絞り込み

投稿日で探す

なぜ『ゼルダの伝説』はプレイヤーを惹きつけるのか? ゲームナラティブの専門家が教える「物語の作り方」

2025年5月29日


なぜ『ゼルダの伝説』はプレイヤーを惹きつけるのか? ゲームナラティブの専門家が教える「物語の作り方」

グラフィックや処理速度、AIとの連携——日々進化を続けるゲーム制作の現場において、「ゲーム体験の本質」はどこにあるのか。ファミコン黎明期からゲーム制作に携わり、現在は立命館大学映像学部でゲームデザインとゲームナラティブ(語り方・物語)を専門に教える竹田章作教授は、ゲーム制作における「プレイヤーが主役である」という視点を何よりも重要視する。Nintendo Switch2の発売と入手が社会現象にもなりつつあるいま、テレビゲーム業界を黎明期から知るクリエイターがゲームに向ける眼差しを紐解いていこう。

〈この記事のポイント〉
● ファミコン時代のアドベンチャーゲームの制作現場は?
● ゲームのストーリーは「プレイヤーが物語る」もの
● プレイヤーが物語を紡ぐためには「難易度」が重要
● 『ブレワイ』『エルデンリング』に引き込まれるワケ
● 「ファミコン時代に戻って考える」ことの重要性

作家志望からゲーム開発の道へ 家庭用ゲーム黎明期の開発現場とは?

「私がゲーム制作に関わるようになったのは、31歳のときでした。きっかけは、兄の友人が持ってきたツインファミコン。正直、最初はバカにしていたんですよ。『子どものおもちゃだろう』って」

そう振り返るのは、立命館大学映像学部でゲームデザインとゲームナラティブを専門に教える竹田章作教授。ファミコンが普及し始めたころ、まだパソコンでゲームをするのが一般的だった時代に、竹田教授はすでにフリーライターとして活動していた。主にファンタジーやホラーの文章を手がけていたが、偶然出会ったファミコン版『ゼルダの伝説』が、その後の人生を大きく変えることになる。

「2日間、ほぼ寝ずにプレイしていました。ゲームのビジュアルの完成度、そして“スイッチを入れるだけで物語が始まるゲーム専用機の手軽さに衝撃を受けましたね。あれは、小説でも映画でもない、新しい物語体験でした」(竹田教授、以下同じ)

ちょうどその頃、家庭用ゲームソフトのシナリオライターを募集するチラシを見つけた竹田氏は、「作家の卵募集」という言葉に惹かれてゲーム会社の面接に赴く。そして言われるがままに引き受けたのが、ミステリー作家原作のアドベンチャーゲームだった。

「当時、アドベンチャーゲームに関してはあまり知識ありませんでした。テキスト入力タイプのゲームを参考にしながら試行錯誤していましたが、コマンド選択型アドベンチャーゲームの名作『ポートピア連続殺人事件』に出会い、ようやく仕組みを理解したくらいです(笑)。
私は未経験から飛び込んだようなものですし、そもそも当時はスタッフ全員が手探りで、前例のないことばかりをやっていましたね

ファミコンという限定されたハードスペックの中で、プレイヤーに何を体験させるか。黎明期ならではの試行錯誤は、今のゲームクリエイターが経験したくてもできない、貴重な時間だったのかもしれない。

「ひらがな」だけでアドベンチャーゲームのシリアスなシーンを描写する!

晴れてゲーム開発の世界に飛び込んだ竹田教授だが、意図したストーリーをプレイヤーに体験させるためのハードルは、現在とは比較にならないほど高かった。そのわかりやすい例が、「画面に表示できるフォント」だ。

「当時のファミコンのスペックでは、表示できるビジュアルの枚数も制限されますから、アドベンチャーゲームのストーリーを伝える手段として、文字情報は非常に重要です。
ところが、ファミコンで出せるフォントは基本的には『ひらがな』です(笑)
。グラフィックとしてフォントを作れば漢字も表示できますが、それでは容量が足りなくなる…。そんな中で、いかにストーリーを伝えるか。セリフ中心で物語を表現する必要がありました。
そもそも、ひらがなだけで書かれた文章は、非常に読みづらいですよね。だから、単語ごとにスペースを空けたり、改行を工夫したりして、少しでも読みやすくするわけです。
また、当時は子ども向けタイトルが多く、テキストウィンドウに出せる情報量も限られていいました。ミステリー作品のシリアスなシーンや、大人でも楽しめるような小説的な描写をしようとすると、『ページ送り』が多くなりすぎて、ゲーム性が失われてしまいます。物語のエッセンスを残しながら、いかに少ない情報量でプレイヤーに体験を提供するか。そのバランスには、すごく苦労した思い出があります

ハードスペックが変わっても、「物語の構造」は変わらない

現在のゲームハードのスペックは、ビジュアルや文字といった表現を制限することはほぼないといえる。しかし、数多の制約の中でゲームのナラティブ(語り方・物語)に向き合ってきた経験が、竹田教授の中で重要なスキルになったことは言うまでもない。
では、クリエイターの“やりたいこと”が存分に表現できるようになった現在のゲームにおいて、ナラティブや物語表現の役割は、どのように変化したのだろうか。

基本的に、物語そのものは変わっていないと思っています。ゲームナラティブにおいては、『物語るのはプレイヤーだ』という大前提があります。私たちがいくら物語を作ってゲームに盛り込んだとしても、それを“語る”のはプレイヤーなのです。
ナラティブは、『物語の内容』に、『語る』という行為が加わって成り立ちます。『内容』とういのはストーリーそのもので、制作者側が原作として構築しますが、それを『物語』としてどう演出するかが重要なんですね。
基本的に、ストーリーは時系列に沿って展開されるものです。それを描写技法、たとえば時間を飛ばしたり短縮したりすることで、読者を引き込んでいきます。
ゲームでも同様で、プレイヤーがプレイする中で、その行動や体験から『自分自身で物語を紡ぎ出していく』わけです。ゲーム内で得られる情報をもとに、根底にあるストーリーを自分の頭の中で構築していく。これが、ゲームナラティブの本質だと思っています。
もちろん、ファミコン時代と現代とでは、テキストの量、キャラクターの表情や音声など、あらゆる面が違います。プレイヤーが受け取る印象もまったく異なりますが、プレイヤーの頭の中で展開される物語の構造そのものは、実はほとんど変わっていません。
私が最初にファミコンで『ゼルダの伝説』をプレイしたときの興奮と、Nintendo Switchで『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』をプレイしたときの興奮は、それほど変わらないんですよ」

竹田教授がオープンワールドゲームの面白さに目覚めたという『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』。Nintendo Switch2版の発売も決定しており、あらためて注目を集めそうなタイトルだ

『ブレワイ』や『エルデンリング』の物語は、なぜプレイヤーを引き込む?

「根底にあるストーリーを自分の頭の中で構築していく」という、ゲームナラティブの本質を、自然な形でプレイヤーに体験させる。それもまた、ゲームクリエイターにとって“腕の見せ所”となる。竹田教授は、ゲームならではの重要なパラメータが、体験の善し悪しを分けると指摘する。

「私が立命館大学の授業で扱っている『ゲームデザイン論』や『ゲーム作品研究』といった授業では、『なぜ人はゲームを楽しむのか?』という根本的な問いから考えます。
たとえば、ストーリーを楽しむのであれば小説でいい。映像を楽しむなら映画でいい。でも、ゲームならではの楽しみは何か?——それが実は『バランス』、言い換えれば『難易度』の問題なんです。
プレイヤーは、ストーリーだけでなく、その中で展開されるアクション的な要素を“実体験”します。普通では勝てないような相手に、努力して挑み、勝ったときに“ご褒美”として物語が進む。この『自分で物語を進めていく』という実感こそが、ゲームの醍醐味なんですね。
そして、ゲーム内ではプレイヤーは何をするかわからないですから、ナラティブについても絶対に“分岐”が必要になります。
プレイヤーの選択にすべて対応していかなければならない。そこが、今流行しているオープンワールドのゲームなどで最も難しい部分であり、同時に最も楽しい部分でもあると思います」

先述したNintendo Switchで『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は、幅広いユーザー層にオープンワールドのゲームを広めた作品だといえるが、そのゲームデザインに込められた「難易度」の妙はどこにあるのだろうか。

「ロールプレイングゲーム好きの中にも、オープンワールドが苦手な人もいるかもしれません。実のところ、私もそうでした(笑)。
ゲームをやっていて選択肢が出てきた時、『これが本筋なのかどうか』が分からなくて、迷ってしまうんです。ですから、「昔ながらの一本道のストーリーの方がいい」という声もありますよね。
プレイヤーというのは、やはり本筋を追いたいものなんです。だから、オープンワールドでも、「こちらが本筋ですよ」という導線がしっかりしているゲームは、素直に楽しめると思います。
そういう点では、最近私がプレイしている『エルデンリング』は非常によくできていて、プレイヤーが放っておいても、世界そのものに物語が流れているのが秀逸です。つまり、プレイヤーが語り手ではない物語も同時に存在していて、その世界の中でいろんな出来事が起こっている。
プレイヤーはある時点でその世界に放り込まれ、ゲーム内の住人たちの語る話から情報を集め、その世界がどうなっているのかを探りながら、自分の行動を決めて進んでいくわけです。これは、膨大な数のサブストーリーを用意していないと成立しないゲームデザインです。プレイヤーが自然と目的意識を持つようになるゲームナラティブの手法は、見事だと思いますね

2023年の世界の主要4大ゲームアワードすべてでGOTY(ゲーム・オブ・ザ・イヤー)に輝いた、フロムソフトウェアの『エルデンリング』も、ゲームナラティブの専門家である竹田教授が大いにハマっているタイトルだ

ゲームの完成度=「クリエイターの満足」+「プレイヤーの満足」

ゲームクリエイターが作るのは、単に「おもしろいゲーム」ではない。竹田教授の話からは、プレイヤーの体験をデザインし、プレイヤーに向き合うことの重要性と普遍性が伝わってくる。

「クリエイターって、どうしても『作って満足する』生き物という部分があります。私もそうなんですが、まず“自分が満足する”という段階がある。でも、それだけでは完成度としては半分なんです。残りの半分は、『プレイヤーがどれだけ楽しんでくれたか』ということ。
私たちはゲームを世に出して、プレイヤーが遊んだ結果がフィードバックとして返ってくる。それがとても楽しみなんですよ。中には、ひどくボロクソに言われることもあります。『クソゲーだ!』なんて書かれたりもします(笑)。でも、それもまた嬉しいんですよ。なぜなら、それだけその人が夢中になってくれた証拠だからです。
文句を言うのは、その人がゲームに期待してくれていたからで、真剣に遊んでくれたからなんです。

言うまでもないことですが、ゲームというのは、プレイヤーが楽しんでくれなければ価値がありません。いくら『これはすごいストーリーだ!』と自信を持っていても、プレイヤーがそのストーリーを“自分の中で紡ぐ”ことができなければ意味がないんです。
そのことをしっかり踏まえたうえで、グラフィックやサウンドなどをストーリーに乗せて、うまく融合させていく。いま、ゲームを作る環境は、極めて高度に整っていると思いますから、あとは自分のセンスだけです。そのセンスをどう磨いていくか。
だから、ゲームクリエイターってとても大変なんですよね。いろんな世界を見て、いろんなことを体験しなきゃいけない。その過程で、『ちょっとファミコン時代に戻って考える』のも大切だと思いますし、よく学生たちにも伝えていますよ」

ゲーム制作だけでなく、マーケティングやブランディングというフィールドでも「ナラティブ」は極めて重要な意味を持っている。何を、どのように伝えるか?ゲームの物語と向き合うとき、そのヒントが見えてくるかもしれない。

立命館大学映像学部 竹田章作教授

竹田章作

1980年代からフリーライターとしてビジュアルSF雑誌、ホラー漫画雑誌、ゲームブックなどに執筆後、家庭用ゲームソフトの制作に参加。主にゲームデザイン、ゲームシナリオを担当し、アドベンチャーゲーム、戦略シミュレーション、経営シミュレーション、RPG、など幅広い分野を手がける。 ファミコンから3DSまで制作したゲームは50を超える。

関連キーワードで検索