2007年生まれの2人に1人が100歳を超えて生きるといわれる、人生100年時代。人生が長くなる分、働く期間も必然的に長くなる。多くの人が、社会におけるひとりの「人材」として、50年近く仕事をする計算になる。
労働期間の長期化に加え、社会の変化も激しさを増している。リモートワークや副業など働き方は多様化しており、就職という進路が全てではなくなった。起業やフリーランスという選択肢も珍しくない。
長きにわたって、そして変化に富んだ環境の中で、自分はもちろん社会も幸福にできる「良いキャリア」は、存在するのだろうか。
良いキャリアを定義する上での一律の物差しは、もはや存在しないのかもしれない。一人ひとりが自分らしく、自分にとっての正解を生きる時代になっているとも想像できる。そんな仮説を持って、「モチベーション」や「リーダーシップ」、「キャリア」といった人材研究の第一人者である、立命館大学食マネジメント学部の金井壽宏教授を訪ねた。
「金井教授! 今を生きる私たちが、自分らしいキャリアを歩むためには、一体どうすればいいのでしょうか?」
目次
異なるタイプの人と接することで、自分らしさを見つける
「どうすれば、一人ひとりが自分らしいキャリアを歩むことができるのか」。このスケールの大きな問いに対する、金井教授の答えは、至極シンプルなものだった。
「まず、自分とは異なるタイプの人と接して、自分を知ることですよ」
さらに教授はこう続ける。「その人と自分との違いはどこにあるのか? そう自問することを通じて、自分ならではの特徴が見えてくるんです。自分と似たような人というのは、読んでいる本や聞いている音楽も同じだったりして、話は盛り上がるし楽しいから、あっという間に時間は過ぎるけど、特別な驚きは無いじゃないですか。深い洞察につながるような、引っ掛かりが無いんですよね。全然意見や感覚が合わへんなっていう人との会話にこそ、なるほどなという瞬間や新たな気づきがあるもんです」
異なるタイプの人と接するとは、具体的にはどういうことなのだろうか。金井教授が、自身の身近な例として挙げてくれたのは、最大で50歳近くも年齢差があるという、ゼミ生たちとの会話だった。
「先生の良いところはよう喋るところやけど、弱点は喋りすぎるところかなぁ、とかよく言われたもんです。言われた直後は、え!? と思ったりもするけど、寝る前のリラックスしているときにふと、相手の言っておられたことは正しいなと思ったりして。たまにムカッとするようなこともしっかりと言ってくださるみなさんのおかげで、自分では思いつかなかったことに気付けたりするから、ありがたいことと感謝しています。つまり、僕らしさを言葉にするなら、まぁ、誰を相手にしてもオープンってことですよね」
異質との出会いによって、物事の本質に近づいていく
自分とは異なるタイプの人と出会う、つまりは異質に触れる。これはキャリア以外のことを考える際にも、重要なキーワードになるようだ。実際、金井教授自身が「異質に触れる」を実践することで、研究を深めてきたのだ。話は1985年、MIT(マサチューセッツ工科大学)留学時代にさかのぼる。
「『企業者ネットワーキング』という研究テーマで博士論文を書き上げようと決めて、企業者コミュニティを探してたんですよ。それで、MITエンタープライズ・フォーラムっていう、技術を基盤にした若手企業者コミュニティにたどり着いたわけやけども、その場に参加して観察していたら、早速すごい出会いがありましたね。野球帽をかぶった19歳の学生がフォーラムの場に来ていて、30〜40代のゲストスピーカーにびっくりするほど良い質問をしたんです。会合が終わったら一目散に追いかけて、『なんであんな良い質問できるの?』って話しかけたね。そうしたら、自分たちで開発したプロダクトがすでに3つも世に出ていると言っていました。日本ではそんなすごい10代に会ったことはなかったけど、MITには、20代前後で起業する学生さんがいっぱいいるんですね」
忘れられない、この10代の青年との出会いを皮切りに、異質との出会いは続いた。
「エリート集団のMITエンタープライズ・フォーラムとは真逆の発想から組織化された、ニューイングランド地域小企業協会(SBANE)っていうコミュニティも、頻繁に訪ねましたね。博士論文の比較調査対象として、とてもいいなと思って。SBANEは、編み物とか自分の得意な手仕事で、商売をしたいと考えている人たちの集団。規模感や会員同士のかかわり方は全然違って、SBANEの方が世話焼きの先輩と後輩みたいなイメージかな。でも、SBANEの人たちも結局みんな起業してるんですよ」
MITエンタープライズ・フォーラムと、ニューイングランド地域小規模協会。両極端な2つのコミュニティを見つけ出し、研究者でありながらその集いの場にどっぷりと入り込めたことによって、「企業者ネットワーキング」に関する論文は、豊かなものになったようだ。異質に出会うということは、自分を知るだけでなく、物事の本質に近づいていくということでもあるのだ。
ゆるく弱いつながりにこそ、ヒントがある
MITの青年について何度も「すごいんよ」と熱弁し、ニューイングランドの人たちについて「前向きで明るくて、素敵な人たちやったなぁ」と回想する様子からも、金井教授が強い好奇心を原動力にして、難なく異質と出会ってきたことがわかる。
とはいえこれは、誰にでも真似できることではなさそうだ。自分と異なる人たちと接するコツは、なんなのだろうか。
「例えば、これは僕の経験やけどね。MITでもニューイングランドでも、『You are not like any other Japanese.(あなたは、私たちがこれまで出会ってきた日本人の誰とも似ていない。)』とか、『You are much more approachable than other Japanese.(あなたはこれまで会った他の日本人と違って、すごく身近に思える。)』ってよく言われてたね。僕はよう喋るから。日本人はもの静かで様子見てるでしょ、僕は自分から行くから話しやすかったみたい」
誰にでもオープンな金井教授らしいと納得できるエピソードだが、一般的には、知らないコミュニティに臆せず飛び込んでいける人の方が珍しいはずだ。すると金井教授は、「自分がすでに所属しているコミュニティの中から、弱いつながりを探してみるといいよ」と教えてくれた。
「マーク・グラノヴェッターというアメリカの社会学者は、『Strength of weak ties』という興味深い概念を提唱しているんです。弱いつながりの方が強みがあるよっていうことなんですけどね。別に難しいことじゃない、普段めったに会わない人と会ってみたらいいんです。顔見知りは安心やけど、話す内容が似通ってて発見が少ない。でも年に1回しか会わないような集まりに顔を出してみたら、多様な視点を得られますよっていうことかな」
例えば、大学のゼミの集まりや同窓会、年に一度や数年に一度の集まりというものは、確かに身近に存在している。億劫がらずに参加した場に、想像を超えたヒントが隠されているのかもしれない。
金井教授自身が、異質と出会う実践者
金井教授は研究を深め本質にたどり着こうと、積極的に異質を求めてきた。MIT留学時代の、野球帽をかぶった10代の起業家やボストン郊外の起業家たちとの出会いは、その代表例だ。そして2020年、助手時代も含めれば41年間も在籍した神戸大学経営学部から、立命館大学食マネジメント学部への転身。神戸大学では、経営学の中でも人に近しい、「モチベーション」や「リーダーシップ」、「キャリア」の研究分野における第一人者として、2019年には紫綬褒章を受章するほどの活躍ぶりだったにもかかわらず、新たなフィールドを求めた。このチャレンジもまた、異質を求めたように見える。実際のところはどうなのだろうか。
すると、「食マネジメントという名前に驚く人もいるけど、食のフィールドがメインになるだけで、僕は経営学の組織行動論分野での教育者であり研究者。別にこれまでとやることは変わらんよ。レストランを経営する人には経営の知識は必要だし、一緒に働く従業員のやる気を高めるためにはリーダーシップが役に立つ。そういう意味で、同じことをやるんだと思ってる」と語った。
また、金井教授のライフワークである執筆活動でも、異質に出会わんとする姿勢は存分に生かされている。専門家向けの専門書ではなく、広く一般の人が手に取れるものが多いことについて、金井教授はこう語った。
「学術論文も書いてきたけど、どうしても難しい本になるんです。それに、かなり分厚くなる上に高価になるから、一般の人たちが読めるものじゃなくなってしまう。だから僕は、あんまり研究者はやりたがらないけど、誰もが読めるように、新書とか文庫といったコンパクトで読みやすくて、比較的安価な書籍を書いてきたつもりです。出版社の人たちから共著や対談・新しいテーマでの執筆を持ちかけられることもあって、例えば、ラグビー元日本代表の平尾誠二さんとの対談から生まれた『型破りのコーチング』っていう著書もそうやし、ウルトラマンの働く意味を考えて、大勢の仲間と共著として取り組んだ『ウルトラマン研究序説』も面白かったな」
自発的に異質を求めることはもちろん、誰かからの提案によって異質とも出会ってきたことが垣間見られるエピソードだ。
異質をつなげることができたら、イノベーションは生まれる
異質と出会うこと。それは、自分らしいキャリアを歩むための第一歩だ。しかしもう一歩踏み込み、異質と連携できたならば、「イノベーションを生み出すきっかけになり得る」と金井教授は言う。
「普通はつながらないものをつなげるのが、新結合/イノベーションでしょう。同じような人とばかり過ごしていても、イノベーションはなかなか起きないから。今の僕は『食』と『マネジメント』という、一見すると異質な2つをどう効果的に結合させるかが、喫緊の課題。これはすごく魅力的で、興味深い取り組みになると思うね」
そして、自身のキャリアについては「もっとジグザグに歩んでも良かったかな」と振り返る。「案外真面目にやってしまうからね、もう少しいろいろやってみても良かったかな。でもまだまだこれから。著述家としても頑張りたいしね」
キャリアの分かりやすい成功モデルが、なかなか見当たらない時代。だからこそ、まずは自分とはタイプの異なる誰かと出会い、語り合うことを通じて自分を知る。そして、自分が没頭できるテーマを見つけて進んでみる。そうすれば、振り返ったときに自分らしいキャリアが積み重ねられているのかもしれない。さらにもう一歩踏み込み、自分と異質の結合から「新しい価値」を生み出すことを楽しめたならきっと、他にないイノベーティブな未来を開いていくことができるのだろう。
撮影/福知彰子、取材・文/伊勢真穂、イラスト/WAKICO、ビジュアルディレクション/岩﨑祐貴
※本記事の撮影は、新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大予防対策として、出演者・撮影スタッフの体調管理、撮影現場でのマスク着用、撮影現場の換気、ソーシャルディスタンスの確保などを行ったうえで実施。撮影時のみマスクを外しています。
金井壽宏
1954年兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業後、神戸大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。MIT留学、Ph.D.(Management)取得。長らく神戸大学大学院経営学研究科・経営学部の教授を務め、2021年には同大学名誉教授に。また2020年から、立命館大学食マネジメント学部教授に就任した。日本におけるキャリア研究の第一人者であり、著書は共著も含めて100冊を超える著述家でもある。