2020年10月に公開された「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が歴代興業収入1位を記録し注目されている。2019年に放映されたアニメから人気に火がつき、原作ファンやアニメ好きに留まらず、小さな子供から今までアニメを見てこなかった層にまで支持され、国民的大ヒットとなった。
このヒットについて、コンテンツ産業に詳しい立命館大学映像学部の中村彰憲教授は「ある仕掛け」が鍵を握っていると語る。多くの人々を惹きつけた仕掛けとは何か? エンタメ業界に限らず、企業のPR活動にも応用できるというその手法についてうかがった。
「劇場版『鬼滅の刃』」 ヒットの要因は「感情移入を増幅させる仕組み」
今回映画化されたのは、『鬼滅の刃』シリーズの山場のひとつ。主人公たちが鬼殺隊の戦士として成長していく過程と、鬼殺隊の中心人物である煉獄杏寿郎が重要な局面を迎える場面が描かれている。アニメで放映されたストーリーの続きということもあり、アニメ視聴者の多くが映画館に足を運んだであろうことは言うまでもない。しかし、ここまでのヒット作になった理由はマンガやアニメの人気だけではないようだ。
中村教授は「原作のストーリー、アニメのクオリティ、新型コロナによる巣篭もり需要などのほか、トランスメディア的な要因も考えられる」と指摘する。
「映画のメインキャラクターである煉獄は、テレビアニメではほとんど登場シーンがありません。原作の読者ならともかく、アニメしか観ていない人や、映画で初めて観るという人にとって煉獄への愛着が持ちにくいのが課題でした。そこで効果的だったのが入場者特典として配布された『鬼滅の刃 煉獄零巻』です。煉獄のオリジンストーリーを描き、キャラクターに対する理解を深めたことで、より多くの人の感動を誘いました。原作漫画で示された内容から逸脱することなく、テレビアニメ、映画、劇場版用に用意されたミニコミック、さらには上映にあわせて雑誌で集中連載した「煉獄杏寿郎外伝」と、複数のメディアを使って世界観を拡張させることで、視聴者は頭の中でこれらの物語体験を重層的につなげることができた。それがキャラクターへの感情移入につながり、ひいては映画全体の感動へ発展していったと考えられます」(中村教授、以下同じ)
ストーリーを断片化することで効果的な物語体験が生まれる
『鬼滅の刃』で採られたこのような手法をトランスメディア・ストーリーテリング(以下TMS)という。ひとつの世界観を踏まえつつ、複数のメディアで全貌を明らかにする、コンテンツ業界で使われるメディアミックスの手法のひとつだ。視聴者が複数のメディアに触れることで、頭の中でパズルのように物語が統合され、より深い物語体験を生むことができる。
「TMSは主にハリウッドや欧州の映像業界で発展してきた手法で、代表的な例は『マトリックス』シリーズです。この作品は映画を中心としながら、複数の短編アニメーションやゲームも展開しており、それら全てが同じ世界観でつながっているという、非常にわかりやすい形でTMSを実践しています。
一方、日本の往年のメディアミックスは、必ずしも世界観の統合を必須とはしていません。それよりも人気キャラクターと視聴者とのタッチポイントを増やすことが優先されてきました。代表的なのが『ポケモン』です。支持されているキャラクターを、ゲームでもアニメでも映画でも楽しんでもらいたい、ファンを喜ばせたいという視点が強い。各メディアに物語が分散化され、かつ全てがちゃんと整合性をもってつながるようにデザインされているというわけではありませんでした。
しかし、今回の『鬼滅の刃』のヒットは、物語を断片的に提示することの有効性を示したと言えます。映像化されたのは原作の7巻〜8巻。その後の物語をどう切り取っていくかが注目されています。今後アニメや映画でそれぞれのメディアの特性を活かしながら物語を展開していく手法をとれば、日本独自のTMSを確立するきっかけになるのではないでしょうか」
キャラクターの過去を深掘りしながら物語の世界観を広げた『鬼滅の刃』。2021年にはゲームの発売も予定されているが、原作の物語をなぞるのか、あるいは何らかの形で世界観を発展させるのか。それによって日本のコンテンツ制作のトレンドにも影響を与えていきそうだ。
顧客を巻き込む広報戦略には、深い世界観の共有が重要
映画やアニメ、マンガ、ゲームなどエンタメコンテンツでの活用が目立つTMSだが、中村教授曰く、企業のPR活動においても応用できる考え方だという。
「アメリカでは企業のPR活動において、クロスメディアキャンペーンの一環としてTMSが導入されています。代表的なのは、コカ・コーラが2010年に行ったHappiness Factoryというプロモーションです。内容としては、自動販売機の中に“ハピネス”を提供する存在がいて、それらを中心にストーリーや世界観が展開していくというものでした。その世界観をテレビCMやWEB広告などを通して多様な形で表現。人々がそれぞれ違うメディア体験をする中で、深い世界観に触れ、驚きを感じて、コカ・コーラというブランドの認知度を高めるという仕組みになっていました。コカ・コーラが行ったキャンペーンの中でも特に成功したもののひとつと捉えられています。
情報発信の際には、テレビやYou Tube、SNSなど複数メディアを活用するのが当たり前になっていますが、単純に同じ情報を流すのでは効果は低い。今後は、断片化したストーリーを複数メディアで展開して、最終的に深い世界観を作り上げる取り組みが、顧客を巻き込むという視点においては非常に重要だということは間違いありません」
誰もがテレビやスマホなどさまざまなメディアに触れる時代。どこでも同じメッセージを投げかけるだけでは芸がない。より強い共感を呼ぶためには、企業のPR活動といえども物語体験としての付加価値をつけることが重要になってきそうだ。深いメッセージや緻密に作り込まれた世界観が伝われば、顧客と企業との間にはより強いつながりを作り出すことができるのではないだろうか。
中村彰憲
名古屋大学大学院国際開発研究科修了。博士(学術)。早稲田大学アジア太平洋研究センター、立命館大学政策科学部助教授を経て、映像学部映像学科教授を務める。主な著書に『中国ゲーム産業史』(Gzブレイン)など多数。その他、ゲームビジネス全般に関するコラムを定期的に寄稿している。