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『ケーキの切れない非行少年たち』が教える「忘れられた人々」に必要な眼差し

2020年1月28日




『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)が34万部を超えるベストセラーになっている。帯に描かれた、非行少年が“三等分”したケーキの図。普通の感覚からすればショッキングな「分け方」に、非行少年たちの問題行動の原因を探る手がかりがあった。
精神科医であり、発達障害・知的障害を持つ非行少年が収容される医療少年院や女子少年院で勤務経験を持つ著者の宮口幸治教授(立命館大学産業社会学部)は、少年たちとのコミュニケーションの中で、さまざまな「認知機能の弱さ」に気付く。我々がこれまで「理解不能」と目を背けてきた非行・犯罪の原点に新たな視点を向ける宮口教授のアプローチは、支えを必要とする人々に対する、前向きであたたかな眼差しになり得るものだ。

うまく認知できないこと。それが「反省」さえもできなくする

「この円いケーキを三等分してください」

非行少年による「三等分」、「五等分」の例(宮口教授が再現)

その問いへの答えが、この図の上側に描かれた2つの円である。普通に考えれば、メルセデス・ベンツのエンブレム“スリーポインテッド・スター”のように切る方法がすぐに頭に浮かぶだろう。

「このような切り方は小学校低学年の子どもたちや知的障害を持った子どもにも見られるもので、図そのものに問題はないのです。問題なのはこれを描いたのが、強盗、強姦、殺人などを犯した、中学生・高校生の年齢の非行少年たちだということです。
こういった少年たちは、『100−7は?』といった簡単な計算問題ができなかったり、漢字が読めない、短い文章すら復唱できないといった共通点を持つことも多くあります。これらが示すのは、単に『勉強が苦手』だということではありません。根幹には『物事を認知する能力が弱い』という問題があります」(宮口教授、以下同じ)

認知とは、見る力、聞く力、見えないものを想像する力などを総合的に使う能力である。認知機能に問題があると、学習はもちろんのこと、日常の会話や情報伝達、移動や買物に至るまで、さまざまな場面で周囲との軋轢を生むきっかけにもなる。
非行少年たちに「なぜそのような犯罪をしてしまったのか」を訪ねると、理由を答えられない子がかなりの数にのぼるという。自分の犯したことについて、認知が追いつかず、難しすぎると感じて口を閉ざしてしまうのだ。

宮口教授は、更生が必要な少年たちには「何よりもまず認知機能の向上が必要」と訴える。
「更生のためには、自分が犯してしまった罪としっかりと向き合うことや、被害者の気持ちに自分を重ねて内省すること、そして自己洞察などが必要になります。しかし、そもそもその能力がないのです。『反省以前の問題』ともいえるでしょう。
彼らに非行の反省や障害者の気持ちを考えさせるような矯正教育を行っても、伝わらずに流されてしまうだけです。反省させるために、反省できる状態にするような教育、つまり認知機能の向上や感情統制、適切な自己評価、対人スキルなどの向上に取り組むことが必要だと考えています」

では、非行少年たちの多くは、なぜ「認知機能の弱さ」を抱えるに至ったのだろうか。そこには、日本における「知的障害」の定義が密接に関わってくる。

IQ70〜84 「境界知能」の人々が直面する困難

現在、知的障害者の定義は「おおよそIQが70未満で社会性に障害があること」とされている。この定義によれば、それに該当するのはおよそ2%になる。

「実は1950年代の定義はIQ85未満とされていました。それを現代に適用すると、16%もの人が該当することになります。つまり、16%−2%=14%の人がかつては『軽度知的障害者』とされていた人々であるということになります。
世間で普通に生活していくためにはIQが100程度ないとなかなかしんどいと言われていますから、この14%の人々は生きる上でかなりの難しさを感じている可能性が高いのです。ところが、公的に障害を認定されることもなく、支援されることもない。人間関係や自己表現が上手くいかずに職を転々としたり、引きこもったり、時に非行や犯罪に手を染めたりといった問題が発生してきます」

宮口教授はこのようなIQ70〜84(境界知能)の人々を「忘れられた人々」と表現する。彼らは知的なハンディキャップを負っているものの、普通に生活している限りは健常者とほとんど見分けがつかない。
ところが、想定外の事態が起こった時や、フラストレーションが溜まってくると、どう対応していいのかわからなくなってしまうことが多いという。

「柔軟に対応することが苦手なのです。そこからパニック状態になる、同じ方法にこだわる、人に言われたとおりに流される、といった行動パターンが現れてきます。しかし普通に生活していれば、知的なハンディに気付かれることもない。現に、本人たちも気付いていないことも多い。だから『忘れられて』しまうのです」

また、宮口教授は「軽度知的障害」という言葉の理解にも警鐘を鳴らす。軽度の知的障害は、中等度や重度の知的障害よりも「支援が軽くてもいい」ということではない。そのような誤解から、本人も普通を装い、また支援を拒否したりするために、支援する機会を逃してしまうのだ。
そのような状況が“認知機能の弱さ”を増幅させ、非行や犯罪につながるケースが多いことは、医療少年院に認知機能に問題がある子どもたちが極めて多いことが物語っている。

「認知機能の弱さ」の兆候は小学2年生頃から現れる

“認知機能の弱さ”の兆候はどのように捉えることができるのだろうか。宮口教授は医療少年院での勤務経験から、次のように振り返る。

「非行少年たちの調書を読み込んでいくと、
・すぐにカッとなる
・コミュニケーションがうまくいかない
・忘れ物が多い
・嘘をつく
・じっと座っていられない
・嫌なことから逃げる
・漢字が覚えられない
・計算が苦手
といった振る舞いについて、記録が残っていることが多くなります。驚くべきは、私が小・中学校の教育相談、発達相談で受ける相談ケースと重なる部分が非常に大きいことでした。医療少年院で働く中で、彼らはこのようなサインを、小・中学生の時から出し続けていたということに気付いたのです。
これらの特徴はだいたい小学2年生くらいから少しずつ見えるようになります。初めは小さな違和感ですが、次第に友だちから馬鹿にされるようになったり、親や先生から『手がかかる子どもだ』と思われたりするようになります。背景にある認知能力には話が及ばず、成長とともに問題が深刻化してしまうのです」

学校に通っているうちはまだ大人の目も届くが、学校を卒業し社会に出ると、途端に支援の枠から外れてしまう。当然、周囲の期待に合わせながらの社会生活は過酷になる。結果として、失業や人間関係の破綻、引きこもりなどにつながるケースは想像に難くない。
無論、強盗や強姦、殺人という、最悪の結果に結びつく可能性もある。

では、IQ70〜84に相当し、支援の非支援の間のグレーゾーンに置かれている「境界知能」の人々を、社会はどのように受け止めていくべきなのだろうか。

学校での体系的な「社会面の支援」が必要

宮口教授は、認知機能の弱さに端を発する負のスパイラルに対処するために教科教育以外の「社会面の支援」が欠かせないと指摘する。

「社会面の支援とは、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上で欠かせない能力を身に付けさせることです。社会生活において、これらは必須の能力といえますが、これらを学校教育でも系統立てて教えていく必要があると考えています。
多くの子どもたちは、これらの能力を、集団生活を通じて自然に身に付けていくことができます。しかし、境界知能にいる『気付かれない子どもたち』が自然に身に付けるのは非常に難しく、やはり学校で系統的に学ぶしか方法がないと思います」

宮口教授は、このような「気付かれない子どもたち」に向けて考案した支援プログラムが「コグトレ」である。
コグトレの「コグ」は“Cognitive”(認知の)、「トレ」はトレーニングを指し、医療少年院で約5年の歳月をかけて開発されたものだ。認知能力を構成する5つの要素(記憶、言語理解、注意、知覚、推論・判断)に対応する、「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニングからなっており、学習の土台になる認知機能を鍛えることが期待されている。

「通常の学校教育では、認知機能の弱さによって何らかの“学びづらさ”を感じている子どもたちに何も対応できていないのが現状です。コグトレは、例えば、朝の会の時間に5分あれば取り組むことができます。5分あれば、1年間で約10時間を認知機能の向上に役立てられる可能生があるのです。
犯罪の中には、生活歴や性格の問題以外にも、脳機能障害の問題によって起こるものもあると考えられています。コグトレのような認知機能トレーニングは、認知機能の向上はもちろんのこと、認知機能の弱さを見つけやすくするという意味で、犯罪を減らすことにもつながると考えています

ある意味で、対象者が多すぎることから“手つかず”になってきたともいえる人々への支援は始まるのか。彼らへのあたたかく、前向きな支援は、将来的な凶悪犯罪を未然に防ぐことにも貢献するだろう。

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