちは仕事内容の見える化によって効率的に作業できる』…
どれもポジティブな意見ですが、現在の庁舎・市役所の姿の延長線上にあるものといえます。
それが未来人になると、さらにワクワクするような視点で未来が描かれるようになります。
『新市庁舎は、もはや手続きに行く場所ではない』『大学のキャンパスのような空間は出会いの場であり、世代間交流が行われている』『職員はコミュニケーション重視の業務に変わっている』『出張所や支所の重要化によって外勤が多くなり、外回りから帰った職員の癒やしの場となっている』『松本市の歴史や地域の価値を示すシンボルと化しており、観光対象のひとつになっている』…
興味深いのは、『もはや手続きに行く場所ではない』といった現状の働き方の否定ともいえる未来を想定しながら、自らの働き方の変化をポジティブに捉えていることです。さらに、市民にとってどのような場所・存在であるべきかを思い描きながら、参加者たちは笑顔で未来をデザインしているのです」
長期的な視点を促すフューチャー・デザイン 多くの議論に応用が期待される
未来人としての視点が、未来志向のアクションを生むのはなぜか。西村教授の研究テーマも、フューチャー・デザインから広がりをみせている。
「フューチャー・デザインによって思考が変化するという現象が多くの事例で共通していることから、何らかの根本的な思考のスイッチが入るのではないかという仮説を立てています。たとえば、私の専門である行動経済学の手法を使い、思考の変化やバイタル(心拍数やストレス指標など)を、セッション前後で測定しました。
すると、現代世代だけで話すときは、参加者はより短期的な思考になり、リスクを避ける方に傾き、新しい投資をしようという傾向が小さくなります。
ところが、未来人の視点で考えるフェーズになるとその傾向が解消され、長期的な視点で考え、リスクを取ってでも将来に備えようという思考に変わることがわかりました。これは、現代のしがらみや制約から解放されて自由になることで、広く柔軟な視野で俯瞰的に物事を考えることができるようになるという効果も見て取ることができます」
西村教授らは2016年から現在まで、フューチャー・デザインのワークショップの開催をさまざまな基礎自治体などの団体と協働して続けており、簡単なバージョンから作りこんだバージョンまで未来人の思考ができる方法を、自治体の方々と共に研究・模索している。また、西條氏や他の研究者も数々の自治体での成功事例を積み重ねてきたことにより、財務省もこの取り組みに関心を示しており、財務省のホームページにマニュアルを掲載する予定もあるという。
「財務省だけでなく、経済産業省、農林水産省など、国土保全やよりマクロな視点でのサステナビリティを検討すべき場でフューチャー・デザインが取り入れられようとしています。
ご紹介した矢巾町を含め、社会インフラの問題は非常に入りやすい領域です。多くの自治体が同じような問題を抱えているので、応用範囲は非常に広いといえるでしょう。また、農水省とも連携しているように、農業問題も典型的なテーマです。こうした物理的な資源の問題に関しては、フューチャー・デザインを徹底的に応用できるでしょう。
そして、私たちが最近挑戦しているのが福祉の分野です。福祉分野でも物理的なインフラ整備は必要ですが、それ以上にヘルパーやソーシャルワーカーといった人的な無形のサービスが枯渇しています。助けが必要な人々は増加しており、若者のメンタル問題や高齢者のケアも非常に深刻です。福祉関係者は疲弊しており、目の前の問題に追われているにも関わらず、行政からは『もっとやれ』とたきつけられている状態です。
そんな中、たとえば長野県では県の社会福祉協議会がフューチャー・デザインを取り入れ始めています。また、静岡県でも同様の動きが見られます。福祉の現場の方々は、自分たちだけで解決するのではなく、地域政策や雇用、産業、教育などと連携して、真の意味で包括的に取り組むことが問題解決の突破口の1つであると結論づけています。フューチャー・デザインを通じて自由で俯瞰的な視点を得ることで、福祉や医療の現場だけでなく、他のジャンルの人々も分野の垣根を越えて一緒に考えることができるようになるというメリットがあります」
立命館大学では今後、基礎教育にフューチャー・デザインを取り入れようとしている。フューチャー・デザインは思考訓練の一つであり、社会課題を広い視点で捉え、未来に向けたサステナビリティ視点で結論を導き出すことにも効果を発揮するだろう。同時に、社会変化を模索する主体の目的や責任意識を明確にし、民主主義の本質を強化する試みでもある。“日本発の未来思考”が、さまざまな課題解決に新たな可能性を提供しようとしている。
西村直子
東京都出⾝。東京⼤学経済学部卒,Johns Hopkins University (USA)で経済学博⼠号(Ph.D)取得。⽴命館⼤学に2020 年度から着任。前職は信州⼤学経法学部教授。専⾨は,⾏動・実験経済学。不確実性や戦略性を伴う場合の選択意思決定を、経済実験の手法で検証する。人々がこれから起こることを推測する際に、共感や協調意欲といった社会性が果たす役割を実験で示してきた。目下identity意識から生じる内集団バイアスに着目し、社会的リスク選択へ応用している。最近は,食にまつわる身体的あるいは環境などの公共的不確定要素に関して,研究を拡張している。