間もなく、震災から10年が経とうとしている。官民における、復興から創生に向けた取り組みが続けられ、いま東北は震災を乗り越えた「新たな段階」に入ったともいえるだろう。長い復興の取り組みの中で、東北とは縁もゆかりもない人々が、東北との絆を作り、大きな力となっている例も多い。東北の旬の食材を各地に届けて定期開催する酒場「きっかけ食堂」を立命館大学の学生時に立ちあげた、原田奈実さんもそのひとりだ。復興を超えた未来の東北に必要なものは何か。東北を間近で見てきた原田さんの視点を追う。
自らの進路を決定づけた、被災者の「期待している」という言葉
京都府出身の原田さんが東北と初めて接点をもったのは、高校2年生の時。震災から1年ほどが経とうという時期のボランティアツアーだった。
「当時は復興にもまだ手が付いていないような状況で、高校生の私が想像していたよりも、現地ははるかに悲惨な状態でした。それももちろんショックだったのですが、それ以上に『私がここに来て、できることなんて何もない』という虚無感、罪悪感のほうが大きかったのを覚えています。
でも、そんな私たちに在宅避難者の方が『そんなこと思わなくていい』『若い人たちに期待しているよ』と言ってくれたんです。この人たちの力になれるような人間になりたいと、その時に強く思いました」(原田さん、以下同)
大学進学に際しても、「どうしたら東北のために何かできるかが一番の核になった」と語る原田さん。立命館大学の産業社会学部・現代社会専攻に進んだのも、「現代社会の課題を解決する学問」という指針に惹かれたからだ。
3年目の東北で聞いた「忘れられるのは悲しいね」という言葉が“きっかけ”に
大学に入ってからも、具体的に何をするべきかがまだ見えず、毎月のように東北に通っていたという原田さん。大学1年の夏、震災からは早くも3年が経っていた。
「高校生のときにお世話になった被災者のお宅に伺ったとき、『東北に来る人も減ってきている』『3年も経つんだから、東北のことなんてみんな忘れるよね』『でも、忘れられてるのは悲しいね』と仰っていた言葉が、本当に悲しくて」
まずは「東北に人を連れて行こう」と考えた原田さんは、さまざまなプロジェクトを企画・参加した。全国2000人の学生を東北に連れて行く「きっかけバス」プロジェクト、東北でのスタディツアー、ボランティアツアー…。実際に接点を持つ学生は増えたが、原田さんの中で何かが引っかかっていた。
「私たちの活動の中心は京都でしたから、あらためて『東北との距離』に気づかされたんです。東北への想いは強くても、学生だとお金の問題もありますし、社会人の方は時間の余裕がない。想いはあるけど、『できない理由』もまた、たくさんあるのだと感じました。
それなら、東北に行かなくても、東北のためにできることがあるんじゃないか。そう思って、大学2年生のときに始めたのが『きっかけ食堂』なんです」
自分たちが「心から楽しんでいる」から、続き、つながっていく
「きっかけ食堂」は、月1回「11日」に開催することを基本に続けられてきた。旬の東北の食材を取り寄せ、東北の料理とお酒を楽しむ“酒場”がコンセプトだ。学生たちが生産者と直接つながり、食材の手配はもちろん、地元の料理法を教えてもらうなど、東北との直接の“つながり”が感じられる場として、現在まで続けられている。
一方で、「復興」をきっかけにした東北との接点は全国的にも徐々に減っているのは事実だろう。「きっかけ食堂」が現在も続き、さらに京都以外の都市にも展開を広げている理由は、どこにあるのだろうか?
「何よりも、自分たちが『楽しいからやっている』ことが一番大事なことだったと思っています。大学2年から卒業まで続けていた時、周囲からは『大変じゃない?』と言われることもありましたが、自分としては好きで楽しいからやっているという感覚でした。
もちろん東北はいろいろな問題を抱えていて、そのために何ができるかという話題もあるので、単に楽しくお酒を飲む場ではありません。それでも、堅苦しくなく、参加者みんなが幸せを感じられるような空間を作ることができたことが、現在まで続いてきた理由なのかなと思っています」
原田さんは大学卒業後、東京に就職することになった。そこで京都の「きっかけ食堂」を引き継いだ2代目も、お客として来ていた大学生だったという。
絆が続いているのは、食堂でつながった生産者や東北の人々も同じだ。イベントの時に一時的につながるのではなく、「毎月11日」という継続性が、絆を太く、強いものにしてきた。
「初めはボランディアと被災者、食堂への食材の生産者という関係でしかなかった方の中にも、今では家族だったり、遠い親戚のような存在になっている方がたくさんいます。いつも存在を感じているような、大好きな人たち、仲間と思える人たち。つながり続けていくことが、私自身の『楽しい』という気持ちになっているのかもしれません」
10年目の先へ。「関係の選択肢」を多様にしていくことが重要
原田さんが震災3年目に聞いた「東北のことなんてみんな忘れるよね」という言葉。東日本大震災から10年を迎え、記憶の風化はますます大きな課題となる。東北を忘れない、その関係を保ち続けるには、どのような視点が必要だろうか。
「東北に限らず、どの自治体もそうだと思いますが、若者を中心に移住者を増やそうと頑張っている地域がたくさんありますよね。もちろんそういう方が増えるのは素晴らしいことですが、一方で移住のハードルはかなり高いことも事実です。また、今はボランティアもないので、関わり方が難しくなっています。
そういう方にとって、さまざまなレベルの『関わり方』を提示できることが大事だと思います。『まずは遊びに行ってみよう』でもいいし、『副業で関わってみよう』でもいい。食で関わったり、テレワークの推進で二拠点居住が現実的になった方もいるかもしれません。
移住だけでなく、さまざまな関わり方を見せることができれば、東北の地域が元々持っている魅力を伝えていけるのではと思っています」
奇しくもコロナ禍で迎える、東日本大震災から10年の節目。人の移動が制限される中で、「きっかけ食堂」はオンライン開催も活用しながら続けられている。
被災地復興はもちろんのこと、地方創生においても、人と人のコミュニケーションが重要なファクターとなるのは明らかだ。つながり続ける“きっかけ”を、いかに存続していくのか。「きっかけ食堂」の取り組みに、そのヒントがあるはずだ。