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【対談】女流棋士・香川愛生×クイズ作家・古川洋平(前編)「将棋漬けの日々が私を強くした」

2019年10月1日




女流棋士・香川愛生とクイズ作家・古川洋平の初対談がshiRUtoで実現! 推理ゲームを介した友人という2人の共通点は、「将棋」「クイズ」という本職を軸にしつつ、バラエティ豊かな仕事にも積極的に挑戦していること。前編では、2人がいかにして今の仕事と出会い、向き合ってきたかを語った。
(対談後編はこちら

香川愛生 Manao Kagawa
1993年生まれ、東京都出身。9歳から将棋を始め、中学生で女流棋士になる。2013年に女流王将を獲得し、翌年も防衛。現在は女流三段。女流棋士の活動だけにとどまらず、YouTubeチャンネル「女流棋士・香川愛生チャンネル」で詰将棋や対談などの動画を定期的に公開しているほか、ゲーム雑誌での連載など多方面にわたって活躍している。初の著書『職業、女流棋士』(マイナビ新書)が好評発売中。

古川洋平 Yohei Furukawa
1983年生まれ、宮城県出身。高校時代からクイズに本格的に取り組み始め、大学時代には学生日本一決定戦『abc』3連覇を達成。会社員や公務員を経て、2014年にクイズ作家として独立。クイズ法人カプリティオを立ち上げ、バラエティ番組の制作協力・出演などで幅広く活躍。YouTubeチャンネル「クイズ法人 カプリティオ」ではさまざまなクイズ動画を公開している。

 

人と場所に恵まれ、将棋に夢中に

「子どものころは男勝りで負けず嫌いな性格でした」という香川愛生さん

――香川さんは9歳で将棋を始められたそうですね。

香川:他にも習い事をしていましたが決定的に自分に向いていると思えるものが無くて、初めて将棋を指したのはそんなときです。クラスメイトの男子と対戦するようになったんですが、なかなか勝てないのが悔しくて将棋に入れ込むようになりました。
自宅の近所ではご年配の方々を中心に、気軽に将棋を指せる場所を作っていたので、私はそこをよく訪れて有段者のおじいちゃんたちに教わっていました。その中で1人、本当は強いのに私にいつも負けてくれる人がいたんです。

古川:優しい!

香川:子どもだから「私ってちょっとすごいかも?」と思ったりして(笑)、将棋を続けるモチベーションになりました。人や場所など、将棋を指す環境には本当に恵まれましたね。子どもが「将棋を指したい!」と思っても、実際にすぐに指しに行ける場所は多くないので。

――それからめきめきと実力を付け、小学6年生にして大人も参加する女流アマチュア名人戦で初優勝、翌年も連覇されたのですね。

古川:小学生で日本一になったんですか。すごい! それはプロになろうと思いますよね。

香川:ありがとうございます。それから中学3年生でプロの女流棋士になりました。ただ、中学生ということもあって、将棋を「仕事にする」意識はまだ希薄でしたね。プロとしての普及活動も、もちろん今はとても大切な仕事と理解していますが、当時はあまり想像できていなかった。そういう意味では、「どんな職業の世界なのか」について未知の部分を持ったまま将棋界に飛び込んだといえると思います。

最初は奇術部に入ろうと……クイズへの情熱と偶然再会

頭の中には約1,000万問ものクイズがストックされているという古川洋平さん

香川:クイズのプロはどうですか? 先達も少なくて、なるのは簡単じゃないですよね。

古川:難しいんですが…。実は僕、ボタンを押すと音が出る、テレビなどでお馴染みの「早押し機」を幼稚園児のころには手にしていたんです。父がテレビのクイズ番組出演を目指すほどクイズ好きだったんですが、年齢などの関係で夢を果たせずにいました。そこで息子の僕をクイズ王にしようと目論み、早押し機とクイズの問題集を買ってきた(笑)。
内容は分からないながら、絵本感覚で楽しく読んでいましたね。おかげで「ドイツの秘密警察は……ゲシュタポ!」とか、難しい言葉をたくさん知っている幼稚園児になりました。

香川:問題と答えがセットの呪文みたいな感じですね。

古川:分からないまま、とにかく暗記していたんです。とはいえ小・中学生のころはバスケットボールを熱心にやっていました。
高校は仙台第一高校に進学したんですが、自宅から遠くて自転車で往復2時間もかかったので、バスケを続けるのはあきらめました。手品が好きで奇術部を探したのですが、残念ながら奇術部も無かった。
そこで、幼い頃にクイズ少年だったことを思い出してクイズ研究会の部室に行ってみたら、僕が遊んでいたのと同じ早押し機で先輩たちがクイズをしていた! さっそく参加したら、幼稚園児にして英才教育を受けた僕は強くて「驚異の新人現る!」という感じに(笑)。
そこから入部して真剣に取り組むようになり、『アタック25』と『タイムショック21』の高校生大会で優勝できたんです。

香川:自分の得意とする世界に、期せずして飛び込んだんですね。

古川:高校が近かったらバスケを続けていたかもしれないし、奇術部があったらマジックにハマっていたと思います。僕がいまクイズを仕事にしているのは、どうやら偶然のおかげみたいです

徹夜で毎晩クイズ大会・将棋漬けの大学時代

――高校卒業後、入学年度は離れますがお二人とも立命館大学の文学部に進学されています。大学生のころはどのように将棋やクイズに取り組んでいましたか?

古川:僕は大学でもクイズ研究会に入り、作ったクイズを部員同士で解きあう「例会」を開いてクイズ力を鍛えていました。例会後には問題集を部員の家に持ち寄って徹夜で延々とクイズを出し合う「裏例会」もあって、一時期はほとんど毎日やっていましたね。
既存のクイズをこなすだけでは発想力が落ちたり新作に弱くなったりするので、クイズを作る作業も欠かさず行っていました。「クイズ作家」という僕の現在の仕事も、クイズ研究会時代に土壌ができたと思います

香川:クイズ研究会の一番の目標は何ですか?

古川:学生日本一決定戦とも称される『abc』というクイズ大会があり、その個人戦と団体戦が最大目標です。せっかくなので自慢してしまうと、僕はabcの個人戦を3連覇していて、団体戦でも3年生のときに優勝しました。

香川:すごい!

古川:実は、僕が入学したころのクイズ研究会はあまり活動的ではなく、大会に出る部員も少なかった。そんな状況で僕が「もっとクイズやろうよ!」と周りに声をかけ、クイズ未経験の友人も引き入れ、例会・裏例会を繰り返して……という活動を続け、最終的にクイズ歴1年の友人もいるチームで団体優勝できました。
僕は高校時代の実績を評価いただき、クイズ推薦のようなかたちで大学に入った。「クイズで入学した以上、僕が立命館のクイズを立て直さなければ」という情熱が自分を突き動かしていたと思います。

香川:古川さんのお話には、共感するところが多いです。
私は将棋研究会に入っていて、空きコマや放課後に部員と将棋を指したり部内リーグ戦に参加していました。その日の活動が終わった後もずっと将棋の話をしていましたね。一つの戦法をとことん研究している部員と論争したり(笑)。ずっと将棋漬けで面白かったですよ。
学生将棋界の強者が集まっていたので、技術的に本当に研鑽を積めました。そんな環境にも助けられて、在学中の2013年には初タイトルの女流王将を獲得、翌年も防衛しました。
私も将棋を評価いただいて入学しましたが、高校時代はあまり実績を残せていなかったんです。だからこそ大学時代は、立命館の学生として結果を残したいという強い気持ちで将棋と向き合えました。背負うものという意味では、古川さんと近い感覚があったかもしれません。
古川:「〇〇推薦」という肩書きが、お互い良い方向に働いたのかもしれないですね。

幼い頃から将棋とクイズという「好きなこと」に向き合い続けてきた、香川さんと古川さん。後編では、将棋を越えて多方面で活躍する香川さんの原動力や、会社員・公務員という安定した仕事を辞めてクイズ作家として独立した古川さんの決断などについて語っていただいた。
(対談後編はこちら

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