頻発する自然災害や巨大地震の発生予測を背景に、家具を固定したり防災バッグを準備するなど個人レベルで防災対策に取り組む人も増えつつある。
しかし、歴史学の視点から防災を研究する山崎有恒教授(立命館大学 文学部)は「現代人はもっと高い防災意識を持ってもいい」と警告する。
「現代人は災害対策の一番の主体を国や自治体と考える傾向も強いですが、そのような考え方はいざというときに命取りになりかねません」(山崎教授、以下同じ)。
そんな現代人が参考にするべきは近世の京都人だ。
京都人は火事に対する意識が世界一高かった
三方を山に囲まれた盆地に、千年以上も前から多くの人々が住み続けている京都。住宅の密集度も高く、「火災」は全力で避けるべき事態だった。
「京都の町中では間口の狭い町家が密集し、路地も細かく入り組んでいるので一度火が広がると消火は困難で大火事になりやすい。事実、京都は歴史上で何度も大火に襲われています」
そんな京都の火災事情は、初期消火に対する高い意識を育てた。
「近世の京都では、町の自治を定めた町掟(まちおきて)に『火事を起こした者は町から強制退去』『火事が起きたときに水を持って駆けつけなかった者には罰金を課す』といった過酷なルールがしばしば見受けられました。罰金は現代の数百万円に相当するケースもあったほど。世界のほかの大都市でも、住民の消火行動をこれほど厳しく定めたルールはなかったでしょう」
厳しいルールの下、火事が起きると町じゅうの人々が現場に駆けつけ消火に当たった。近隣の町からもしばしば応援が来たという。京都では、世界的にも稀有な超高度な初期消火体制が確立していたのだ。
「当時の新聞によれば、明治7年に現在の下京区で火事が起こって約三十軒の家々が燃えたとき、32もの町から人々が駆けつけたそうです。鉄道もない時代、みな走って現場に向かったのでしょう。火事における京都人の高い対応力を物語るエピソードですね」
住民の自主的な消火行動を前提にした体制は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど火事が多発した江戸の街ともまた異なる。
「江戸では、幕臣・大岡越前が町火消という消防制度を作り『いろは四十七組』を編成するなど、幕府が消防体制を主導しました。消火方法も、現場周辺の建物や構造物を壊して延焼を防ぐ破壊消火が主流。火が小さいうちに水をかける初期消火が重視された京都とは対照的です」
西の京都と東の江戸。どちらも大都市だったことに変わりはないが、公的な消防体制を頼みとした江戸に対し、京都では草の根の消火体制が根付いていたのだ。
現代に残る京都人の高い消防意識
出身は東京で、現在は京都在住という山崎教授。京都で暮らすうち、高い消防意識が今も残っていると実感したという。
「初めて京都で暮らすことになり京町家に部屋を借りたときは、入居直後に町内会の方が来て『火事には十分に注意してほしい』と強く言われました。京町家という伝統的な建造物の保存も念頭にあったことと思いますが、東京では無かった経験で驚きましたね」
近隣住民が初期消火にまさに「駆けつける」場面にも、なんと当事者として遭遇してしまったという。
「実はその京町家で一度だけ、ぼやを出しかけたことがあるのです。調理中の鍋から火が上がり、壁が少し焦げ付いてしまいました。すぐに水をかけて事なきを得ましたが、モクモクと煙が立ち始めてわずか数十秒で近所の方が二十人以上も駆けつけ『火事ですか!?』と。消火器や、水の入ったバケツを手に持っている人もいました。消防団でもない住民があれほど迅速に消火対応するのは、ほかの町ではちょっと想像しにくいですね」
京都の町並みで、消火用の赤いバケツが軒先に並ぶ光景を見たことがある人もいるかもしれない。さらに京都市は、ほかの大都市と比べても人口1万人当たりの火災件数が常に最小レベル。これらもまた、現代に残る高い消防意識の表れだろう。
科学技術の発達とメディアの影響で、防災意識が低下
京都を始めとして近世までの日本人は災害を抑え込もうとはせず、ルールや地形をうまく利用しながら被害を最小化する「減災」の姿勢を共有していたという。なぜ現代人はかつてに比べて防災意識が希薄になったのだろうか?
「理由の一つは科学技術の発達です。明治政府が消防署の制度を整え、蒸気ポンプや消火器などの西洋技術を積極的に導入するにつれ、防災対策は国や自治体が担うものと思われるようになりました。
また、メディアの影響も小さくありません。新聞も科学技術で災害を抑え込むという理念を普及をしました。大正期の京都新聞で主筆を務めていた大道雷淵は『近代文明の積極導入で災害を克服すべき』と紙上で幾度も論じ、近世的な災害対策を『妥協的、非文明的』と全否定しています」
しかし、科学技術の盲信は危うい。
「水害や大地震など昨今の災害を見れば分かるように、科学技術が現代のように著しく進歩しても、被害を完全にゼロにすることは不可能です。もちろん、技術は被害減少に非常に大きく貢献していますが、それだけに防災対策を頼るのは適切ではないですね」
教育現場から防災意識は高められる
災害の被害を減らすには、人々が災害をもっと身近な問題として認識するべきだと語る山崎教授。現代人が当事者意識を持つための仕組みとして、教育の重要性を強調する。
「私は、防災についてもっと教育の現場に組み込むべきだと考えています。何を常備しておくべきか、災害時はどこに向かいどんな行動を取るべきかなど、子どものころから詳しく教えれば防災意識は確実に高められるし、将来的に被害も減るはずです」
実際、山崎教授の所属する歴史都市防災研究所では、小学生や中学生を対象とした防災教育をすでに始めている。
「小学生を対象に、地域の防災マップづくりコンテストを毎年開いています。子どもたちが楽しみながら地域の防災事情を知り、いざというときに身を守るための知識につながる取り組みです。大学が教育現場と協力して防災教育に取り組むこのような事例が、もっと全国に広まってほしいですね」
防災教育が人命を救った事例として、岩手県釜石市の「津波てんでんこ」が挙げられる。東日本大震災で市内の小中学生のほとんどが津波から避難したことで話題になった。
「津波てんでんこは、総務省が平成16〜18年度にかけて集約した『全国災害伝承情報』にも載せられていました。これは全国各地の有史以来の災害や防災の言い伝えをまとめたウェブサイトで、科学技術一辺倒の防災対策に対する危惧の表れともいえます」
科学技術が発達する以前から、住民たちのルールや意識で災害に対処していた京都人は、防災意識が低下した現代人にとってお手本とすべき対象だ。意識改革や教育の面から、新たな角度での防災対策が求められる。