平安京の周囲の山中に、かつて修行の場として営まれていた山寺の痕跡が、最新の地形データから次々と浮かび上がった。立命館大学 大学院の手嶋響紀さんら、学生を中心とする【京の山寺研究会】が、京都府公開の「赤色立体図」を活用し、重要文化財「神護寺絵図」に描かれた素光寺跡を含む16地点を確認したのだ。発掘ではなく、“地図を読む”ことで導かれた発見は、平安京の姿そのものを見直す可能性を秘めている。監修やアドバイスに携わった立命館大学文学部の岡寺良教授にも解説いただきながら、世紀の発見の裏側をひも解いていこう。
● 忘れられた山林寺院跡16地点が発見された
● 地形を直感的に把握できる「赤色立体図」
● 「神護寺絵図」に描かれた素光寺の推定地を特定
● 山を含めて捉える新しい「平安京」像
● オープンデータが歴史研究を広げる可能性
絵図に描かれ“忘れられた寺院”を、立命館大のグループが発見!
京都市内を囲む山々。その尾根や谷の奥に、平安時代の寺院が点在していた可能性が明らかになった。立命館大学大学院の手嶋響紀さんら、学生を中心とする京の山寺研究会のメンバーは、京都府が公開した特殊な地形データ「赤色立体図」を手がかりに山中を精査。その結果、平安時代から中世にかけての山林寺院とみられる遺跡を、計16地点で確認した。
「これだけの数が残っていたことに、まず驚きました」そう語るのは、調査を中心となって進めた手嶋さんだ。平安京の外縁部に広がる山々は、これまで断片的にしか研究されてこなかった。だが今回の調査により、谷の中に小規模な平坦面が連続的に存在し、そこに遺物が散布している状況が複数確認された。
中でも注目されるのが、右京区嵯峨観空寺谷町で確認された遺跡である。ここは、神護寺所蔵の重要文化財「神護寺絵図」に描かれながら、長らく具体的な所在地が不明だった「素光寺」と推定される場所だ。
これらの遺跡は、重機による発掘で姿を現したわけではない。「赤色立体図」を読み込んでいくと、山の斜面の中に、不自然に平坦な面が浮かび上がる。その微細な地形の違和感を読み取り、現地で一つひとつ確認していく——その積み重ねの末に導き出された成果だった。
では、その“読み”を可能にした赤色立体図とは、どのような地図なのだろうか。
地形が浮かび上がる──赤色立体図とは何か
赤色立体図とは、航空機からレーザーを照射して地表の高低差を計測し、得られた点群データをもとに作成された立体地図である。急斜面は赤や黒に、平坦な場所は白に近い色で表示されるため、肉眼では捉えにくい微細な地形の変化が一目で分かる。

「赤色立体図は、もともと防災用途、例えば急傾斜地の把握などのために公開されたデータです。ただ、考古学の分野では以前から、古墳や山城の痕跡がはっきり浮かび上がることが知られていて、注目されていました」(手嶋さん)
そう語る手嶋さんにとって、この地図は決して“突然現れた新技術”ではなかった。
「実は、一般公開される前から、学部生時代に入っていた考古学研究会というサークルでの遺跡調査の際に赤色立体図を見せてもらっていました。そのときから、平坦な面が非常に分かりやすく表現されるので、『これは山寺の探索にも使えるかもしれない』と話していたんです。
谷の中は通常、連続した傾斜になっていることが多いんですが、その中に段状の平らな面が複数見えることがあります。人工的に造成された可能性がある場所です。赤色立体図では、その“違和感”がはっきりと可視化されます」(手嶋さん)
山岳地図などでよく目にする「等高線地図」でもある程度の推測は可能だが、赤色立体図はより直感的に地形を把握できる。
「拡大していくと、『ここ、白く抜けているな』という箇所が見えてくるんです。公開された直後は、メンバーで京都盆地周辺の山をくまなく見ていきました。まずは地図上で当たりをつけて、そこから現地に向かう。今回の調査は、ほぼその繰り返しでした」(手嶋さん)
地図を“見る”のではなく、“読む”。その視点の転換が、これまで人目に触れてこなかった山中の遺跡へと導いたのである。

歴史を読み、地図を読む──平安京をとりまく“遺跡探し”
実は、立命館大学の考古学研究会による山寺調査・発見は、今回が初めてではない。一部のメンバーは、昨年度まで所属していた考古学研究会で山寺研究に取り組んできた。
始まりは2008年。京都一周トレイルコース周辺で古墳群の測量を行っていた際、偶然、平安時代の瓦が見つかったことがきっかけだった。それが松尾山寺遺跡の発見につながり、以後、代を重ねながら調査が継続されてきたのだ。
「当時は、ほとんど偶然でした。等高線や伝承を手がかりにするしかなく、山の中から遺跡を見つけるのは簡単ではありませんでした」
そう振り返る手嶋さんにとって、赤色立体図の公開は転機だった。
2025年4月、京都府がデータを一般公開すると、研究会のメンバーは有志団体・京の山寺研究会を立ち上げ、さっそく京都盆地周辺の山の精査を始めた。谷の中に、不自然な段状の平坦面がないか。尾根の傾斜の中に、白く抜ける箇所がないか。画面を拡大し、候補地を一つずつ洗い出していった。
「最初に大きな手応えを得たのが、大北山天神岡遺跡でした。赤色立体図上では明らかに段状の地形が確認できました。航空写真では特に目立つ形跡は確認できていませんでしたが、立命館大学からもかなり近いこともあって、さっそく現地調査することにしたんです。
行ってみると、斜面のところどころに瓦が表出している部分がありました。中には、唐草文様が入った立派な軒平瓦もあったんです。
平安時代には、瓦を使って建てられる施設は限られています。宮殿か、寺院か。その立地を考えれば、寺院である可能性が極めて高い。そこで、『やはり山寺だ』という確信を持ちました」(手嶋さん)

発見はそれだけにとどまらなかった。文献を専門とする研究会メンバーが、神護寺所蔵の「神護寺絵図」に小さく記された「素光寺」の存在に着目する。絵図に描かれた川や地形、神護寺との位置関係を手がかりに、赤色立体図と照合していくと、周辺に規模の大きな平坦面が複数確認できた。
「絵図と地形を重ねていく中で、『ここかもしれない』という感触があったそうです。当時、LINEでテンションの高い連絡が来たのを、いまでも思い出します(笑)」(手嶋さん)
そして、昂ぶる気持ちを抑えながら現地を訪れた京の山寺研究会。果たして、ここでも瓦や土器が確認された。絵図には描かれていたものの、これまで手がかりのなかった素光寺が、千年の時を超えて発見された瞬間でもあった。
「遺跡中には、平安京内では類例の少ない小型瓦も含まれていました。これまで見つけてきた地点とはまた違う性格を持っている可能性もあり、驚きましたし、興奮しましたね」(手嶋さん)

偶然から始まった山寺調査は、赤色立体図という新たな視点を得て、16地点の発見という快挙へとつながった。では、これらの発見は、平安京や山岳寺院研究にどのような意味を持つのだろうか。
都の“外側”が見えてきた──平安京研究の転換点になりうる発見
今回確認された山林寺院跡は、その多くが平安時代中頃、10世紀前後に位置づけられるとみられている。これまで山寺研究の中心となってきたのは、比叡山や東山の如意寺といった、文献や遺構が比較的よく知られた大規模寺院だった。しかし今回の調査で明らかになったのは、谷の中に小規模な平坦面を持つ、比較的目立たない拠点が多数存在していた可能性である。調査を監修・指導した岡寺良教授に聞いた。
「これまで研究の対象になってきたのは、規模が大きく、文献にも記録が残る寺院が中心でした。今回見つかったような、伝承もほとんどなく、山中に埋もれていた小規模な拠点は、ほとんど把握されていませんでした。
今回確認された複数の地点は、単一の勢力ではなく、それぞれ異なる宗教勢力が山に関与し、修行や活動の拠点を築いていたことを示唆しているのかもしれません。
平安京というと、碁盤目状の都の内側を思い浮かべがちですが、人々の活動はその区画の中だけで完結していたわけではありません。都の寺院を拠点としながら、山に入って修行する。そうした往還が、日常的にあったと考えられます」(岡寺教授)
つまり、平安京の歴史を理解するには、都市内部だけでなく、その外縁部の山々を含めて捉える必要があるということだ。
「今回、山の側の状況が少しずつ明らかになってきたことで、今後はその成果を平安京内部の研究にもフィードバックできる可能性があります。内と外を分けて考えるのではなく、両者を一体として見直す視点が求められるでしょう。
また、考古学的な発見は、宗教史や文献史学の研究とも結びつきます。山岳仏教の実態や、当時の宗教勢力の広がりを、より立体的に描ける可能性があるのです」(岡寺教授)
16地点という数字は、単なる件数ではない。それは、平安京を取り巻く宗教的景観が、従来の想定以上に多層的であったことを示す手がかりでもある。今回の発見は、山中に眠っていた寺院跡を明らかにしただけでなく、“平安京のあり方”そのものの見方を問い直す契機ともいえる。
誰もが閲覧できるオープンデータが、大発見の糸口になる
今回確認された16地点の山林寺院跡は、まだ調査の入口に立った段階に過ぎない。今後は成果を整理し、調査報告書としてまとめた上で、学術的な検討を重ねていく予定だという。
「まずは、きちんと報告書を出して、一度世の中に提示することが大事だと思っています。現在、市内の文化財を所管する京都市文化財保護課の職員の方とも相談しながら、報告書作成を進めています。その上で、それぞれの遺跡がどのような性格を持っていたのか、どういう勢力と関わっていたのかを、これから丁寧に検討していきたいです」
そう語る手嶋さんの言葉は、興奮よりも責任感を帯びている。
今回の発見で印象的だったのは、素光寺の推定地だけではない。「16地点」という数そのものが、平安京を取り巻く山々が、想像以上に人々の活動の場であったことを物語っている。
「平安京の研究は、どうしても都の中が中心になります。でも、その周囲の山もまた、人が行き来し、修行し、活動していた場所だった。山も含めて考えることで、当時の社会の姿がより立体的に見えてくるのではないかと思います」(岡寺教授)
赤色立体図は、誰もが閲覧できるオープンデータだ。しかし、そこから歴史の痕跡を読み取るには、地道な踏査と積み重ねが欠かせない。今回の成果も、学生たちが一つひとつ現地を歩き、表面に露出した遺物を丁寧に確認してきた結果にほかならない。
「まだ分かっていないことの方が多いです。でも、自分たちの目で確かめながら、少しずつ輪郭が見えてくる。その過程そのものが、歴史研究の面白さだと思っています」(手嶋さん)
千年の時間を経て、山の中に残された痕跡。その静かな地形の変化に目を凝らすことで、これまで語られてこなかった平安京の姿が、ゆっくりと浮かび上がりつつある。

岡寺良
九州歴史資料館学芸員、九州国立博物館主任研究員を経て、現職(立命館大学文学部教授)。古代~近世の日本の城郭遺跡や山岳宗教遺跡など、主に山の遺跡をテーマに、現地遺跡のフィールドワークを基にした実証的な研究を通じ、当該期の日本社会を考古学から読み解くことを目指している。主な著書に『戦国期北部九州の城郭構造』・『九州戦国城郭史 大名・国衆たちの築城記』(単著・吉川弘文館)がある。

手嶋響紀
立命館大学文学研究科行動文化情報学専攻考古学・文化遺産専修の博士前期課程一回生。2024年度までは立命館大学の公認学術団体である考古学研究会に所属し、松尾山寺遺跡の調査報告書執筆に携わった。2025年度からは京の山寺研究会の設立メンバーの一人として平安京周辺の山寺研究に取り組む。
また、個人としては日本列島の後期旧石器時代を専門として、局部磨製石斧(刃部磨製石斧)と呼ばれる石器に関して研究している。





