現在、日本におけるランニング人口は1000万人以上ともいわれている。コロナ禍でもランニングはソーシャルディスタンスを保ちながら行える運動として注目され、ユーザー数を維持。2023年以降は各地のマラソン大会なども以前の水準で行われるようになっている。
ランニング人気の高まりとともに、数多くのシューズが発売されているが、最近では「厚底シューズ」が人気を集めている。厚底シューズは速く走れるのだろうか。その理由とは? 立命館大学スポーツ健康科学部で、バイオメカニクス・サイバネティクスを専門に研究する、長野明紀教授に聞いた。
● 厚底ランニングシューズの特徴と流行の理由とは?
● 薄底ランニングシューズにもメリットは多い
● ただ厚底にするだけで速くなるわけではない
● 厚底シューズを使いこなすためのアドバイス
厚底シューズの特徴は? 競技用上限のソール厚は4cm
はじめに、いわゆる「厚底」といわれるランニングシューズについておさらいしておこう。
「厚底シューズとは、ソール部分が『3〜4センチ程度の厚さのもの』を指します。厚底シューズの狙いは、ショックの低減や反発性を高めることにあります。厚いソールで地面に衝突する際のエネルギーロスを抑え、そのエネルギーをソールに蓄えて、次の蹴り出しの際に再利用する。バネが縮むようなイメージで、自身の走力や跳躍力をサポートすることで、速い走りにつながると考えられています。
一方で、シューズテクノロジーがアスリートのパフォーマンスに大きな影響を与え始めたため、ワールドアスレティックス(旧・国際陸上競技連盟)は、競技の公平性を保つために、ソールの厚みを4cmに制限しています。つまり、公的なマラソン大会などでは、4cmを超えるソール厚のシューズではレースに出場できません」(長野教授、以下同じ)
「厚底×カーボンプレート」が好記録を出している現状
さらに最近では、厚底のソール内にカーボンプレートを内蔵したシューズがトレンドとなっている。
「最近の競技では、カーボンプレートが入った厚底シューズを履いている選手が高成績を収めています。このカーボンプレートは板バネのような働きをして、踏み出す力を強める役割があると考えられています。ソールの素材はある程度の柔軟性がありますが、プレートが入っていることによって、靴自体は大きく曲がらない硬さがあります。
このようなカーボンプレート入りの厚底シューズが高記録に結びついているため、多くのランナーが同様の靴を試すようになっており、トレンドになっています」
ただし、厚底シューズがすべてランナーに有利なわけではない。デメリットについてはどう考えたら良いだろうか。
「厚底シューズはクッション素材を多く使用しているため、薄底シューズよりはやや重く、長距離やスピードトレーニングにおいては、足が疲労しやすいことが考えられます。また、その厚みのために安定性が低下することや、過度にサポートされることで本来の筋肉や関節の動きを疎外する可能性があることも覚えておく必要があるでしょう」
2010年代に流行した薄底シューズのメリットは?
現在のトレンドは厚底シューズということになるが、10年ほど前には逆に「薄底シューズ」に大きな注目が集まっていた。
「2010年に、薄底シューズについて注目すべき論文が『ネイチャー』に掲載されました。この研究では、裸足で走るランナーと靴を履いたランナーの足の着地パターンと衝突力の違いを調べています。論文では、裸足のランナーは足裏の前側または中足部で着地し、靴を履いたランナーのかかと着地よりも衝突力が小さくなることが示されました。裸足での走行では足首の柔軟性が増し、衝撃関連のケガを防ぐ可能性についても言及されています。
つまり、薄底で最小限の機能しかない、『ミニマリストシューズ』を履くと、人間にとって自然な走り方が促されるというわけです。
さらに、同時期にクリストファー・マクドゥーガルによって書かれたノンフィクション『Born to Run(走るために生まれた)』が出版されたことも、薄底ブームに火をつけたといえます。ほとんど靴を履かずに何百キロも走る能力を持つことで知られている、メキシコのタラウマラ族のライフスタイルを追いかけながら、ベアフットランニング(裸足ランニング)やミニマリストシューズの有効性が謳われ、薄底シューズの認知と普及を後押ししました」
もちろん、薄底シューズには厚底シューズにはないメリットがある。
「薄底シューズはクッション素材が少ないため、シューズを軽くでき、速い動きやスピードアップに貢献します。クッション性が少ないことは、足の筋肉や関節を効果的に使うフォームを促すことにもつながり、『Born to Run』のタラウマラ族のように、自然な足の動きを呼び起こすシューズといえるかもしれません」
シューズの選び方とランニングフォーム 自分に合った靴選びが重要
「私の研究では、足と地面の間に働く力に着目しています。実験室の床やランニングマシンに高性能な体重計が埋め込まれており、走り方やシューズの種類を変えた時の力の変化を調べています。それに加えて、モーションキャプチャ技術で人間の三次元の動作データを取り、どんな動きの時に、どんな力がかかっているかを解明していきます。
このように、走り方やシューズの違いによる筋骨格への影響を調べてみると、ランニングシューズや走り方を変える場合、それにあわせた筋力トレーニングや柔軟性の確保が重要になることがわかりました。
つまり、単純に『厚底シューズ=速く走れる』と考えて急に変更を加えると、今まで使っていなかった部位に過剰な負荷がかかり、けがの原因にもなりかねないということです」
厚底シューズをうまく活用できない人へのアドバイス
では、トレンドの「厚底シューズ」の効果を発揮するためには、どのようなことに注意する必要があるのだろうか。
「カーボンプレート入りの厚底シューズは硬くてあまり曲がらないため、力の作用点が『つま先付近』になります。つま先立ちの状態に近くなるので、アキレス腱への負荷が相対的に増えることになります。膝をはじめとした関節や筋肉の動きも変わってきますから、それまでと同じフォームで靴だけを変えると、痛みや故障に繋がる可能性があるので注意してください。
理想的なのは、ランニングシューズ店員の勧めだけでなく、専門家にフォームを診てもらい、そのアドバイスを踏まえてシューズを選ぶことです。フォームによっては厚底ではないほうがいい可能性もありますし、厚底シューズでも、初心者向けと上級者向けでは、靴の耐久性や軽量性、カーボンプレートの有無などが異なります。
デザインだけでなく、使用目的と自身のフォームを考慮して、けがのリスクを避けたシューズ選びをしていただきたいと思います」
長野教授の研究室では、素材メーカーと共同でランニングシューズのソール素材を研究・開発するといった取り組みも検討しているという。ランニングは、人間の最も基本的な動作のひとつであり、極めてシンプルなスポーツであるがゆえに個人差も大きく、シューズに求められるニーズも多種多様だといえる。革新的な素材や形状が出てくれば、競技そのものに大きな変化が起こりうる分野でもあるのだ。
走ることの気持ちよさ、楽しさを楽しみながら、新たなシューズの登場にも注目したい。
長野明紀
立命館大学スポーツ健康科学部教授。1996年東京大学教養学部卒、1998年東京大学大学院総合文化研究科修了、2001年アリゾナ州立大学学際的博士課程修了。株式会社日立製作所、ボストン大学、独立行政法人理化学研究所、アバディーン大学、神戸大学等を経て2014年より現職。人体の運動のメカニズムの理解と工学的支援に関する研究開発に取り組んでいる。