生成型AI「ChatGPT」がさまざまな業界・シーンで話題だ。特に文章生成ではその精度の高さが際立ち、学習分野では大きな影響を与え始めている。では、AIの活用は人間の学習にどのような影響を与えるのだろうか。立命館大学生命科学部の山中司教授は、「ChatGPTは学習でも大いに活用すべき」だと力説する。いち早くChatGPTを取り入れて行われた英語教育から、その理由が見えてきた。
● ChatGPTを取り入れた英語教育とは?
● ChatGPTを勉強に取り入れても良い?悪い?
● ChatGPTの英訳が広げてくれる可能性
● 英語教育、英語授業はどう変わっていくのか
ChatGPTによる英訳を元に、自分なりの英語表現を模索する授業
ChatGPTが一般の人にも利用できるようになったのは、2022年11月のこと。その最新の生成AIの技術をいち早く英語教育に導入したのが、立命館大学生命科学部の山中司教授だ。
山中教授は「AIと共存していく言語教育」をテーマにした大学内の研究グループ(R-GIRO谷口プロジェクト)のグループリーダーの一人を務めており、今回のChatGPTの試験的な導入も、その研究プロジェクトの一環としてスタートした。
授業に使っているのは、既存の機械翻訳とChatGPTを組み合わせた「Transable(トランサブル)」という英語学習ツールだ。Transableには、機械翻訳で直訳された文章を元に、ChatGPTが別の適切な文章とその解説を提示してくれる機能が実装されている。
授業では、課題となる日本語の文章を、学生と、機械翻訳と、ChatGPTが英訳し、学生たちはそれぞれの英訳を比較しながら、表現力や考え方を磨いていくという。
ChatGPTが提案する“小難しい英訳”が学生のオリジナリティーを磨く
Transableの注目機能は、ChatGPTに「他の言い回し」を提案させるというものだ。例えば、床屋さんに行って「髪の毛を全体的に3センチくらい切ってくれませんか」とオーダーするとしよう。
機械翻訳の結果は以下になった。
TransableのBETA-2という機能では、ChatGPTを活用した「他の言い回しは?」というコマンドが用意されており、こんな英訳が提案される。
「『髪の毛を全体的に3センチくらい切ってくれませんか』という会話は、非常に一般的なものですよね。それほど難しい単語を使うはずがないと思えますし、おそらく中学レベルの文法でこと足りそうです。しかし、実際に流暢に伝えられるかというと、かなり難しいのではないでしょうか。
その理由は、英語力が足りないのではなくて、私たちが英語の母語話者ではないからです。学習者にとってこれは大きな壁ですが、ChatGPTが教えてくれる“思いもよらない言い方”を比較していくことによって、学生たちは表現の引き出しを増やしていくことができます。この反復が、非常に大切なのです。
Transableで提案される機械翻訳による英訳も、ChatGPTによる英訳も、『それが答え』ではありません。あくまでも、いくつか存在している言い回しの中の1つに過ぎません。英訳の中には『さすがにこんなに回りくどい言い方しないよね』という訳もあります。しかし、そのようなバリエーションにどれだけ出会っているかが、自分らしい英語・言語表現をしていく上で大きな武器になると思います」(山中教授、以下同じ)
AIを使いこなして、コミュニケーションの量を増やした者が勝つ
ある部分はChatGPTに助けてもらい、自分は本来の目的に集中して学習パフォーマンスを上げていく。こうしたChatGPTの学習活用は、授業という枠の中だけではなく、英語・外国語を学び、使おうとしているすべての人に共通して有効なやり方ではないかと、山中教授は考えている。
「ChatGPTを活用すれば、中学生でも高校生でも、いきなり国際会議で自分の意見を伝えることだってできてしまいます。伝えたい内容さえあれば、原稿はChatGPTがすぐに作ってくれる。英語はもちろん、どんな言葉であっても、言葉の壁を越えて挑戦できる時代がやってきたわけです。
つまり、自分が立ちたいと思うステージにすぐに立てるということです。もちろん、ChatGPTに助けてもらっているわけですから、本人にとっては大きな“背伸び”です。
それでも、やりたいコミュニケーションはできる。背伸びでもいいから自分のやりたいステージに立ち、リアルなコミュニケーションの中で英語力も上げていくというアクションが、英語・外国語の学習方法になっていくのではないでしょうか。なにより、そうやって学ぶほうが楽しいでしょう」
山中教授は「まずは使ってみよう」と、学生の背中を押すことが大切だと考えている。
「これまでの英語学習は“修行を積む”ような側面もありました。修行を積んで、例えば英検1級を取得して、それでやっと国際的なコミュニケーションのステージに立つ“資格が得られる”ような感覚でした。
しかし、本質的なことを言えば、英検なんて何点でもいいんです。それよりも、テクノロジーをうまく使ってコミュニケーションできることの方が、よほど意味があるに決まっています。そもそも言葉というものは、コミュニケーションする道具なのですから、どんどんコミュニケーションした者勝ちだと思うのです。
私たち日本人は、グローバル化の流れの中で『英語で損をしてきた』かもしれません。しかし、ChatGPTをはじめとした生成型AIという“武器”を手に入れたら、英語は弱点ではありません。テクノロジーによって、英語力がハンデにならない時代になったのです」
英語の授業は、これからどうなる?
ChatGPTが出てきたことで「かえって英語力を低下させるのではないか」といった声も聞くが、山中教授は次のように反論する。
「私のクラスでは去年の9月から機械翻訳を取り入れたのですが、学生たちの英語力は下がっていません。むしろ、学生たちは『自信を持って英文を発信できる』と捉えていて、機械翻訳がポジティブな影響を与えているといえます。
特に、英語ができないと思っている人ほど、ChatGPTをどんどん使った方がいいと思います。使えば、結果的に接する英語の量が増えるので、英語力は上がっていきます」
山中教授が言うように、ChatGPTがあれば英語でコミュニケーションが取れて、しかも英語力も上がっていくとなれば、もう英語を勉強する必要はなくなるのだろうか。英語教育は、この先、どうなっていくのだろうか。
「英語を『教える』ことは、徐々に不要になっていくと思います。なぜかと言えば、機械翻訳やChatGPTの方が英語を知っているからです。しかも、ChatGPTは1対1で24時間、365日、横にいて英語を『教えて』くれます。
しかし、英語の『授業』は、この先も必要だと考えています。
ChatGPTが出してくる表現は、正確だけれども、『そのまま使えるか』と言えば必ずしもそうではありません。AIは、言語に関して私たちよりも頭がいい。頭がいいので、学習者が追いついていけない、学習者が使えない英語を出してきます。そこを調整して、自分なりの表現、自分なりの発信を追求していくことが必要です。
そのプロセスで、失敗もしながら、友達から意見をもらったり自分で気付いたりすることがとても大事です。自分なりの英語の表現を試す場、学習の仲間と交流する場として、授業が機能していくことになるのではないかと考えています」
英語授業も変わっていく。教員も変わっていかなければならない
山中教授は、新しいテクノロジーを活用した英語教育において授業の必要性は不変でも、その内容もスタイルも大きく変わっていかざるを得ないだろうと考えている。そのとき、教員の役割は「教える」ことではなく、「学生に自分なりの英語表現を見つけ、獲得させていく」ことに変わっていくのだろう。
「ChatGPTが行うのは、基本的には翻訳です。その翻訳された英文を元に自分なりの英語力を身に付けていこうというやり方は、日本語の感覚を取り入れていきながら英語を学ぶということです。母語である日本語が使えるという意味で、それは英語教育にとって革命的な出来事ですし、大きなチャンスだと思っています。その千載一遇のチャンスを、英語教員が活用しない手はありません。
先生方も革命的な変化に対応し、新しい教育方法を実践し、より良い方向性を見出していかなければなりません。ChatGPTにやらせて、ChatGPTが出してきたものをそのまま提出すれば済むような課題しか与えられないような授業をしているとすれば、それは学校や教育の側に問題があります。
ChatGPTの評価や教育に使える可能性などが定まってくる頃には、おそらく次の新しい技術が出てきていると思います。だからこそ、いち早く批判を恐れずに新しい技術を使って見極めていくことが必要なのではないでしょうか」
日本人と英語との関わりを大きく変えようとしている生成型AI。この変化は、個人の可能性はもちろんのこと、国家レベルでも大きなチャンスの種になることを予感させるものだといえそうだ。
山中司
立命館大学教授。慶應義塾大学大学院博士課程修了。博士(政策・メディア)。専門分野は応用言語学、言語哲学(プラグマティズム)、英語教育政策・教授法。主な著書に『プロジェクト発信型英語プログラム:自分軸を鍛える「教えない」教育』(共著・北大路書房)、『プラグマティズム言語学序説:意味の構築とその発生』(共著・ひつじ書房)など多数。