世界最高峰の選手たちが集う五輪大会。記録との戦いや、ライバルとの紙一重の差が数多くのドラマを生む競技の現場で、性的マイノリティはどのように扱われ、どのような課題に直面しているのだろうか。スポーツとジェンダーが辿ってきた歴史を紐解きながら振り返っていこう。
性的少数者の課題への認識を生んだオリンピック憲章の改定
日本において、性的少数者や同性愛者、トランスジェンダーの人が法律や政策課題の対象になったのは、2003年の「性同一性障害特例法」の制定が最初だ。そして、次に政策的に取り扱う気運が高まったのは、オリンピックが契機になっているという。性的マイノリティとスポーツに詳しい、立命館大学産業社会学部の岡田桂教授は、次のように解説する。
「2014年に行われたソチ五輪の前年に、ロシアでは同性愛宣伝禁止法という同性愛者に抑圧的な法律を可決したことから、欧米諸国が批判し、各国の首脳がソチ五輪の開会式をボイコットするという騒動になりました。この騒動を受けてIOCでは、2014年末にオリンピック憲章を改定。差別を禁止する条項に性的指向による差別をつけ加えました。すでに東京オリンピックの招致に成功していた日本も、オリンピック憲章を遵守する必要が生じ、性的少数者の課題に取り組まなければならない状況が生まれたわけです」
そもそも「スポーツ」という概念は、19世紀のイギリスのエリート男子校で道徳教育の一環として生まれたという背景を持つ。それだけに、男の理想は異性愛であるべきとして、同性愛男性は排除されてきたと岡田教授は指摘する。
20世紀の末ごろまで、スポーツは軍隊とともに同性愛嫌悪の強い領域だったのだ。
「2000年代に入って、その流れが大きく変わっていきます。アメリカなどで同性婚の法制化が進み、性的マイノリティの権利が後押しされました。また、意外に思われるかもしれませんが、9.11も大きく影響しています。
9.11のテロ以降、アメリカは、自分たちは民主的で性的少数者の人権も認めているのに対して、相手(テロ支援国家)は頑迷で抑圧的だと訴えたのです」
これらのことからも、大国同士の政治的な思惑が、性的マイノリティの捉え方に大きな影響を与えてきたことがわかる。オリンピックもまた、スポーツの祭典であると同時に、政治的な意思表明の場として利用される側面をもっていることは、意識しておくべきだろう。
オリンピック憲章で、「gender」が「sex」に置き換えられた理由とは
また、2000年代以降には、トランスジェンダーの選手や、あるいはDSDと呼ばれる性分化疾患の状態にある選手の問題が浮上する。
「この問題は、南アフリカのキャスター・セメンヤ選手の事例がよく知られています。女性だけれど、男性ホルモンであるテストステロンの値がとても高いので、女性としてプレーすると、他の女性よりも有利になってしまうという問題です」
セメンヤ選手の事例を契機に、オリンピック憲章にも興味深い変更が行われたと、岡田教授は解説する。ソチ五輪後に、性的指向による差別の禁止がつけ加えられた際、性別による差別も禁止するという文言の「gender」が「sex」に置き換えられたのだ。
genderもsexも、日本語では「性別」という意味になるが、ジェンダーには社会的な性役割などの意味があり、セックスは生物学的性や生物学的身体といった意味になる。genderからsexに表記が変わった背景には、セメンヤ選手や、インドのデュティ・チャンド選手というDSDの選手との間で訴訟問題があったからだ。
「オリンピック委員会は、セメンヤ選手のように、テストステロンが高い女性選手に対して、薬などで数値を一定以下に下げないと女性としてプレーできないという『テストステロン規定』を定めました。それに対して、チャンド選手が、女性として生まれて生活しているのに、女性カテゴリでプレーできないのは差別だとして、国際スポーツ裁判所に提訴したのです。
つまり、オリンピック憲章で『ジェンダー』による差別を禁止していることと、DSDの女性選手を女性として競技させないということが矛盾してしまう。そこで、『セックス』、つまり身体の特質による差別を禁止するという形に変更したわけです」
機会の平等と条件の平等に取り組んできたスポーツの歴史
この変更によって、オリンピックを頂点とするスポーツにおいて、「性別」とはジェンダーではなくてセックス、つまり身体的特質であるという理解に舵を切ったともいえる。これを受けて、スポーツにおける性的少数者を含めた性的多様性の確保には、ふたつの方向性が考えられると岡田教授は指摘する。
「ひとつの方向性は、これまでスポーツも含めた近代社会が男女の2つに分けてきたジェンダーの価値観を相対化する、あるいは緩めていくということです。イギリスなど一部の国では、手術やホルモン治療などの要件を設けず、自分が望むジェンダーに法律的に変更することが可能になってきており、欧米圏を中心とした地域での趨勢になりつつあります。ただ、そうなると、トランスジェンダー女性が、女性枠で競技に参加するのは不公平だという問題が生じてきます」
スポーツにおいて、もともと男女は不平等だったので、機会の平等と、身体を含めた条件の平等という2つの方法が取られてきた。機会の平等では、男女別種目を設定したり、参加する機会を確保するために、女子部門をつくったりするというのがその方法だ。条件の平等では、レスリングやボクシング、柔道などの競技が取り入れている体重別が、その典型になる。
「マスターズ大会やパラリンピックも、年齢とか障害によって身体の条件が違うので、不公平にならないように大会自体を分けてしまうという考えから生まれています。このように考えると、テストステロン値も身体の中の特定の特質なので、体重別があるなら、テストステロン値別に競技を分けることも不可能ではないはずです。いったい身体の条件差の何が神様からのギフト(贈り物)とするか、何が不公平でチート(ずるい)とするかということを議論し、取り締まり、変化させてきたのが、スポーツの歴史ともいえます」
日本に求められるのは、ジェンダーの不平等の解消と法の整備
岡田教授によれば、性的多様性の確保のもうひとつの方向性として、そもそも男性優位につくられてきた近代スポーツを“解体していくこと”が考えられるという。
「たとえば、将来のオリンピック種目になりそうなeスポーツなどは、基本的に身体そのもので競わないので、ジェンダー差が出にくい競技です。馬術も、オリンピック種目で唯一ジェンダー差のない男女混合競技です。武道の型種目やダンスなども、男女の身体差を超えて競技できる可能性があります。
このような競技を加えることで、男女差が出やすいスポーツを薄めていく、解体していくことにつながると思います。スポーツは男女平等ではなく、男性が有利という限界がある中で平等を目指してきたわけですが、トランスジェンダーの問題には、解決不能な部分も残されてしまうことを理解しなければなりません。いずれにしても、考えるべきことは、スポーツが影響力を持ち過ぎていることを認識し、見つめ直すことです」
このような先進的なトランスジェンダーの問題は、社会における性的マイノリティの受容が一定以上進んでいる欧米だからこその議論だというのが岡田教授の意見だ。日本の場合は、まずは同性愛、トランスジェンダーに対する差別や偏見の解消が必要であり、その前にジェンダーの不平等の解消が求められるという。
「ジェンダーの平等の度合いが高い地域ほど、性的少数者や性的多様性を受け入れる度合いが高いというのは、日本の調査データでも明らかになっています。男女のジェンダー平等を進めない限り、スポーツにおけるジェンダーの問題が解消されていくことは難しく、問題の解決には強制力のある法律的な後ろ盾が求められていると考えています」
東京2020は、日本におけるジェンダー平等を促進する契機となるか。我々一人ひとりが、身の回りにあるジェンダー平等について、あらためて考える必要がありそうだ。
岡田桂
同志社大学 文学部 英文学科卒業。バーミンガム大学大学院社会学・文化研究M.phil課程修了。筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程中退。早稲田大学スポーツ科学部助手、関東学院大学 国際文化学部講師-教授を経て、立命館大学に着任。現在は産業社会学部教授を務める。